第七話 お手軽澄み酒製法

良い歳になって久々に前後不覚になるほど酒を呑んだ翌日、下からクソこそ漏らさなかったが、代わりに上から諸々を漏れ出した。

二度と酒など呑まぬと伊勢の大神に祈るだけの日を過ごし、その舌の根も乾かぬうちに藤さんに良い酒を造るという酒蔵、中山屋へ案内して貰う。

伊勢の大神おてんとうさまは見ているのは本当かもしれん…


「もうおんしから特別な酒を造りたいという話は通してある」


さすが藤さん…俺が潰れている間に手際が良すぎる…


「助かる藤さん、それでその恰好は?」


藤さんは蓑笠と蓑を被り冬の旅格好をしていた。


「わしゃこれから大阪の紙問屋に行って話をしてくる」


どうやらこないだ話したばかりの次の富くじの為に紙の準備に回ってくれるようだ。


「紙は冬場に作る、今のうちに確保なり増産なり話をつけくるわ」


なるほど、そうだった。


「去年はいきなり紙を一万枚用意しようとして苦労したからな」


この紙は貴重品だ、紙が安定供給されるのはもう少し先の江戸時代だっけか?まぁ戦乱の世の中では生産業はどうにも安定しない。


「おうよ、とりあえず一年分と予備の紙を調達してくる」


寒空の下、藤さんは威勢よく部下を伴って出立する。


「藤さん!道中気をつけてな!」


布地の薄さもあって自分の知っている冬より寒い気がする、旅の無事を願い声をかけた。

藤さんは笑って去っていった。

大阪か…大阪城、食い倒れの街、たこ焼き…たこ焼き食べたいな、今の時代ソースは無さそうだが醤油ならあるのか?

材料は小麦粉と卵と牛乳とタコ…牛乳の入手難度が案外高そうだな…帰ってきたら温かい美味いもんでも振舞ってやりたいものだ。

そんな事を考えながら酒蔵へ赴く。


「千秋様、お初にお目にかかります中山屋の六代目店主、中山永吉で御座います」


中山屋の店主は三十代位の人当たりの良さそうな笑顔の持ち主だった。

腰も低く温和な笑顔で絵にかいたような商売人といった感じだ。


「古くは鎌倉の時代に…」


と、店の沿革を説明してもらいつつ酒蔵へと向かう。


「ご店主には秘伝の酒造りに力をお貸し願いたい」


上手く澄み酒が出来れば伊勢神宮に納めてブランド化して全国に流したい。


「木下様から聞き及んでおりますが秘伝の酒…ですか」


どんな酒なのかと興味はあるようだ。


「俺も古い文献を流し見しただけで詳しい作り方は分からないが、是非手伝って貰いたい」


まぁそんな感じで適当に濁しておく。


「ええ、どのような酒なのか一同楽しみにしております」


永吉さんは酒好きなのか研究家気質なのか、目の色が子供のそれになっている。


「とりあえず一樽購入させて貰おう」


これなら最悪失敗しても文句はないだろう。


「ありがとうございます」


ニコニコ顔で応じる永吉さん。


酒蔵を案内してもらう。酒蔵には何樽もの樽が並びそれぞれになみなみと酒を湛えていた。

冬場の方がゆっくり発酵して良い酒になるんだったか?


「こちらでございます」


永吉さんに案内された樽には出来立てであろう芳醇な香りを湛えたにごり酒があった。先日大変な目にあったばかりだが喉元過ぎればなんとやら、間近で見るとやはり美味そうだ。藤さんが言ったように中山屋さんは一つ抜きんでているといったのは本当のようだ。

