第15話 割れたグラス

翌日、案の定その日のニュースは朝から賑わいを見せていた。


公園に打ち捨てられていた、ふたりの女子高生の遺体。


桃が犯したその殺人は、誰に隠蔽される事もなかった為だ。


学校に登校すれば、雨の中、校舎入り口にはマスコミの影。


生徒がマスコミに捕まらない様に、教師も外に出て来ていたが、それでも対応が追いつかないらしい。


俺も、髪の色が災いして目立ってしまい、何度かマスコミに捕まりそうになったが、何とか学内に入ることに成功した。


登校するだけでここまで疲れるとは思わなかったよ。


教室に入ると、そこはいつもと違い、どんよりとした空気が漂い、皆の目からは気力が感じられない。


そんな中、先に登校していたはじめと目が合う。


「おはよう」


はじめは俺に挨拶をした後、声を落とし、俺にしか聞こえない様な小声で「今回はお前じゃないな」と言った。


その言葉に驚き、はじめの顔を見る。


「なん……で」


「そんなの、ニュースを見ればわかる。

今日はホームルームと全校集会で終わるだろう。

その後、ふたりで話す時間を作ってくれ」


はじめはそう言うと、俺から視線を逸らした。


いつもと変わらない、迷いのない瞳。


いつもなら、鬱陶しくも見えるはじめの真っ直ぐなその表情が、今は何だか俺の精神を落ち着かせてくれる。


「……わかった」


その後、はじめの言った通り、授業は行われず、その日は集団下校と言う形で早々と下校する事となった。


互いに人の目もある為、その日は桃も自分の家へと帰り、皆が散り散りに離れていく。


だが、この状況は今の俺にとっては逆に都合が良くもあった。


家に帰りつき、一息つくと、携帯ではじめにメッセージを送る。


すると少しして、返信が来た。




それから1時間後、家のインターフォンが鳴る。


出迎えると、そこには私服姿のはじめの姿。


「よく、家から出れたね」


そう言いながらも、はじめを中に招き入れる。


「俺の親は放任主義だからな」


はじめはそう答えながら、そのまま俺から一定の距離を保ちつつ、共に客間へと入った。


ソファー席ではなく、食卓の方にあるテーブルの上に水の入ったコップを置き、はじめがその前に座ると、俺も向かいの席に腰掛ける。


その後、はじめは水の入ったコップと俺の顔を交互に見た。


「これ、毒とか睡眠薬入ってないだろうな」


「気になるなら、毒見しようか?」


「……頼む」


「確かに、正しい判断だね」


そう答えながらコップを手に取り、水を少し飲んで見せると、はじめは少し複雑そうな表情をしながらそのコップを手に取った。


はじめの警戒は正しい。


以前の俺なら、間違いなく飲み物に仕込んでいただろう。


だが、今はそれどころではない。


「それで、わざわざこんな俺とふたりきりになる時間を作らせた理由を教えてよ」


そう言うと、はじめは水を飲み一息つき、ようやく話す体勢に入った。


「結論から言わせてもらうが、ふたりを殺害したのはお前の彼女だな」


「……すごいな」


ニュースを見ただけで、普通そこまでわかるだろうか。


「クソっ……やはりそうだったか……

お前だけ警戒すればいいと思っていた俺の考えが浅はかだった」


はじめは、悔しそうにコップを両手で強く握る。


水が小刻みに震える手の振動から水紋がいくつも生まれ、水滴が微かに外に飛び散った。


すると、それを見たはじめはピタリと動きを止めて、深く深呼吸をする。


「お前の差し金か?」


「まさか、俺は彼女らに手を出す気はさらさらなかった」


「それは本当だろうな」


「こんな事で嘘をついてどうする。

むしろこの状況には俺も頭を悩ませているんだ」


「まあ、そうだろうな……

今まで騒がれる事なく密かに行われていた殺人を、今更公にする必要がわからない」


はじめはそう言うと、脱力ぎみに天上を見上げる。


「……監視カメラ、この部屋だけなのか?」


「そうだよ」


「映像を見れるか?」


「無理だね」


「……まあ、そうだと思った」


見せてくれたらラッキー程度にしか思っていなかったのだろう。


然程気にした様子もなく、又俺の方を向く。


「で、リバーシ、あぁなってしまった彼女をどうしたいと考えているんだ」


「別に何もしないよ、今まで通りさ」


「それは無理な話だ。

警察もそれほど馬鹿じゃない。直ぐに数日のうちに犯人を突き止めるだろう」


「随分と優しいアドバイスをしてくれるんだね、俺たちに今更協力したくなった?」


