第16話 恐怖
「桃?」
問いかけると、はじめに押さえられていた桃が暴れる事を止め、俺の方を見ると嬉しそうに笑う。
「白亜、来てくれたんだ‼
ねぇ、この邪魔な男を殺して、じゃないと私が白亜の友達を殺せない。
白亜の本当に一番になれない‼」
「何を言ってるの?」
桃は何をそんなに焦っているのだろうか。
俺は、桃の事を一番だと思っている。
それはこれからも変わる事がない事実なのに、何故か桃はそれを理解せずに先走った行動をしている。
「もしかして、これが桃の言っていたサプライズ?」
「ごめんさい、本当は終わった後に驚かせてあげようと思ったんだけど、突然この男が入って来て」
桃はそう言って、はじめを睨みつけた。
「そっか……わかった」
早く行動すれば良かったんだ。
ポケットに仕舞っていたナイフと取り出し、ゆっくりとふたりに近づく。
直也は重症の為か、虚な目で何もする事もできず見守っている。
そして、はじめは桃を押さえている為に、下手に動くことも出来ない。
「お……おい、やめろ」
はじめが焦り始める。
本当に滑稽な姿だ。
そう思い、俺はナイフを振り下ろした。
ナイフは皮膚を貫き、中に入り込み、血が広がり始める。
「ダメじゃないか、俺を信じてくれないと」
そう言って、俺は桃の手に突き立てたナイフを引き抜いた。
桃は、痛みの為悲鳴を上げ、さらに暴れ始め、はじめをふり払い、その場で転がりながら刺された手を強く抑える。
「いたい……いたい、いたい、痛い痛い痛い……白亜、何で?」
桃は涙を流しながら俺に縋りつくような目で問いかけてきた。
「何でって、こっちが聞きたいよ。
俺は桃をこんなにも信じているのに、なんで桃は俺の事を信じてくれないの?」
きっと桃は俺の為に何かをしてくれていると、桃の言葉を純粋に受け止めてきた日々。
そんな中、中々帰ってこない桃を、それでも絶対帰ってくると信じて何時間も待ったあの夜。
「桃なら裏切らない。桃なら大丈夫って、せっかく信じたのに、桃も俺を置いて行くの?」
口に出すとこみ上げてくる不安。
そうだ、最近感じた不安の正体はこれだったんだ。
置いて行かれる、又俺は愛を失ってしまう。
それが怖くて、怖くて仕方がなかった。
「嫌だよ……俺、もうひとりになりたくないよ」
涙が込み上げてくる。
「ご……ごめんさい、私……白亜の事全然わかってあげられなかった」
桃は手を押さえながらも、俺の方に近づいてくる。
「だって、私もひとりになりたくなったんだもん。
白亜に友達がいて、そいつに向かって自然に笑う白亜が居て、それを見たら奪われそうで怖くて……」
「そんなわけないじゃないか!」
そう言って、桃を抱きしめる。
「俺は、どこにも行かないよ」
「うん……ごめんね、ごめんね……白亜、愛してるよ」
「俺もだよ」
「おい、仲直りしたなら手を貸せ!」
漸くひと段落したと思った瞬間、はじめの叫び声が聞こえ、そちらに目を向ける。
するとはじめは直也の腹部を共に押さえている事に気づいた。
まだ直也は生きている。
出血死を止める為に頑張っているのだろう。
「手を貸すって言ったって、何をすれば良いのさ」
「一緒に止血を手伝ってくれ!」
その言葉に咄嗟に直也の顔を見ると、目にはクマが出来、顔は青白く、視点が定まっていないのが分かる。
「これ、間に合うのか?」
「いいから‼︎」
はじめに言われ、渋々直也の腹部に手を置くと、指先から生暖かく、柔らかい感触がジックリと伝わってくる。
鼓動する感触、微かに痙攣を起こしているのか、一部小刻みに触れている感触。
その何もかもが、死を目前にしている直也を生かそうと足掻いている事が伝わってきた。
「直也、しっかりしろ!
