第九十一話 豊臣と徳川

伊勢と近江を抜けて京へと向かう。年明けで寒いが天候は良く旅は順調だった。

そして街道には地域性溢れ自主性を重んじた関所が多いものかと思っていたが、思いのほか少なかった。これなら尾張の中の方が多くて不便だ。

まぁ馬に乗った偉そうな奴を中心に腰に刀を差したのが何人も同行している武装集団だ。タカるにしても勇気やら命が必要かもしれないとなると道は自ずと開けていくのだろう。


この旅の中、ただ黙々と歩いたというわけではなく皆結構自由に会話をしていた。身の上話だったり得意な事であったり今年の目標であったり…もちろん身分差はあるし義元が話す時には皆傾注するが、それでも適度な会話はお互いの垣根をほぐし良い気晴らしになっていた。

淡海の海…多分琵琶湖の事だと思うがそれが見えた時には観光旅行気分で皆歓声を上げたりもしていた。



「「豊臣」に「徳川」ですか…?」


俺は義元の懐刀の久野元宗くのうもとむねさんと話をしていた。元々なんとなく馬が合ったが、この旅で彼と話す事が一層多くなった。


「随分と大層な名前ですが某は聞いた覚えがありませぬな」


この時代の知識に明るい久野さんでも「豊臣」と「徳川」の名は聞いた事が無いらしい。というか言葉尻から「御大層な名前すぎて厨二病のような痛い苗字ですね?」みたいなニュアンスをひしひしと感じる。

何処かの未来で木下藤吉郎と松平元康が苗字を変えるのだとは思うが…今の所そんな兆しはない。少なくとも永禄八年現在「豊臣」も「徳川」も存在しないようだ。

織田信長が死に、この後織田信長が戦乱の世を制し、天下を統一その間近、本能寺で死にその後秀吉が豊臣政権が樹立し、家康が徳川幕府が成立する…そんな「歴史」だったハズだが俺は織田信長という歴史の道標を失い、「豊臣」と「徳川」に頼ろうと思ったがそれもままならないようだ。

俺は「千秋秀吉」と名乗る義理の息子となった「豊臣秀吉」を横目で流し見た。



そして最近になって俺は少し令和の時代の記憶の方が夢なのではないかとも思い始めていた。

車だの飛行機だのパソコンだのインターネットだのスマホだのドアホンだのエレベーターだのウォッシュレットだの…そんな諸々の記憶はしっかりある。

だがこの未来の知識を夢だと思ってしまいそうな理由として、俺は令和の時代の道具は思い出せても人の顔と名前がさっぱり思い出せないのだ。会社の上司やら取引先の顔と名前…そんなものはすっぱり忘れてしまっても全く問題ないのだが、俺の親、そして一緒に育ったはずの兄弟の顔と名前までも思い出せずにいた。もっというと自分と交友関係があった全ての人間の記憶があやふやだった。


ただ令和から遡り過去の偉人は思い出せる。ペリーとかチンギスカンとかなら余裕だ。徳川家康やら暴れん坊将軍ももちろん知っている。

ただ俺が生きていた身の回りの人間の顔と名前を誰一人として思い出せない。思い出そうとしても顔に…記憶に靄がかかったかのように、そして思い出そうとすればするほどぼやけてしまうのだ。

そしてつい嫌な想像をしてしまう。


『歴史が変わってしまい令和の時代の人間の存在は確定していないのではないか?』


突然考え込み黙ってしまった俺を心配したのか久野さんが声をかけてくれた。俺はあわてて意識を戻す。


「千秋殿はその名前を一体何方で耳にされたのですか?」


豊臣政権や徳川幕府といった未来の知識があると言っても信じて貰えないだろうし、そもそも今や確信が持てないあやふやな情報だ。俺は適当に誤魔化す事にした。


「ああいや…自分が改名するのだったら縁起が良さそうな名前が良いかなと思いまして」


だが久野さんは呆れたように言った。


「千秋殿は藤原氏直系で代々熱田の大宮司を担い、源頼朝公の母御であらせられる由良御前を出された由緒あるお家ではございませぬか」


…え?なにそれ?頼朝の母?頼朝っていいはこ作ろう鎌倉幕府の人?久々に千秋季忠の記憶を漁ってみると…


ほ ん と だ


どうやら千秋家の祖先には本当にそのような人がいたようだ。家としても名誉な事で…なんか千秋季忠が酒の席で酔ってご先祖自慢してマウントとってる記憶まであった、アホかコイツは…

俺は信じられないといった表情をしてしまっていたが、久野さんも似たような顔をしていた。


「その…無理にそのように傾いた名にせずともよろしいのでは?」


なんだか久野さんに優しくオブラートに包んで痛い名前はやめとけと諭されてしまった。

彼の優しい目が少し辛かった。


◇ ◇ ◇


そうして二日ほどで一行は京に到着した。正確には逗留の拠点となる建仁寺というお寺さんにやってきた。なんでも義元の古巣のお寺さんらしい。

…神社の宮司やってる俺が泊まっていいんだろうか?というか座禅とかやった事ないんだが?


そうして初めて京までやってきた俺の感想は「思ったより近いな」だった。そう思うのはこの時代に慣れてしまった証拠だろう。

荷物を下ろして義元は足を洗いながら残念そうにのたまった。


「なんじゃ面白うない、疋田の剣を見れると期待しておったというのに」


義元は荒事が一回も起きなかった事を残念がっているようだ、お寺で人斬りの話とかなんて物騒なおっさんなんだ。


「某は見せる事が無くて良かったと安堵しております」


疋田はすました顔で言っているがこいつは基本面倒くさがりだ、本当に仕事をしなくて無くて良かったと喜んでいるように見える。

だがいざその荒事が起こった時に見れるのは残念ながら剣ではなくスコップ格闘術なんだよなぁ…

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