「馬鹿言うな、俺も証拠さえ揃えば直ぐにでもお前らを警察に売り飛ばす気満々だ」


「なら何故」


「……友達が、そんなに辛そうな顔しているのにほっとけるかよ」


「……は?」


「罪を償わせるのは簡単だ。

だが、それだけではお前自身は救われない。

そもそも、それでは根本の解決になってないだろ」


何を言ってるんだ。


「は……はははっ!」


コイツは本当に馬鹿だ。


呆れを通り越して笑えてくる。


「偽善者もここまで来ると滑稽だねぇ。

お前は犯罪者にまでその救いの手を差し伸ばそうとするのか。

……神にでもなったつもりか?」


「そうじゃない!」


「いや、そうだね。

そのそもそも俺とお前では、思考も、住む世界も違う」


そうだ、彼は本当に真っ直ぐな瞳をしている。


正義を信じて疑わない。


そんな奴が、果たしてこの地球上に何人存在するだろうか。



立ち上がり、ゆっくりとテーブルを周り、はじめの元へと近づく。



「コチラの領域にあまり土足で踏み込まないでくれるかな」


背後に立つと、ナイフを取り出す。


するとはじめはそれに気づき、立ち上がると、俺から距離を取った。


「折角生かしてやってるんだ……殺したくなるだろ?」


「っ……やってみろ」


はじめの表情が険しくなる。


体制をかがめ、いつでも対応できる様な準備。


さすが、俺に警戒しているだけはある緊張感だ。


「冗談だよ、言っただろ? 生かしてやってると、俺ははじめを殺さない理由があるんだ」


ナイフを片付け、ポケットに仕舞う。


本当なら今ここで殺してでも、彼を手に入れたい。


桃との愛を育む為に必要な障害にしては、あまりに真っ直ぐな彼の存在は、俺にとって本当に未知なる存在だった。


彼が、広瀬 一ひろせ はじめが欲しい。


文字通りの意味で、食べてしまいたい程に。


だからこそ、準備が必要なんだ。


「本当に油断も隙もないな……」


はじめは、更に俺から距離を取る。


「はじめが魅力的なのが悪いんだよ。

俺は興味のある、意味のある人間しか殺さない。

両親や学校の3人には愛の必要性を、桃の両親には桃自身を……時には突発的な犯行もあったが、手間暇かけるのは意味のある相手だけだ」


「おいおい、俺は今凄い暴露を聞いてるよな」


「そうだね、はじめが密かに録音しているボイスレコーダーに全てが収録されていると知って、俺は話しているよ」


「っ‼︎」


はじめの顔に焦りが見える。


嬉しいな、なんだか俺自身ではじめを出し抜いている気分だ。


「だが、はじめはそれをすぐに警察には届け出さない。

それだけでは決定的な証拠でもないし、それに、俺を救いたいんだもんね?

所詮は高校生である君が、人殺しである俺を……それともさっき話してくれたのは嘘なのかな?」


「俺は、嘘をつかない」


「だろうね、わかってるから簡単に告白したんだ」


そう言って、警戒するはじめから離れて元座っていた椅子に戻って腰かけた。


だがはじめは、そんな俺を見ても中々座ろうとしない。


死の可能性を目の前で突き付けられているのだ、無理もない。


「それで、聞きたいことも一通り聞けたであろうはじめ君は、他にも俺に用があるのかな?」


そう聞くと、はじめは体制を整え、客間の出口付近に立ったまま答えた。


「用だったらいくらでもあるが……そうだな、お前は自分の恋人が逮捕されようとしているこの段階でも、特に焦りがあるようには見えない。

それは何故だ、もしかして彼女にも飽きたのか?」


「まさか、桃は俺の最高の理解者であり、愛の根源のような存在だ。

飽きるなんて事はあり得ない。

そもそも、今回被害にあった女子生徒ふたりの殺害を諦めた理由の一つに、桃の愛を裏切りたくなかった、というのがあるぐらいだよ」


「なら何故」


「桃は今変わろうとしている。

それこそ俺の為に、自分の人生を全部投げ捨てようとする勢いで。

そんなに頑張っている桃を、邪魔するなんて出来ない」


「その為なら、恋人が捕まってもいいと?」


「それが桃の選んだ道なら、俺はそれでいいと思っているよ」


「……勝手だな」


はじめは少し言葉をためて、そう小さく言った。


「本当に何もかも勝手すぎる。

そこまで狂わせたのは他でもないお前なのに、その自覚がまるでない」


「狂わせた? 確かに桃は少し変わったが、それはそもそも本人が求めた事であって、俺はソレの手助けをしただけに過ぎない。

むしろ勝手なのははじめのほうじゃないか?」


「俺?」


「だってそうだろ? はじめは今まで何をしていた。

いじめを止めた? その後はどうなった?