もう救助は呼んでいる、あと少しだ、頑張れ‼︎」
はじめは直也に、何度も声をかけ続ける。
そうだ、あの状況で逃げずに桃に立ち向かい、そして今は殺人鬼を前にして人命救助に必死になっているのだ。
俺も直也は好きだが、正直自分ならそんなリスクを負ってまで救おうとは思わない。
そうか……コイツは本物なのだろうな。
それから少しして、建物の外が騒がしくなり始め、警察官と救急隊が直也の家に上がり込んできた。
俺たちはその場を離れ、その後は救急隊に任せると、体にそっと大きなタオルがかけられる。
「よく、頑張ったな。偉いぞ」
警察官からのそんな優しい言葉に、唖然とする。
何故俺は感謝をされているのだろうか。
だが、それを理解出来ないまま、俺たち3人は保護され、そのまま警察署へと連れて行かれた。
それから警察署内では、桃が自らの罪を自首した為、俺とはじめはその第一発見者として事情聴取を受け、拘束時間は数時間で住み、呆気なく帰される事となる。
一方直也は集中治療室に運ばれ、現在もどうやら生死の境を彷徨っているらしいが、このまま上手くいけば容態は安定していくらしい。
だが、その場でもうひとり刺されて横たわっていた女性、後に直也のたったひとりの肉親である母親と知るその人は、即死だったと言う。
はじめもそれに気づいていたから、迷わず直也の元へ止血に迎えたのだろう。
こうして、この事件も漸くひと段落ついたかに見えたが、俺にとっての問題はそこではない。
警察署から出る為に必要な、俺の身元引き受け人問題。
俺には両親がいない。
つまり、誰も引き取り手が居ないのだ。
こうなれば、母さんに親戚のふりをして迎えにきてもらおうと電話帳を遡っていくが、そこで1つの違和感に気づいた。
電話帳の中にも、母さんとの着信履歴も、何もかもが綺麗になくなっている。
「あ……あれ」
何故見当たらない。
どれだけ見直しても、どこにも母さんの名前がない。
何故だ、何がどうなっている。
その瞬間、まるで狙ったかの様な激しい頭痛につづけて、フラッシュバックするかの様に昨日の桃の姿が脳裏を過ぎった。
手に握られた白い仮面。
頭の中にノイズが走り、頭痛が徐々に酷くなっていく。
「君、大丈夫か?」
警察が俺に手を伸ばそうとしたが、その姿が自分の父親と重なり、ゾクリと寒気を感じた。
やだ、触るな‼︎
恐怖から体が硬直すると、突然その手は、誰かの手によって遮られ、次第に視界を邪魔するノイズが消えていく。
するとそこには、はじめが俺に伸ばしてきていた手を掴んで止めている姿があった。
はじめは気にせず、警察官に微笑みかける。
「俺の家、こいつの家の近所なんで、両親が来たら一緒に帰りますね」
そう言うと、警官の手を離し、今度は俺の腕を掴み待合室へと向かって歩き出した。
「何で……」
「警察はまだお前の罪には気づいてないが、今回の逮捕で芋づる式にお前の犯行が明るみに出るのは明らかだ。
だが、それではダメだ」
「ダメ?」
「さっきお前、誰かに連絡しようとしたよな。
この状況で、誰を呼ぼうとした?」
核心に迫るはじめの物言いに、足が自然と止まる。
「え……何の事?」
「らしくない惚け方をするな。
教えてくれ……お前の背後には一体何がいるんだ」
「それは……」
「はじめ!」
俺が言いよどんでいると、警察署の入り口あたりではじめを呼ぶ声が聞こえ、俺たちは声のする方向を見る。
「母さん」
はじめはそう言うと、自身の母らしき人物に近づいていき、その人物ははじめをひしと抱きしめた。
「良かった、警察から連絡が来たときは心配で心配で……」
「ちょ……友達の前でやめてよ!」
はじめが恥ずかしそうに、自分の母親を引きはがそうとする。
「お前、すごいじゃないか!」
