第14話 片鱗

「どうしたの?」


突然、目の前に桃の顔があり、我に返る。


「あ……いや、何でもないよ、少し考え事してた」


「考えながら歩くと危険だよ?」


「そうだね」


桃の頭を撫でると、互いに自分の教室へと入る。


なんの代り映えもない、見慣れた教室の風景。


そんな中、少し不貞腐れた表情をした直也が近づいてきた。


「聞いたぞ、彼女のいじめを俺抜きでふたりで解決したって?」


「ん、なんだ、混ざりたかったのか?」


「そうじゃねーけど、なんかのけ者にされた感がすげーする!」


「直也だって、この前はじめとふたりでゲームしてただろ」


「ソレはソレ、コレはコレ」


「勝手だな」


「って、あれ、リバーシってこのひょろ長い男がはじめって知ってたっけ?」


「ひょろ長い言うな」


はじめが、俺たちの会話に入って来て、直也の頭を教科書でたたく。


「いや、だってあのリバーシさんですよ!

最近まで、俺の名前を憶えてなかったあのリバーシさんですよ!」


「さっき、名前を聞いたんだよ」


そう答えると、直也は俺達ふたりの顔を見て、嬉しそうに笑うと、突然両腕で俺たちをがっしりと抱きしめてきた。


「良かった、本当に良かった。

はじめの奴、変な事言うから、心配で心配で……」


「おい、余計な事を言うな!」


直也の言葉に、はじめが慌てて言葉を遮る。


まぁ、予想の範囲内だ。


「変な事って?」


そう聞くと、はじめは不満げにその輪から抜け出し、一方直也は気にせず話し始めた。


「リバーシは俺の思っているような人間じゃないかもしれないから、あまりリバーシを信用するなって。

後は、絶対にリバーシと二人きりになるなとか言われたな。

今思えば、最初のは単純に喧嘩していたからで、最後の奴なんて、自分が放置されるのが寂しいだけだったんだよ!」


「お前は脳内はお花畑か」


はじめはそれを聞いて、あきれたようにそう呟いた。


そうだな、間違いなく彼の脳には、かなり無駄なスペースが存在すると思われる。


無言でうなづくと、直也は悔しそうに「俺だって色々考えて、頭を悩ませていたんだぞ!」と声を荒げた。


そんな平和な言い合いに、俺はそのまま気にせず次の授業の準備を進める。


すると、少しして担任の教師が教室に入ってきた。


「ん……黒田君、学校に来て大丈夫なのか?」


やはり、教師も晴れの日に俺が学校に来ているのは意外なようだ。


「冬って事もあって、日が昇る前に登校してみたらいけました」


「そうか……だが、あまり無理はするなよ」


「ありがとうございます」


意外と教師は気にした様子もなく、こうして授業はいつも通りに始まった。


授業中、黒板に書き出される内容をノートに写しながら、思考は全く違う方向へ働き始める。


今回邪魔されて何もできなかったあのファンクラブの女子達にを上手く排除する方法。


学校で行動を起こすのは、はじめの監視もある為にほぼ不可能と思われる。


それに本来なら、ある程度精神的に追い詰めてじわじわと死へと導くつもりが、はじめの意味の解らないあの言葉のせいで、ふたりは精神を持ち直してしまった。


つまり、あそこから突き落とすのは、かなり骨が折れる。


そもそも、警戒しているはじめにバレないように、あの女子たちに接触する事など可能なのだろうか。


アドレスを調べ、夜中に呼び出すという方法もあるが、自分や桃の端末を使えば足がつく。


いや、ここは母さん達に頼めば隠ぺいしてくれるだろう。


問題は呼び出す内容だ。


いっその事、桃の事に飽きたと嘘をついて……いや、例え嘘でもそんな事は言いたくない。


それに、俺は最初に問い詰めたせいで、あのふたりは間違いなく警戒している事だろう。


「……これ、積んでないか?」


ぽつりと小声でつぶやき、頭を押さえる。


やはり相手に持つ感情が恨みだけでは、そもそも俺のやる気が上がらない。


はじめが彼女らに二度といじめをしない事を誓わせたこの状況では、こいつらを殺したところで俺が得るものは何もないのだ。


見せしめなど、俺にとっては興味がない。




つまり今の俺は……単純に彼女たちの為に思考するこの状況に、“飽きた”のだ。



俺は別に、殺すこと自体を目的に行動しているわけではない。


ただ自分のやりたい事に、人の死がくっついて来ているだけにしか過ぎないのだ。


よし、今回は素直に身を引こう。


桃も事情を話せば理解してくれるに違いない。


そう自分の中で自己完結させると、景色は途端に開けて見えてきた。


そうだ、今の俺は満ち足りている。


だからこそ、その日も特に何もする事はなく、学園生活は平和的に終わりを迎えた。



そして、桃とふたりで歩く帰る道すがら、俺の考えていた事を桃に話すと、やはり桃は俺の言葉に反論することなく受け入れてくれた。


「やっぱり、桃なら分かってくれると思ったよ」


そういうと、桃は優しく微笑む。


そして、こう聞いて来た。


「ねぇ、白亜、そういえば私、白亜に貰ってばかりだったね」


「そうかな、俺は桃にいつも最高の愛を貰っているよ」


「だめ、まだ足らない。

だって、白亜は私の為に沢山の事をしてくれたんだもの……

だから、私も白亜の為に頑張りたいの」


「頑張りたいって?」


「サプライズプレゼントをしたいから、今は内緒」


そうやって、少しいたずらっ子のような笑みを見せる桃に、胸が躍る。


本当に彼女は、俺を飽きさせない魅力がある。


「解った、そのプレゼント楽しみにしてるよ」


そう答えると、桃は俺の胸元に飛び込んできた。


「じゃぁ、明日から準備するね」




そしてその日、俺たちは又幸せな一夜を共にし、次の日を静かに待った。


次の日は、昨日よりも快晴だった。


冬場は天気が崩れやすい事もあり、最近はほどんど毎日学校に登校していたのだが、さすがに今日は難しそうだ。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


