第10話 ハチ公、ご主人様をおんぶする
「お、おんぶぅ!? そ、そこまでする必要があるの、うわわっ!?」
突然の第二命令に素っ頓狂な声を出し、そこまでする必要があるのかとこだまに問いかけようとした狛哉であったが、彼女が組んでいる腕を外した瞬間、再び胸の谷間と下着が露わになる様を目にして大慌てで手で顔を覆う。
もはや開き直った様子の彼女は、そのままボタンを吹き飛ばすだけの破壊力がある胸を曝け出したまま、彼を睨んで話をしていった。
「見ての通りよ。あたしがうっかり手を放せば、こんな風に大恥を掻く羽目になるわ。でも、これ以上の防御力を持つ服はない。だったら、何か他の物で隠すしかないじゃない!」
「……僕の体を盾にしろって、そういうこと?」
「そうよ! 後ろからの視線は大きめのブレザーでカット! 前から見られてもあんたの体があるから問題なし! あたしが具合が悪そうなふりをしてれば言い訳できるし、これがベストな作戦でしょう!?」
「そ、それはそうかもしれないけどさ、僕が森本さんをおんぶしたら、その――」
確かにこだまの作戦を実行すれば、彼女の開いてしまった胸元を誰かに見られる心配はなくなるだろう。
ただそうなった場合、こだまは狛哉の背中に体を預けることになるわけで……当然ながら、二人は密着することになるはずだ。
あの胸が、どどんと音を鳴らしそうなサイズをしているこだまのたわわが、自分の背中に押し当てられる。
未知の体験に対する妄想を膨らませる狛哉は未だに曝け出されている彼女の胸の谷間を見て顔から湯気を出さんばかりに慌てながら、ぶんぶんと首を左右に振ってみせた。
「や、やっぱりマズいよ! 何か別の方法を――」
「あんたの意見は聞いてない! ご主人様の命令にははいかYESかワンで答えろって言ってるでしょ!? ほら、こんなことしてる間に誰かがあたしたちを探しに来たらどうすんのよ!? ぐずぐずしないで、とっとと背中貸しなさい!」
「わ、わかったよ……」
もうこうなったら覚悟を決めるしかない。どうせこだまが自分の意見を聞くわけがないのだから。
そう判断した狛哉は全てを諦めると共にその場にしゃがみ、彼女へと背中を向けた。
ごくり、という二人が緊張に息を飲む音がざわざわと生徒たちが教室で騒ぐ音に紛れて聞こえる中、遂にこだまが一歩踏み出すと、彼の背中に己の身を預けていく。
「うわわわわ……っ!?」
むにゅり、と自分の背中に当たる柔らかく大きな何かが、重心の移動と共にゆっくりと形を変えていく。
具合が悪い演技をするために体重を完全に預けるこだまの動きによってこれ以上ないくらいに強く押し当てられるそこが、ワイシャツ越しに彼女の温もりと柔らかさを伝えてくる。
マズいのはそちらだけではない。両手に触れる太もももそうだ。
何にも覆われていない素肌であり、普通ならば触る機会など訪れるはずもないこだまの脚を両手で掴む狛哉が動揺する中、ゆるく彼の首に腕を回しているこだまが小さな声で恫喝を行う。
「……言っておくけど、妙なことを考えたりそれ以上スカートの中に手を近付けたりしたら、このまま首を絞めて窒息死させるわよ。あんたの急所は無防備に晒されてるってことを肝に銘じておきなさい」
「は、はい……」
急所を無防備に晒しているのはこだまも同じだと思ったが、それを口にすれば即座に首を絞められるだろうから黙っておくことにした。
とりあえず、このままじっとしていても何も始まらないと思い直した狛哉は気合を入れると共に立ち上がり、保健室にこだまを運ぶために歩き出す。
「うわっ、軽っ……!!」
「……よかったわね、ハチ。重いって言ってたらあんたの命はなかったわよ」
思わず口をついて出てしまった感想に対して、再び脅しの言葉を口にするこだま。
彼女でなくとも体重の話題は女子にとっては禁忌であったとデリカシーのなさを自省した狛哉は、余計なことを言わないようにしようと決意しつつ階段を降りていく。
狛哉たち一年生の教室は校舎の五階、保健室は一階にある。
つまりは四階分の階段を降りなければならないわけだが、これが狛哉にとんでもない試練をもたらしていた。
「うっ、ぐぅ……!?」
下へ、下へ……と段差を降りる度に、背中に押し当てられている二つの柔らかい山の感触が強くなる。
こだまが自分に振り落とされないように強く抱き着いているせいか、単純に位置関係の問題か、はたまたそのどちらもが組み合わさっているのか……理由はわからないが、普通に歩くよりも階段を降りる時の方が彼女の胸が強く押し当てられることになるようだ。
階段一階層分のこれまた半分、踊り場までの距離を歩いただけで既に狛哉の精神は限界ギリギリまで追い詰められている。
どうにか気を紛らわせなければと、そう考えた彼はこだまと会話をすることで背中から意識を逸らそうとしたのだが――
「そ、そういえば、教室に残した荷物はどうしようか? 森本さん、ブレザーも置いてあるんだよね?」
「……悪いけど、あたしが保健室で着替えてる間に取ってきて。先生に事情も説明しなくちゃいけないし、時間的にそれぐらいでちょうどいいでしょ」
「そ、そっか。そうだね! あは、あはははははは……」
――ご覧の通り、会話が全く続かない有様だ。
そもそも口下手な狛哉がこの状況で流暢に女子と会話できるはずがない。
こだまの方も思っていた以上に彼と密着しているこの状況に羞恥を感じているのか、普段に輪をかけてぶっきらぼうな応対しかしてくれないことも会話の続かなさに拍車をかけている。
足早に移動してさっさとこの半分天国、半分地獄のような仕打ちから逃げ出したいところだが、焦って転んだりしたらこだまに怪我をさせてしまうかもしれない。
それでもまあ、当初の目的通りに保健室に行くことにはなるのだろうが……焦って彼女を危険に晒すことは避けるべきだろう。
こうなったらもう無心になるしかない。何も考えず、明鏡止水の心で目的地へと向かうのだ。
遠くを見るような眼差しになり、深呼吸で気持ちを落ち着かせて、手に触れるすべすべとした太ももの感触と背中に押し当てられている柔らかいお山の感触にその心を乱されながらも懸命に気を静める狛哉は、心の中で何度も同じ言葉を繰り返していた。
(下手なことを考えるな、無心になり続けろ! さもないと、本気で首を絞められて殺されるぞ!!)
犬として彼女の言いつけを守ることだけを考えつつ、それができなかった時の折檻を想像して身を竦ませた狛哉が恐怖に怯える。
この時ばっかりは余計なことを忘れさせてくれる彼女の躾の成果に感謝した彼は、そのまま必死に様々なものを耐えながら保健室へと向かうのであった。
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