桃の事だってそうだ、何もかも口だけで全く行動を起こしてない。

それはそうだよなぁ……だって、はじめ君は偽善者なんだから」


「違う!」


「違わないさ、自己満足の正義に浸り、それがまるで悪くないと疑いもしない。

なぁ、俺とはじめって何が違うのかな?」


自分の中にあった価値観を根本から否定する問いかけ。


今までのうのうと生きていた彼には重すぎるその問いかけは、真っ直ぐと牙を向く。


さぁ、早く壊れてしまえ。


「なるほど、そうやってこれまで様々な人をたぶらかしていたのか」


だがはじめの声には、動揺は見られなかった。


目は真っ直ぐと俺を捕らえ、その眼光は鋭く俺を突き刺してくる。


「悪い部分だけをうまく抽出して、まるで本人のやっていた事がすべて間違いではないかと錯覚させる。

心理学でも使われている技法をこのように悪用するとは、さすが伊達だてに主席と言われた訳ではなかったのだな」


やはり、そう簡単に折れてくれないか。


「なんだかその言い方、自分は悪くないって言ってるみたいだね」


「自分を貶めるような罪悪感なら、持っていても邪魔になるだけだろ。

そんな事より教えろ、お前の彼女は次は何を企んでいるんだ」


「本人に聞いてみたら?」


「あいにく俺は彼女に嫌われている」


「まぁ、桃の唯一の理解者である俺を引きはがそうとしたのだからね」


「そうやったのはお前の……いや、もういい、これでは話が進まない」


「理解しているじゃないか」


そういうと、はじめの表情が一段と鋭くなった。


おっと、これ以上彼で遊んでいては不貞腐れて出ていきそうだ。


そろそろ、まじめに取り合ってあげた方がいいかもしれないな。


「本人は俺の為にサプライズを用意してくれると言ってたが、あいにく、俺も桃が何を考えているのか見当もつかないんだ」


「なるほど、そのサプライズの企画を彼女が持ち出す前、どんな話をしていた?」


「桃をいじめていたふたりは、はじめが改心させたからもう殺さないって話」


「それで、今回の事件か……他には?」


「はじめは何で殺さないのって聞いて来た」


「だろうな」


「あー……あと、直也の事も聞いてきたなぁ」


「直也、何で?」


「さぁ、俺としてはそもそも殺す殺さないっていう選択にも上がらなかった人間だから」


「まずい……」


はじめはそう言うと、突然慌てたように玄関へと駆け出した。


「え、急にどうしたのさ」


何をそんなに焦っているのだろうか。


状況が全く理解できず、俺も急いではじめに付いて行く。


するとはじめは状況を伝える為なのか、此方に大声で叫んできた。




「桜木 桃の次の標的は、直也だ!」



「え、ちょっとまって!」


又駆け出したはじめをコチラも追いかけ、靴を履いて外に飛び出す。


だが体力に差がある為か、俺とはじめとの距離はどんどんと離されていった。


追いつけない……健全な男子高校生と俺との間にある越えられない壁に、息は余計に苦しくなっていく。


「置いて行かないで!」


こみ上げる不安にそう叫ぶが、既に遠くにいるはじめには、もう届かない。


寒さで吸い込む息が、のどを突き刺す。


手足の感覚が、徐々に麻痺していくのが分かる。


だが、それでも置いて行かれたくない一心で、俺ははじめを追いかけた。


もう誰にも見捨てられたくない。





何とか直也の住むアパートまでたどり着くと、今度は中から悲鳴が聞こえて来る。


全く、休む暇を与えてくれないのか。


開け放たれた入り口から中に入ると、覚えのある独特な匂いが部屋中に充満している事に気づく。


その匂いは渡り廊下の先にある部屋からしているらしく、微かに開かれたその先の部屋には確かに“赤”があった。


「放して!」


奥から聞こえるのは、桃の声。


まさか、はじめの言った通りなのか。


「桃!」


ふらつく体で急いでその奥の部屋に向かう。


そして扉を大きく開け、中の状況が漸く全て俺の視界に映された。


ひと間の空間に、血まみれのまま動かない女性の姿と、壁際によりかかり、腹部の傷を押さえる直也の姿。


そして、その近くではじめによって取り押さえられている桃の片手には、包丁が握られていた。

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