桃を玄関で見送り、ひとり家の中に戻る。


久々に体験する静かな空間。


でも、寂しいという感情は不思議と感じられなかった。


学校が終われば、桃が必ず帰って来てくれる。


そんな疑いようのない事実が、俺の心の支えになってくれていた。



部屋を掃除し、学校で出された課題を解き、料理を作る。


「結局、恋人をいじめていた子達は殺さなかったの?」


テーブルを拭いていると、突然そんな声が聞こえて顔を上げた。


そこには、見慣れた真っ白な仮面とあいた部分から見える赤い口紅。


「お帰り、母さん」


そういうと、母さんは俺に向かって優しく微笑み、目の前の椅子に腰かける。


「何か飲み物でも出そうか?」


「大丈夫よ、それより、久々にゆっくりとおしゃべりをしましょ」


「そうだね」


そういえば、最近は母さんと会話する事もめっきり減ってしまった。


前はあんなに頻繁に連絡を取っていたのに、何故最近は姿を現してくれなかったのだろうか。


母さんと対面の椅子に座り、母さんの顔をまじまじと見る。


「ねぇ、母さんは何でいつも仮面をつけているの?」


今まで、気になっていながら一度も質問した事のないこの不自然な状況。


本当はずっと知りたかった。


何故俺に、顔を見せてくれないのだろうか。


「これはね、貴方の理想のお母さんである為に必要な物なの」


「理想の、母さん?」


「そうよ、仮面は素顔を隠すだけが目的じゃないの。

相手に、仮面の中を想像する自由を与え、その人の理想の姿に映す鏡。

お母さんはね、貴方の理想でありたいだけなのよ」


そういいながら微笑む母からは、優しさが滲み出ていた。


「そっか、俺の為だったんだ……」


なんだかこっぱずかしくなり、視線を落としてしまう。


「それより、今回は何故殺害をあきらめたの?」


「クラスメートのひとりに目的の一つを目の前で達成されちゃってさ、なんだかやる気がそがれたっていうか、その子たちに興味がなくなったんだよ」


「そう……貴方はそれでよかったの?」


「もちろんだよ、むしろあきらめた瞬間に清々しいと思えるくらいだ」


「……満たされてしまったのね」


「母さん?」


少し悲しげにも聞こえる母さんの声に、違和感を覚える。


なんだか、いつもの母さんらしくもない。


「でも、その感情は貴方だけしか手に入らなかった」


母さんはそういうと、立ち上がり、玄関に向かって歩き始める。


「もう行ってしまうの?」


「割れたグラスは元に戻らないわ……近いうち、それを貴方は目の当たりする事になる」


母さんは最後にそんな事を言うと、そのまま出て行ってしまった。


何だろうか、このこみ上げる謎の不安は。


そう思いながら、客間のそばにある掛け時計を見上げた。


時刻は、午後4時を回ろうとしている。


大丈夫、そろそろ桃が帰ってくる時間じゃないか。


桃が帰ってくれば、又いつもの日常が戻ってくる。


何も怖がる必要はない。


大丈夫、俺は大丈夫だ。


そう何度も自分に言い聞かせ、桃をただ静かに待った。



だが、桃は6時になっても帰って来なかった。



「……なんで」



不安が膨れ上がり、体が震える。


涙が、こみ上げてくる。


落ち着け……桃は昨日サプライズを企画してくれると言った。


多分これは準備に手間取っているだけなんだ。


母さんがあんな事を言ったから余計な事を考えてしまって、不安になっているだけに過ぎない。


きっと、桃は何事もなく帰って来てくれるはず。





7時になっても桃は帰ってこない。


