第10話 束の間の休息

「母さん、いらっしゃい」


桃をそのまま好きにさせて立ち上がると、母さんは俺に近づいてきて頭を優しく撫でてくれる。


あぁ、やはり母親はこうでなくては。


「今日はふたりかしら?」


「うん、手伝おうか?」


「じゃあ、お兄さんと一緒に片付けて頂戴」


「わかった」


母さんとやりとりを済ませ、後ほど入って来た兄と共に片付けを始める。


遺体を運び、袋に詰め込み、床を綺麗に拭き上げ、それから暫くしても依然自分の母親を刺し続ける桃を背後から抱きしめて、動きを止めた。


息は上がり、俺よりも血に染まった桃は抵抗する事なくそのままナイフを手放す。


「さあ、そろそろソレもお片づけの時間だよ」


そう優しく伝えると、桃はポツリと「悪くない」と最後に呟き、電源が落ちるかのようにその場で意識を失った。


相当疲れたのだろう。


「俺達は風呂に入って来るね」


「えぇ、行ってらっしゃい」


母さんに断りを入ると、俺は桃を引きずって風呂場へと向かう。


眠る桃の体を綺麗に洗い、互いの汚れを落とすと、足下は真っ赤に染まり、それは排水口の中へと飲み込まれて行く。


何もかもが綺麗に洗い流され、漸く手に入れた愛の結晶。


あぁ、なんと幸せな瞬間なんだ。


「今日は記念日だね」


お湯で濡れた桃の頬を触り、優しく微笑む。


こうして、その日の長い夜は漸く終わりを迎えた。


だが翌日、悲劇は起きた。


桃が朝になっても目を覚まさないのだ。


体を揺らすが反応はなく、だが心臓は確かに動き、呼吸もしている。


医学書を軽く読んだだけで、医療に特別精通している訳ではないが、それでも見る限りでは問題ないように見えた。


「桃、朝だよ……今日は曇りだし、一緒に学校に行けるよ?」


声をかけても、桃は答えてくれない。


一体どうしてしまったと言うのだ。


不安になり、母さんに電話をすると、母さんもすぐに駆け付け、桃の状況を確認してくれた。


無音の寝室、ベッドで横たわる桃の姿に母さんは、ふとため息をつく。


「どう?」


「大丈夫、彼女はただ寝ているだけで問題はないわ」


「でも、こんなに普通眠るのかな?」


「慣れてない経験をしたのだから、不思議ではないわ。

それより今日は学校でしょ?」


「……ヤダ、桃が心配だから今日は行かない」


「ダメよ、変に休んでしまっては怪しまれてしまうわ。

お母さんはまだ準備が整ってないから、今日は学校に行ってくれないかしら?」


「……分かった」


本当は、意地でもココに残ると反論する事もできた。


母さんの事だから、そこまでいえば俺に逆らわない事も分かりきっていた。


だが、不思議とそうする気が起きず、俺は服を着替えて学校へと向かう。


不安な感情が胸を締め付け、気分が沈む。


幸せな日が始まると思っていたはずが、何故こんな思いをしなければならないのだ。


2限目、成るべく冷静を保ちながらも授業を終えると、俺の机の前にノッポが姿を表した。


「あのさ」


「何?」


苛立ちからつい、冷たく突き放すように問いかけるが、ノッポは臆する事なく話し続ける。


「彼女、休みらしいが大丈夫か?」


「よく、隣のクラスなのに分かるね」


「まぁ、最近様子がおかしくて気になってたからな」


「お前には関係のない話だろ」


「関係ないって、友達の大切な恋人だろ」


あぁ、煩い煩い。


何故コイツは、こんなにも他人のテリトリーに足を踏み込もうとするんだ。


「ほっといてくれないかな」


