第11話 ハチ公、再びご褒美をもらう

「お待たせ。荷物とブレザー、取ってきたよ」


「悪いわね。もうちょっと待ってて」


 それから数分後、煩悩と戦いながら保健室までこだまを送り届けた狛哉は、教室に置いてあった二人分の荷物を手に再度彼女の下を訪れていた。

 担任に多少の嘘を織り交ぜて事情を説明するといった作業も含めると結構時間がかかったはずだが、まだ彼女は着替えを終えていないようだ。


 ベッドを取り囲むように閉められたカーテンの向こう側で動く影と、しゅるり、しゅるりという布擦れの音にちょっとだけ不埒な想像を働かせてしまった狛哉が顔を赤くしながら視線を背ければ、ここまでの全てを見ていた保険医と目が合ってしまう。

 何か微笑ましいものでも見るような表情を浮かべている中年の女性は、うんうんと頷きながら彼とこだまの両方に声をかけるようにして口を開いた。


「ごめんなさいね。まだ新入生用のジャージが届いてないから、上級生用の色違いのジャージしか用意できなくて。サイズ的にもギリギリだったから、選ぶのに手間取っちゃって……」


「大丈夫です。服を貸してもらえただけでも十分助かってます」


 シャーッ、と音を響かせながらカーテンを開けたこだまが保険医へと感謝を告げつつ狛哉の前に姿を現す。

 袖と首回りが緑色になっている二年生用の体操服とそれに合わせた同色の短パンを履いた彼女は、キツそうに張っている胸元を気にしているようだ。


「う~ん、胸が大きいと大変ね。一つ大きめのサイズにしたのに、お胸が苦しそうだわ」


「いつもこんな感じなので諦めてます。これ以上大きいのを着るとだぼだぼでみっともないですし」


 仕方がない、とこういった事態に慣れているこだまが保険医に応えながら緑色のジャージを羽織る。

 そうした後、ここまでの会話を黙って聞いていた狛哉へと視線を向けた彼女は、目を細めて睨むようにしながら彼へと言った。


「何ジロジロ見てるのよ、エロハチ。念のため聞くけど、あたしのブレザーに変なことしてないでしょうね?」


「すっ、するわけないでしょ! もう少し僕のことを信用してよ!?」


 危機を脱したお陰か強気な態度を取り戻した(先程までも十分強気だったが)こだまにジト目で見つめられた狛哉が大慌てで彼女の疑念を否定する。

 当然ながら自分が彼女の服に対して何かいやらしい真似をしたという事実はなかったが、こだまの体操服姿に見とれていたという部分に関しては否定しきれない。


 背が低いのに胸は大きいロリ巨乳体型はこだまにとっての地雷であることはわかっているのだが、思春期真っ盛りの男子である狛哉が目の前の魅力的な光景に視線を奪われるというのはある意味当然のことで、悲しき男子の性というやつである。

 ただ、やはり彼女がコンプレックスに感じているであろうその部分を掘り返すことはよくないと、犬としてではなく一人の人間としてそういった心掛けはしっかりしておこうと罪悪感を覚えながら改めて狛哉が自分自身に言い聞かせる中、ジャージのジッパーを閉じたこだまが右手を出しながらこんな命令を出してきた。


「……ハチ、!」


「えっ? あっ、は、はいっ!」


 ほぼ反射的に返事をした狛哉は、差し出されたこだまの手に緩く握った自分の右手を置いて、言われるがままにお手の芸をしてみせる。

 自分は何でこんなことをしているんだろう……と、自身の行動に一種の虚しさを感じていた彼は、指先に何か固い物が触れていることに気が付き、眉を顰めた。


 こだまの掌に乗っているそれを自分の手の中に滑り込ませ、右手を反転させてそれが何であるかを確認する狛哉。

 指先に乗っているそれが小さなボタンであることを見て取った彼は、少しの間きょとんとした後でみるみるうちに顔を赤く染めていった。


「も、も、森本さんっ!? あの、これって――!!」


「……吹き飛んだワイシャツのボタン。あげるわ、あんたに」


「な、なんでっ!? どうして!?」


「ご褒美よ、ご褒美。ご主人様のために頑張った駄犬に対するあたしからのプレゼント。別にいらないし、喜んで受け取りなさい」


 そう言いながら狛哉が持ってきた自分の鞄の中に脱いだばかりの制服一式を詰め込んでいくこだま。

 よく見ればその頬はほんのりと染まっており、彼女もこの行為に対して恥ずかしさを感じていることがわかる。


「ぼっ、僕もいらないよ! こんなの貰っても、どうすればいいかわからないし……!!」


「うっさいわねぇ。たかだかボタン一つでキャンキャンワンワン吼えるんじゃないわよ。あんたの働きに対するご主人様からのご褒美なんだから、ありがたく頂戴して家宝にでもすればいいじゃない」


 気恥ずかしさを誤魔化すようにぶっきらぼうにそう吐き捨てたこだまが鞄を手にすると保健室から出ていこうとする。

 彼女から貰ったボタンと、彼女の背中を交互に見つめる狛哉があわあわとする中、不意に立ち止まったこだまがおなじみの命令口調でこう言った。


「わかってると思うけど、このことは誰にも言うんじゃないわよ。それと、あたしの醜態は今日中に記憶から抹消しなさい。わかったわね、ハチ!?」


「わかってる! わかってるけど、そんなこと言うならこれを僕に渡さないでよ!!」


 このボタンがある限り、目にしたこだまの下着姿が何度でも思い出してしまうと、そう告げる狛哉を放って彼女は一人で保健室を出ていってしまった。

 取り残された彼が羞恥と動揺が入り交じった表情を浮かべて掌の上にあるボタンを見つめ続ける中、楽しそうに笑う保険医が彼へと質問を投げかける。


「どうする? 私が預かっておきましょうか? ボタンの替えとかがあると修理の時に便利だし、助かるんだけれど……」


「……いえ、すいません。これは僕が貰っておきます」


 保険医が出した助け舟に乗らず、こだまからのご褒美であるワイシャツのボタンをポケットへとしまう狛哉。

 年相応のスケベ心か、はたまた主からの褒美の品を誰かに譲り渡すわけにはいかないという犬の本能が働いたのかは定かではないが、そんな彼の反応を見た保険医は、クスクスと声を出して笑いながら立ち上がると、大きく頷いてから言う。


「青春ね~! でも、ああいう子の相手は苦労するわよ? あんまりあなたとは合ってない気がするけれど……?」


「同感です。ただ、どうしてだかこんなふうになっちゃってるので、もう少しこのままでいようと思います」


「ふぅん……? まあ、私が口出しすることじゃあないわね! ささっ、もうそろそろ私も帰るから、部屋を閉めるわよ! あなたも帰った、帰った!」


 彼女に追い立てられて保健室から出た狛哉は、ポケットの中にある小さなボタンを指先で触れながら何ともいえない表情を浮かべていた。

 一人廊下を歩き、受け取ったはいいがどう扱えばいいのかわからない刺激的なそれを弄りながら、まるでご主人様から貰ったおもちゃで遊ぶ犬のようだと自嘲気味に笑った彼は、直後に盛大なため息を吐き出すのであった。


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