第九十四話 剣の道
近衛のおじゃるハウスから京での宿泊地になっている建仁寺に帰ってきて一夜が明けた。昼に出たハズなのに深夜に帰ってくるとか何を考えていると義元に詰められ俺らは修学旅行で夜遊びに出かけようとしたのがバレた生徒のように縮こまっていた。
俺は悪くない…と釈然としない気持ちを抱いていたが、なんでも京の治安は決して良くないらしく一応俺らの事を心配してくれていたらしい。
優しいかよ…なんかホントすいません…
そうして義元のお説教を食らいすっかりしなびた俺達はそのまま将軍との謁見の場での話を聞かされていた。
なんでも剣の話で盛り上がり、同行者にスゴイ奴がいると話をしたらどうやら将軍様のお知り合いらしい。
「そういうわけで疋田、上様がそなたに会いたいと申しておる」
「はえ?」
俺は変な声が出て思わず疋田の顔を見る。ポーカーフェイスなのか表情筋が無いのか全くコイツの心の内が読めなかった。
「疋田おまえ…上様とお知り合いなのか?」
「上様は師の元で共に剣の腕を磨いた弟弟子で御座います」
突然のカミングアウトにその場の空気が凍った。
誰だよ師って、えっと…かみいずみなんとかさんだったか?何モンだそいつ?突然疋田がエライ奴に思えてきてしまった。
「上様は上泉信綱殿にお会いし、また師事を頂きたいと仰られておったが同行者は疋田という者だけと申し上げた所、上様は其方にも是非会いたいと仰られてな…」
義元の顔も渋面である。
「上様は会いたいと仰られておりますがそれはその…御前試合とかじゃないのですよね?」
純粋に会って話をしたいのか、剣の腕を見たいのか、会って剣を交えたいのか、師事を受けたいのか…それとも全く別の意図があってなのか。
義元が頭を抱え深い溜息をついた。
「最初は手合わせをしたいと申されておったが、流石に近習に大反対されての」
手合わせ…?
俺も頭を抱えた。横目で疋田を見る、相変わらずの仏頂面である。何を考えているのかわからない。
「一応上様と近習の者とで相談した所、家臣の者らと我ら駿河の者とで剣の稽古に勤しんでおる所をたまたま通りかかるという事になった」
……んー我ら駿河の者…?まさか俺も?
横を見ると秀さんと目が合う、そして滝川のおっさんとも目が合った。皆鳩が大暴投の顔面デッドボールを食らったような顔をしている。
その場で疋田だけが一人変わらぬ顔色をしていた。
◇ ◇ ◇
「イヤーー!!」
雪が残る朝の空、二条御所の中庭に威勢の良い声が響く。
俺は何の因果か将軍様の家臣、そして今川の家臣らと合同で剣の稽古をしていた。この時代に来て疋田の師事も得て剣術の真似事はしているのだが俺は基本頭脳労働者、ハッキリ言って剣の腕はからきしである。
「ちぇすとー」
俺は目立たぬよう端の方で秀さんとコンビを組んで打ち合いをしていた。
今回の主役の疋田は滝川のおっさんと組んで打ち合っていたのだが、哀れおっさんが疋田にボコボコにされると将軍様の家臣団に乞われて順番に立ち合っていた。そして将軍様の家臣団を次々と容赦なくボコボコにしていく。そして一通りボコった後に駿河の今川家臣もそれに触発されたのか疋田に立ち合いを求めボコられていく。
まるで誘蛾灯である。
そうしてこの場で疋田にボコられていないのは俺と秀さんだけとなった。
そんな中、廊下を近習の者がしずしずと歩いてやって来る。この場にいる者の空気が張り詰めたのが分かった。皆慌てて木剣を置いてその場に跪く。
そうして将軍、左近衛権中将、足利義輝が姿を現した。
廊下をゆっくり、泰然と歩いていた足が止まる。そうして廊下から庭を睥睨し声をかける。
「大儀である。続けよ」
「「ははっ!!」」
稽古が再開される。俺も皆に倣って顔を上げなるべく将軍様を見ないように…ちらりと覗き見る。
へぇ…コイツが将軍様か…精悍そうな顔つきで思ったより若く見える。だがそれよりも俺は他人の空似かもしれないが何処かで似た顔を見た気がした。
「上様!おやめくださいませ!」
近習の静止の声が響いた。
将軍様が庭に下り立つ。近習の者がそれを止めようとはするが将軍様の歩みを止められるものではない。
だがこの場に…それこそ静止をした近習の者ですらそうなるだろうと半ば諦めていたのではなかろうか?予定調和のように将軍様は疋田の前に立った。
「兄弟子、お久しゅうござる」
将軍様が親し気に疋田に声をかける。それに対して疋田は目礼で応える。
「左近衛権中将様におかれましてはご壮健そうで何よりでございます」
廊下には泣きそうな顔の近習、そして渋い顔をしている義元がこちらを見ていた。
将軍様が近くにいた家臣から木刀を受け取る。
「昔日のように胸を借りさせて頂きますぞ」
「師のように道を導く事能わぬ未熟な身なれど、全霊を尽くしましょう」
そうして稽古が始まった。
他の連中には容赦なく頭に一本くれてやっていたが、将軍様に対しては胴だった。
流石に天下の将軍様の頭を引っ叩かない程度の分別はあったようだ。つーかアレって竹刀か?
「お強くなられました」
結局疋田がストレートに三本取った。強すぎねぇかアイツ…?
「剣の頂きは未だ遥か遠く…か」
無念そうに呟く将軍様だがどこか晴れ晴れとした様子だった。それに先ほど木刀を渡した家臣が語る。
「この場にいる者は皆一様に疋田殿にやられまして御座います」
周りを見ればどいつもこいつも疋田にボコられてあざを作っている。間抜けヅラを晒している皆を見て将軍様が笑い出すと皆もつられて笑いだす。二月の澄んだ寒空に笑い声が響いた。
上手く落としたな…と思ったのだが不味い事になった。俺は後ろで目立たぬようにしていたのだがうっかり将軍様と目が合ってしまった。
そうして将軍様がまじまじと俺を見る、無傷の俺に気付いたようだ。どうみても弱そうなのに無傷の俺を見て将軍様が訝しむ。ちなみに秀さんには俺が一本打ち込んであざを作っていた。
「この場に無傷の者が居るとは…兄弟子と引き分ける程の腕前か?」
疋田の仏頂面からは表情が読めないが、その顔には心外だと大きく書かれている気がした。疋田が俺の紹介をしてくれる。
「私の今の主、熱田の大宮司、千秋季忠殿にございます」
「熱田の大宮司殿か!」
嫌味の無い良い笑顔だったが俺は何処かで似た顔を見た気がしていた。この爽やかな笑顔にどうしてもうざい笑顔を重ねてしまう。そう、先日会った近衛のおじゃるに似ている…そういえば従弟だとか言ってたな…俺はつい顔を引きつらせてしまった。
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