「俺は、お前達が心配で……」


「だから、ほっとけって言ってるだろ‼︎」


声を荒げると、休み時間でざわついていた筈の教室が、途端に水を打ったように静まり返る。


周囲がコチラを伺う視線が刺さり、更に胸が締め付けられていく。


何故だ、何故こうなった。


俺は間違えてないはずなのに。


「勝手に友達ヅラして絡んでくるな」


そう最後にノッポに伝えると、俺は逃げるように教室を後した。


向かう先は、以前同級生に愛を与えた使われていない教室。


そこに入り、呼吸を整える。


「何なんだよ」


そう呟いた瞬間、入る時に閉めた筈の背後の扉が、開く音がした。


振り返ると、そこにはノッポの姿。


コイツ、ココまで追って来たのか。


「全く、呼び止めたのに止まってくれないんだな」


「知らないね」


ノッポにそう答え、教室の窓際奥に集められていた机の1つに腰掛けると、ノッポはそんな俺の前に立つ。


「なあリバーシ、最近何かあったのか?

いつものお前らしくもない」


「俺らしい、何を言ってるんだ?」


「最近、何かを隠しているって言うのは、何となく理解していた。

でも、それを無理に聞くのは違うと思ってずっと知らないふりをしていたんだ。

だがそれは間違いだったんだな。

感情を露わにして俺に怒鳴りつけるリバーシを見て、それをひしひしと自覚したよ」


コイツは、何を言っているんだ。


気持ち悪い。


偽善者の絵空事は、これ程までに吐き気を催すモノなのだろうか。


「コレからも、知らないフリをしていれば良いものを、何でそんな事を俺に話すかな……

そもそも、俺らしいって何だ。

周囲に愛想振り撒いて、下手な敵を作らず、成績は常に上位で、でもそれを鼻にかけないそんな姿が俺らしいとでも?」


「それは違う!」


「違わないね。

勝手なイメージを押しつけて、勝手な正義感を振りかざして、他人のテリトリーを土足で踏み荒らす。

お前がしているのはそういう事だよ」


ノッポの制服のネクタイを左手で掴み、引き寄せると、ソイツは途端に焦った表情をする。


いつも澄ましているくせに、こんな顔も出来るじゃないか。


そのまま右手をそっと、ノッポの心臓のある部分に優しく触れてゆっくりと押す。


服の奥から感じる心臓が脈打つ感触に、ノッポが今、目の前で確かに生きた存在としてそこに居ることを伝えてくれた。


「なあ、偽善者。

これ以上俺の周りをうろつくな。

コレは最後の警告だ。

もし、また余計な事をしようとしてみろ」


ネクタイをさらに引き寄せ、ノッポの耳元で一言「殺すぞ」と言い、ネクタイから手を離す。


直ぐに俺から距離を取るノッポの表情からは、驚きと焦りが見え、先程迄心臓に触れていた右手からは一瞬強く脈打つ感触が伝わって来ていた。


間違いなく、ノッポは俺に恐怖している。


そう思った瞬間、授業開始のチャイムが鳴り俺は気を取り直してゆっくりと息を吸い込む。


いつもの学園生活に戻る時間だ。


「さて、教室に戻ろうか」


そうノッポに微笑みかけたが、もうノッポが俺に笑顔を見せる事はなかった。






そして放課後、変わらぬ学園生活を終えて学校から出た瞬間。


「よっ」


今度は、チャラ男がいつもの飄々ひょうひょうとした表情で、俺を待ち構えていた。


今日は、本当に障害が多い1日だな。


「何出待ちしてんだよ」


そう質問しながら歩くと、チャラ男も俺の歩幅に合わせて横並びに歩く。


「いやー、今日昼飯俺達ふたりだけだっただろ?