俺は桃を信じると決めたじゃないか、疑ってはダメだ。





8時になっても桃は帰ってこない。


外は夜になってから、小ぶりな雨が降り始めた。


桃は、濡れてないかな、ちゃんと帰ってこれるかな。


そう思いながらも、落ち着かず、テーブルを爪で何回もたたく。


コツコツという音と、雨音だけが響く暗闇の空間。




9時になっても桃は帰ってこない。


雨はさらに強まり、外は土砂降りへと姿を変えていた。


涙が、止まらない。


考えがまとまらない。



10時……家のインターフォンが鳴った。


待ちに待った音に、急いで玄関へと駆け出し、扉を開く。


「ただいま」


するとそこには、びしょ濡れの姿で桃が此方に笑みを送って来ていた。


俺はその姿を見た瞬間、ひしと抱きしめる。


「良かった……良かった」


やはり桃は帰って来てくれた。


母さんの言っていたとこはでたらめだったのだ。


そう思いつつも、全身から伝わる桃の体温は冷たく、まるで氷にでも抱きついている気分で、不安は更に加速していく。


「遅くなってごめんなさい」


「そんな事はどうでもいいよ、早く、お風呂に入らないと!」


凍える桃を支えて、急いで風呂場へと向かう。


暖かいお湯を、手や足の付け根からゆっくりとかけていき、桃の体を温めながら服を脱がしていると、所々に赤いシミがついているのに気づく。


見慣れた赤いシミ。


これは間違いなく血痕だ。


何故、桃の服に血がついているのだろうか。


「ねぇ……桃」


風呂場という事もあり、俺の声は飽和し反響する。


「ん?」


「この血……誰の?」


脱がした服についたその跡を見せると桃は小さく「あっ」と言った後に優しく微笑みかけてきた。


「これはね、最近疲れている白亜の代わりにお仕事した時についたみたいなの」


「もしかして……俺が殺さなかったあのふたりの女子?」


「そうだよ」


迷いのない真っ直ぐとした返答に、俺が呆気に取られている事に気づく。


「桃の言っていた、サプライズってこれなのかな?」


「違うよ、これはまだ準備段階の一つ。

私は白亜の為にもっと、もっと、頑張るつもりだから!」


真っ直ぐと俺に向ける、純粋な好意。


愛が、押し寄せてくる。


愛が、俺を呑み込もうと大口を開けて待っている。


これが、俺を産んだ母の求めた愛の終着点なのか。


「そうか……それは、楽しみだね」


そう答えて体を洗い流してやると、桃は嬉しそうに微笑んだ。


消えない。


不安が消えない。


桃が帰ってきたらまたいつもの日常が戻って来るんじゃなかったのか。


分からない。




風呂から上がり、お互いに温まった後、俺たちはそのまま寝室へと向かった。


いつもと変りなく鼻歌を歌いながら翌日の準備を始める桃を見て、一つの疑問が浮かび上がる。


「ねぇ、死体はどうしたの?」


そう質問すると、桃の鼻歌は止まり、俺の顔を突然無表情のまま見つめてきた。


「え……汚いからそのままにしてるよ」


それが桃にとって当たり前であり、俺がそんな質問をしてきたのが理解できないとでも言いたげなその表情に、ぞくりと寒気が走る。


まずい、早く母さんに連絡しないと。


急いで携帯を取り出すと、突然桃が俺の行動を遮るように「ねぇ」と声を欠けてきた。


「お母さんを探してるの? だったら、ここに居るよ?」


桃の手には、白い仮面が握られていた。

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