そんな嫌がるはじめを今度は父親らしき人物が嬉しそうにはじめの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわした。
「父さんもやめてくれ!」
その表情には、いつものあの冷静でクールな姿は感じられない。
そこには、どこにでもいるような親と子供の姿。
そうか……こんな家庭で育ったからこそ、はじめはこれ程真っ直ぐと育つ事が出来たんだ。
静かにその様子を見ていると、はじめが何かを両親と話し始め、その両親は俺の方をみて手招きをしてきた。
「君も人命救助をしたんだって?」
はじめの父親が笑顔で俺にそう問いかける。
「まぁ、成り行きで……」
「すごいぞー、普通出来るような事じゃない!」
「すごい?」
最初駆けつけてきた警察もそうだった。
今も理解が出来てない。
何故、俺は褒められているのか。
唖然としている中、はじめは俺に向かって「帰るぞ」と声をかけ、俺はその声に何も答えずに静かについて行った。
車内でも賑わいは絶えず、常にそこに笑顔がある。
それはまるで異世界にでも飛ばされたかの様に新鮮で、あまりにも現実味のないその空間に、俺はただただ呆気に取られるばかりだった。
家の前で降ろされ、はじめの両親がこちらに手を振る。
それにお辞儀で返すと、車はそのまま離れて行った。
その後、家に入る為玄関の鍵を開け、暗闇の中手探りで電源を探して灯りをつける。
いつものと変わらぬ静寂に、先程までの出来事がまるで夢ではないかと思えてくる。
だが、あれは夢ではない。
「いっそ、今のこの孤独さが夢なら良かったのに」
そう呟き、それこそあり得ない事だとひとり鼻で笑った。
そうだ、桃が囚われている今、俺は孤独なんだ。
孤独の中、二階の寝室へと向かおうとしたその時、客間に微かな気配がして足を止める。
誰かがこの家に居る。
息を押し殺し、慎重に客間を覗き込むと、暗闇の中、いくつも人影がある事にきづいた。
「っ‼︎」
思った以上の人数に心臓が飛び跳ねる。
だが、そいつらはが何かする気配は感じられず、見ると皆白い道化の仮面を付けている事に気づいた。
違う、侵入者じゃない。
「母さんに兄さん達じゃないか!」
俺はすぐさま客間に入り、明かりをつけた。
良かった、俺にも待ってくれている人達がいる。
そんな俺の声に反応し、いくつもの仮面が俺の方に向く。
「何で暗闇の中に居るんだよ、びっくりしただろ!」
嬉しさから声がいつもより大きくなり、そんな中、形の違う仮面をつけた母さんがひとりこちらに近づいてきた。
だが、その表情にはいつもの優しさは感じられない。
「母さん……どうしたの?」
「我々は今後黒田 白亜、貴方のサポートを放棄します。
今回はそれを伝える為に来ました」
「……え、どう言う事?」
「言葉の通りよ、もう必要なくなったの」
「ま、待ってよ、ちゃんと説明してくれ」
意味がわからない。
今まで、あんなに優しく手助けをしてくれたのに、何故突然消えようとするんだ。
俺が何をした、いや、何も母さん達の気に触る様な行動はしてなかった筈だ。
「ねぇ、母さん!」
「家族ごっこも、もうお終いよ」
縋り付くが、母さんはそんな俺を振り払う。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ‼︎
母さんまで消えたら、俺は本当にひとりになってしまう。
「ねぇ、行かないで!
何でもするから、だから、行かないで‼︎」
恐怖から足が震え、力が出ない。
だが、それでも逃したくない一心でそのスーツに手を伸ばした途端、まるで雲を掴むかの様にすり抜けた感覚を覚えて一瞬思考が止まる。
「へ?」
「おやすみなさい」
理解をする間もなく、耳元でそう囁かれた途端に、俺の意識はプツリと途切れた。
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