それに、午前中喧嘩してたの知ってたから、気になってさ」


つまり、コイツも余計なお節介をしに来たという事か。


「アイツに、何か言われた?」


「まぁ……先に向こうに聞いたら、リバーシには関わらない方がいいとだけ言われたな」


「言われたのに、関わるんだ」


「友達だからな!」


屈託のない、笑顔を見せるチャラ男。


こいつは、ノッポと違って疑う事を知らない純粋な存在。


どう生きていけば、ここまでまっすぐと育つことが出来るのだろうか。


「本当に、お前は馬鹿だな」


「あ、又俺を馬鹿にしたな!」


チャラ男は、俺の言葉にわざとらしく怒って見せる。


何だろうか、こいつと話していて不快な感情は感じられない。


目まぐるしく変わる変化に困惑し、難しく考えていた自分が馬鹿に思えてくるほどの、純粋な男。


なるほど、こいつはこんな性格だから良いのだな。


「なぁ、お前の名前何だっけ?」


そう問いかけると、チャラ男は驚いた表情をして、その場で立ち止まった。


「え、嘘だろ……」


「嘘って?」


「いやいやいや、リバーシさん、俺達今2年生ですよ?」


「そうだね」


「しかも、現在11月、つまり2年生も後半に入っているというのに、友人の名前を憶えてらっしゃらない?」


「まぁ、興味なかったからな」


そういうと、チャラ男は俺の前に立ち、突然両肩を掴んできた。


そして、まるで絶対に逃がさないと言わんばかりの形相で口を開く。


「俺の名前は荒井 直也あらい なおやだ、良いか、覚えたな?」


「お、おう……圧が凄いな」


「俺の名前は?」


「……直也な」


そう言って掴んできていた両手を払って歩き始めると、直也は慌てたように俺を追いかけ、そして嬉しそうに笑った。


「よし、これで俺達親友だな」


「気持ち悪い事言うな」


直也の言葉をいつも通りに突き放して歩くと、少しして自分の家にたどり着く。


学校からここまでの距離って、こんな近かっただろうか。


「じゃ、また明日!

よく分かんねーけど、しっかり仲直りしとけよ!」


直也はそういうと、いつもの明るいテンションのまま離れていった。


本当に、騒々しい奴だ。


そう思いながらも、少し軽くなった気持ちで玄関の鍵を開ける。


桃は起きているのだろうか。


もし、起きてなかったら……


直也の明るさだけでは足らないこの不安に、少し手が震えているのが分かる。


扉を開け、中に足を踏み入れる。


「ただいま」


声を出して見るが、返事はない。


薄暗い空間、玄関にある靴は俺と桃のだけで母さんのはない。


帰ってしまったのだろうか。


そのまま2階に上がり、桃が眠っている俺の寝室に向かおうとした時。


手前の渡り廊下に佇む人影に気づき足を止める。


「も…桃?」



いた。



桃は、寝室の隣の部屋の前に何をするでもなく、ただ立っていた。



薄暗い空間の中、用意していた真っ白なシルクのワンピースが一際目立ち、扉に向けていた視線をゆっくりと俺の方に向ける。



「お帰り」



桃は、そういうと俺に向かって優しく微笑んだ。


いつもの太陽の明るさとは違う、落ち着いたその表情は、まるで月の明かりの様に俺を優しく包み込む。


心地よいほど優しい笑みに、顔が火照り始めるのが分かる。


「桃……良かった、良かった‼︎」


感情に任せて抱きつくと、桃はそっと俺に抱き返してくれた。


「心配かけて、ごめんね」


落ち着いた声質と、優しい笑顔。


それが俺の中にある、あんなに膨れあがっていた不安を綺麗に洗い流してくれる。


やっと、やっと、愛が手に入った。


「本当だよ、全然起きないからどれだけ心配したか!

……そうだ、母さんは?」


「私が起きた時から、ひとりだったけど。

でも正直、起きたのはついさっきなんだけどね」


「そうか」


やはり、母さんはもう帰ってしまったのか。


桃の面倒を見てくれると思ったのだが、忙しいなら仕方がない。


「それより白亜、今日は誰かと帰ってたよね?」


「あー、直也か」


「直也?」


「ほら、前この家にも来た一番騒がしい奴だよ」


「……やっぱり、何だかんだで仲良いんだね」


「そうかも知れないな」


そうやって笑うと、桃も優しく笑い返してくれる。


「ねえ白亜、私の事好き?」


「勿論、大好きだよ」


「1番好き?」


「当たり前だ」


そう答えると、桃は俺にキスをして来た。


一瞬にして思考が停止し、空間が真っ白に染まる。


桃が、俺に向かって自分からキスをして来た。


コレが初めてだ。


思考が追い付かずに固まると、そんな俺を見て桃が楽しそうに笑う。



「私も、白亜が大好きだよ」

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