第16話 その日の帰り道、ひとりぼっちのこだま
(また、やっちゃった……)
放課後、一人寂しくとぼとぼと昇降口を歩いていたこだまが自分の失敗を振り返ると共にに大きなため息を吐く。
友人たちとわいわい騒ぎながら帰宅する級友たちの姿を目にした彼女はただでさえ暗い表情を更に曇らせ、その明るくはしゃぐ声から逃げるようにしてバス停へと向かっていった。
「……ありがとうもごめんねも、どっちも言えなかった。あたしが悪いのに、助けてくれたのに……」
今朝、上級生たちの不躾な視線から自分を守ろうとしてくれた狛哉に暴言を吐いてしまったことをこだまは後悔していた。
事情を知らなかったとはいえ、それで許されることではないと……そう思った彼女は今日の内に謝罪をしようと思ったのだが、それをできないままこうして放課後を迎えてしまっている。
そう難しいことではないはずだ。振り返って、さっきはごめんと言えばいいだけなのだから。
だが、うじうじ悩んでいるせいでそれができず、声をかけるどころか背後を振り向くことすらできなかった自分自身が本当に情けなくて仕方がない。
そんな自分に対して狛哉が声をかけてこないのは、彼が怒っているからではなくて……自分のことを気遣ってくれているからなのだろう。
こだまが自分の体型をコンプレックスに思っているからこそ今朝の出来事に強いショックを受けていることを理解している狛哉は、そんな彼女の心が落ち着くまでそっとしておいてくれようとしているのだ。
それかもしかしたら、不器用な方法でしか彼女を助けられなかった自分のことを気にしているのかもしれない。
もっと自分が上手くやれば、こだまにショックを受けさせずに今朝の問題を解決できたのではないか、と……そう彼も悩んで、自分に声をかけることを躊躇っているのかもしれないとこだまは考える。
その原因は間違いなく自分にあって、普段通りにあの程度のセクハラなんてどうってことないと強がることができれば多少は狛哉の気も楽になったはずだ。
……いや、そうではない。自分がすべきことは、感謝と謝罪の気持ちを彼に伝えることだった。
酷いことを言ってごめんと、助けてくれてありがとうと、素直にそう言うことさえできれば、きっと自分たちの間にある気まずさはとうに消え去っていたと思う。
ついカッとなって強い口調で彼のことを責めることはできるくせに、肝心なところで気持ちを強く持てずに尾を引き摺り続けてしまう自分の弱さが嫌で嫌で仕方がないこだまは、誰もいないバス停で再び大きなため息を吐く。
明日、バスで顔を合わせた時に謝らないと。今日の内に気持ちを落ち着かせて、何とか明日までに切り替えて……それで、狛哉に今朝のことを謝罪しよう。
もやもやとした頭の中に自分がすべきことを思い浮かべたこだまは俯いたまま小さく頷くことを繰り返していたのだが、そこで再び、昨日感じた悪寒が背筋に走った。
「っっ……!?」
見られているという感覚。今朝、上級生たちにぶつけられたそれよりも何倍も気持ちが悪い視線が自分へと注がれている。
勘違いじゃない。間違いでもない。誰かが自分のことを見つめて、付け狙っているのだと、そんな確信を得たこだまが怯えながらも周囲を見回すも、そこに不審な人物の姿はなかった。
それでもこだまは安心できない。むしろ、姿の見えない不審者の陰に怯えの感情を強くした彼女が息を飲んだその時、彼女を救い出すかのようにバスがやって来る。
大急ぎでそれに飛び乗り、奥の座席に座った彼女は、じっとバスの乗降口を見つめ続けた。
自分以外の誰かがこのバスに乗ってきませんようにと必死に祈るこだまが注視し続ける中、運転手のアナウンスと共にプシュゥと音を鳴らして扉が閉まる。
問題なく走り出したバスがすいすいと予定経路を走り出し、バス停から離れていくにつれて緊張を解していった彼女は、安堵したように肩の力を抜いて席に体を預けた。
(誰なの? 誰が、あたしのことを……?)
今日は危機を回避できた。だが、次がどうなるかはわからない。
もしも不審者が自分の下校ルートや家の住所を特定したとしたら? その情報を用いて、大胆な犯行を企てたとしたら?
そんな恐ろしい想像を働かせたこだまは恐怖に身を竦ませると共に、小さな声で呟く。
「ハチ……っ」
どうして出会って間もない彼の名前が口をついて出たのかは、こだま本人にだってわかっていない。
ただ、こだまはこの呟きで痴漢に遭遇した時や上級生の視線から守ってくれたように、無意識の内に彼ならば自分のことを助けてくれるという信頼を寄せ始めていることに気が付いた。
そして、その彼が今、傍にいてくれない心細さに拳を握り締めた彼女は、それを必死に耐え続ける。
これは罰なのだろうか? 彼に酷いことを言って、それを謝ることができなかった自分に神が下した天罰なのだろうか?
きちんと謝罪できていれば、気まずい空気をどうにかできていれば、今、自分の隣に狛哉がいてくれたかもしれないと考えてしまったこだまは、込み上げてきた涙を懸命に堪えながら口を閉ざす。
明日も、明後日も、もしかしたら自分を狙う誰かはこうして姿を現さずに隙を窺い続けるのかもしれない。
そんな毎日がいつまで続くのかわからない恐怖に怯えるこだまを乗せるバスは、皮肉なまでの平常運転で路線を走り続けていた。
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