そして樽に懐から予め用意した灰を懐から取り出し酒樽に撒く。


「なっ」


瞬間店主、永吉さんの表情が豹変した。


「ウワオオオオォォォォォォォォ!!」


人のものとは思えぬ奇声が上がった。

そしてその奇声が怒声であった事に一瞬間をおいて気がついた。

その怒声は酒蔵中に響き震えさせ全ての空気を肺腑から絞り出し尽くした後『鬼』がこちらに詰め寄ってきて胸倉を掴まれた。

顔は紅潮し額には血管が浮き上がり、眉間の皺は深く眼窩は昏く、そしてその目は血走り瞳の奥には憤怒の焔が宿っていた。

先ほどまでの穏やかで人の好さそうな永吉さんの姿は今や何処にもない。人違いかとも思ったがそれらしき人の姿はなかった。

そして鬼から地の底から滲み出るような怨嗟の声が響く。


「酒の一滴…血の一滴」

「ワシらがどれだけ魂を込めて…」

「米を一粒一粒…家人総出で丁寧に…丹念に削り…」

「大切に大切に育てた酒を…」

「戯れに灰などブチ込んで台無しにしやがって!!!!!!」

「お前の血で償って貰おうかか!!!!!!!!」


震える拳で着物を千切らんとばかりに胸倉を掴み血の涙を流しそうな形相で俺を詰める。


「え、ご、ごめんなさい!?」


誰か止めて…と周りを見渡したが、後ろの中山屋の家人も止めるどころか殺気立っている。

それどころか刀まで持ちだしてきてる家人までいる始末。


「木下様の紹介とはいえ、こん畜生…超えちゃならん一線を安々と超えやがったな!!」


「お、落ち着いて!」


とりあえず言い訳をする。


「こ、これは秘伝の酒の製法でだな…ど、どうか一日、いや半日待ってほしい!」


「はああああああ??????」


威圧なのか怒声なのかわからないが重みと凄みのある喚声、人間こんな声が出せるものかと恐怖に慄く。


「秘伝…こんなものが秘伝だとおおおおおぉぉぉぉ!?」


憤怒の表情、目を血走らせた鬼の形相の栄吉が逡巡する。

…そして暫くの沈黙の後、永吉さんが地の底から響くような声を出して応える。


「半日…半日ぞ」

「明朝…までお待ちましょう…」


怒気を押し込んで刻限を指定する。


「ですが………………!」


押し殺すように、永吉さんは「ですが」の続きの言葉を紡がなかった。その後の言葉は絶対に聞きたくないが、言わないとなると気になる…

俺は周りを家人にしっかりと囲まれ、奥の座敷へ案内された。

明朝までお待ちされて…俺はその後どうなってしまうのだろうか…知りたいがやはり知りたくない…


一人座敷に押し込められる。夕餉には糒(ほしいい)と茶を出された。腹は減る時間ハズだが、とても喉を通る気がしない。

座敷の唯一の出入り口になっている障子の向こう廊下には人影が一人分、そして庭には砂利を踏む音から何人かの家人がいるようだ。

ガチャガチャと何か棒状の物を持ち運んでいるのが分かる。

何を持ち運んでいるのか知りたいが知りたくない…俺に関係しない事を祈るだけだった。


これで澄み酒ができなかったら…


そして日は傾き夜の帳が下りる。

辺りは黒、だが月明かりに照らされ廊下で佇む人の影が障子に堕ちている。どうやら交代でずっと障子越しに一人は廊下に控えて…いや控えているのではなく監視をしている。

シンと静まる深夜、障子を一寸開ける音が微かに響く。その隙間からこちらの様子を窺う目。向こうからはこちらが見えにくいのか。忙しく目を動かしてこちらを確認しているようだ。そして俺の存在を確認したのか、目と目が合う。目は暫く俺を見つめた後、やはり微かな音を立てて障子を閉める。

こええよ…

部屋の隅で親父殿から預かった名刀「あざ丸」を抱き一人震え考える。

灰を醸造過程の何処辺りでどれくらいの量入れるのか?温度とか湿度は適正だったか?炭の種類や米の種類でも効果が違ってくるのか?そしてなにより半日待ってくれと言ったが半日で効果が出るものなのか…?

冷静になって考えると自分が何も知らない事を思い知る。


「軽率過ぎたな…」


冷静になって考えると永吉さんは「米を一粒一粒…家人総出で丁寧に…丹念に削り…」なんて言っていた。何かの比喩かもしれないが言葉通りならその情熱に灰を盛った事になる。

闇の中一人後悔する

今ここに俺がいる事を知っているのは藤さんだけだ。


「藤さんは…紙を買いに行くって言ってたな…」


その頼みの藤さんは今は伊勢にはいない。

その日は一睡もできず「あざ丸」を手から絶対に離さなかった。


夜が明け朝日が障子越しに漆黒だった室内を徐々に明るく照らしていく。

まだ朝の凍える空気に永吉さんの声が響いた。


「千秋様、お時間でございます」


こちらも一晩それなりに考え、覚悟を決めた。一晩明けて人の顔に戻った永吉さんが酒蔵まで先導し、家の者が総出で俺の脇を固めるように囲み無言で連行された。

家人の視線が痛い。

昨日俺が灰を撒いた酒樽を前に永吉さんが厳しい表情で立つ。


「それでは中を改めさせて頂きます」


そう言って永吉さん自らの手で酒樽の蓋が取り払われる、中を覗くと…



完全な失敗だった。

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