第九十五話 臍を嚙む

俺は何故か供の疋田の供として義元と共に将軍様に謁見を許されていた。


「治部大輔から熱田大宮司殿の事は聞き及んでおる。縁ある者が某の下に集ってくれた事、うれしく思うぞ」


「畏れ多い事に御座います」


義元が目礼をし、俺は頭を下げる。

今川家は足利家の傍流、そして俺…千秋家は義輝の従兄弟である近衛家の傍流…らしい。なんとなく少年マンガならこれから力を合わせて頑張るぞ的な流れなのだが、空気の読めない俺はどうするべきなのか全く分からないでいた。


この時代天下布武とか天下統一だとかそういった風潮があるものかとばかり思っていたのだが権力機構は安定している…ように思う。各地で領地の小競り合いはあるが天下を揺るがすような動きは感じられない。信長は誰と戦って、何を見ていたのだろう?戦国時代って俺が思ったより平和だったのか…?とすら思ってしまう。

そして俺の知っている歴史ではここに義元がいる事はない。俺の知らない歴史が今も紡がれている。これから俺の知っている未来とは更に離れていくだろう。


ぼんやりと…顔も名前も思い出せない令和の家族を想い、言い知れぬ不安を漠然と感じていると将軍様の挨拶は本命?の方に移っていた。


「兄弟子よく参られました!相変わらずの腕前、御見それした」


「左近衛中将様も腕を上げられました」


「完膚なきまでにいなされたが…昔より学びのある立合いでした」


どうやら将軍様は何か得る物があり満足しているようだった。疋田も胴三本とか何らかの配慮かと思ったが何かを教えていたのか、とにかくあの立合いには俺が思っているより深い意味があったようだ。

そうして将軍様が不思議そうに俺の顔を見てきた。


「あの場にいて熱田大宮司殿はカスリ傷も負っておらぬ」


なるほど、逃げ回って打ち合いを回避し傷を負っていない俺に不信感を抱いているのかな?勝てないなら賢く逃げる事も兵法っぽい気がする。だが疋田はとんでもない事を言い出した。


「免許皆伝の腕で御座います」


「…兄弟子、それは真か!?」


コイツ…こんな時に京に来たくない一心でかました疋田ジョークをぶち込んでくるとは…おちゃめさんも時と場合を選べよ…

驚きとどこか喜びを湛えた表情の将軍様に俺は申し訳ない気持ちいっぱいで弁明をする。


「いえ…某が免許皆伝などと…義理であっても憚られる腕前で御座います」


恐縮しきりという俺を見て疋田は何かを考えているようだった。普段偉そうにしてるやつが更に偉い奴の前で土下座して許しを請う、なるほどこれが世に聞くざまあ系というヤツなのだろう。今まさに断罪されている方だが。しかし疋田の表情からは何を考えているのか読みとれなかった。


「だが兄弟子と相対して傷一つない…そのような温い立合いはしないと余は知っておる」


あー疋田君?目の前に立つヤツは全部ボコボコにする気概、キミってそういうトコあるよね。でも今も変わらず無表情なのにどことなくドヤってるのがわかるんだよな。


「日頃から疋田…殿にはしこたま打たれておりますれば、今朝の鍛錬の場では疋田に胸を借りたいという若者に場を譲り控えておりました」


そう、俺は滝川のおっさんを贄に疋田との打ち合いを全力で回避していた。途中から疋田君が俺を挑発してたのも全く気づいてないからね。

だが将軍、足利義輝はそんな俺の応えにどこか羨ましそうな表情をしていた。


「尾張では競馬場なるものを作って馬の修練の披露の場になっていると聞く、剣術だけでなく馬術にも力を入れているのには恐れ入る」


なんか見世物にするなと怒られるかと思ったけど案外好意的だな…


「無論切磋琢磨した技量を見世物にするというのに思う所が無い訳ではない」


あ、ハイ。すいません…


「だが妙心寺よりも広い土地を切り開いて馬場を作るとは想像もつかぬ。それほどまでの場をわざわざ用意し、研鑽を積んだ武人に相応の敬意を示しているというのなら認めざるを得まい」


俺は令和の競馬場を参考に同程度の規模…と思って作ったのだが、その後に街や城やらお寺の大きさを見てこの時代ではありえない規模だったと反省していた。今から思うとあの規模はちょっとバカの所業だった。

しかも現在あの周辺に流れている小川を迂回させる為に周りをコンクリで固めて天然の堀になってしまっており謎の軍事拠点になっていた。

定期開催をして三年ほどになるが、小規模の賭けレースの話は聞いても今の所あの規模の馬場を建造しようという話は聞かない。


「余も是非一度その競馬とやらを見てみたいものよ」


社交辞令だとは思うが、もし足利将軍杯とか出来たら嬉しいな。その時は精一杯のおもてなしをしたいものだ。


「先日熱田大宮司殿は近衛兄にも会ったと聞いた。その…従兄弟あにが迷惑をかけるな」


そして将軍様から気まずそうに近衛のおじゃるの話を振られた。どうやら将軍様は近衛のおじゃるに思う事があるようだ。まぁそりゃあるだろう。


「いや、頼りになる、頼りになるのだ…だがその…少々無謀が過ぎる上に周りに大きな影響を与えるお方なのだ」


将軍様は誰に聞かせるでもなく弁明を始めるがむしろ自分に言い聞かせているようだった。

この有能な将軍様はガッツリ母親から妻まで近衛家に囲われている。そしてそれを利用もしている立場上、近衛のおじゃるを悪くは言えないのだろう。とにかく厄介な事にあのおじゃる腐っても関白殿下、とてもエライのだ。

俺の知っている天下の副将軍様でももっと偉そうで敵なしな奴だったイメージがあるが現実は将軍様でもこんなものなのかもしれない。


そうしてその苦悩を汲んだのか義元が助け舟を出した。


「越後より上杉めを呼べば近衛卿も大人しくなるのでは?」


あー顔合わせ辛いとか言ってた最近名前を変えたという噂の上杉輝虎さんか。あのおじゃるが顔合わせ辛いと思ってるって事は相当お怒りなんだろう。是非顔を合わせてほどほどに痛い目にあって欲しい。


「一国の主をそう簡単に呼びつけるわけにもいくまい」


はははと笑いが漏れるが、将軍様がふと溢す。


「治部大輔は足利の縁者、出来れば余の近くで力を貸して欲しいのだがな」


義元も家督は息子に譲ったと聞いたけど京で再就職というルートもあるのか?


「とはいえ今は大人しくなった三好がそれを静観するとも思えん」

「話が逸れたな、近衛兄はなんだかんだ憎めぬ御仁だ。上杉への配慮もかたじけなく思っておる。どうか今後ともよしなに近衛兄とつきおうて欲しい」


身内への情なのか、これまでの浅からぬ付き合いからの言葉なのか…従兄弟といっていたが確かに白粉とおはぐろを取ったら結構似ているような気がする。

だが肝心の性格…というか人としての器というヤツがおじゃるとは役者が違うと感じられた。

でも今後もあのおじゃるとお付き合いを推奨されたけれど、これって絶対断れない流れじゃん?それは卑怯じゃね?


「はは!卑賤の身なれどお力になれるよう尽力致します!」


そうして俺は空気を読んで臍を嚙んだ。

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