第9話 共依存
翌朝、桃を起こして共に1階にある食卓で朝食を取りながら一息つくと、桃はふと思いついた様に携帯を取り出し、動きが止まる。
「えっ……」
画面を見るその瞳には動揺が写り、微かに携帯を持つ手が震えて始めた。
「どうかした?」
そう問いかけると、桃はその震えた手で携帯の画面をこちらに向けてくる。
映し出されたのは、両親からの大量の着信履歴。
成る程、あの手紙を読んでくれての結果か。
本当に、脆いな。
「……凄い着信履歴だね」
「ど……どうして、だって昨日友達の家に泊まるって報告した時は何もなかったのに……」
先程まで爽やかだった桃とは思えない程の震え方に、テーブルを挟んで向かいにいた桃の手に、そっと俺の手を伸ばして重ねる。
「このままでは、取り返しがつかないかも知れない。
今日は、このまま帰ろう」
「で、でも!」
「大丈夫、俺がついているから……ね?」
優しく声をかけると、桃は震えながらもゆっくりと頷いてくれた。
「じゃぁ、少し支度してくるから待ってて」
そう桃に断りを入れて、寝室の物置からナイフを取り出すと、懐に忍ばせて次に携帯を取り出す。
画面に映し出される名前は【汐淵 茜】。
着信をすると、少しして母さんの優しい声が俺の耳をくすぐった。
「ねぇ、母さん。
今日、計画を終わらせるから、その後の掃除を兄さん達に手伝って欲しいんだけど」
『えぇ、分かったわ。ではまた後で』
「うん、またね」
通話が途切れて、階段を降り、桃の居る食卓に向かう。
「さあ、出かけようか」
「で……でも、外は天気がいいよ」
そういわれ、遮光カーテンを開けると、眩しい光が目を刺して慌ててカーテンを閉める。
どうやら、天は俺を味方してくれなかったらしいな。
「あははっ……本当だね、困ったなあ。
でも、あの着信の数は、帰らないと流石にマズイよね?」
「……うん」
桃がうなづくと、桃の持っていた携帯が震え始めた。
その画面を見た桃の表情から、すぐにそれが両親からの着信である事が分かる。
「出ないの?」
優しい声で促すと、桃は恐る恐る通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
『今どこに居るの、早く帰って来なさい‼︎』
近くにいる俺にまで声が聞こえる程の大声に、桃は顔を真っ青にして震え始めた。
「で、でも……友達の家に泊まるって昨日っ」
『男の家なのは分かってるのよ!
アンタまで、お父さんみたいに私を騙して楽しいの!?』
「違う……違うよ、お母さん」
桃は、徐々に涙を流し始め、俺はそんな桃を見て隣の席に寄り添う様に座る。
『こんなに大切に育ててやったって言うのに、何もかも恩を仇で返して、ふたりで私を虐めてるんだわ!』
「お母さん……」
『いいから、早く帰って来なさい‼︎』
そういって、通話は一方的に切れ、取り残された桃はこちらに救いを求める様に見つめて来た。
それに答えるように、優しく頭を撫でると、桃は俺の懐に顔を埋めて大声で泣き始めた。
何度も、帰りたくないと泣き叫び、俺に強く縋り付く。
「辛いよね……帰りたくないよね」
「何で、何で、私がこんな思いしないといけないの!」
「うん、そうだね」
「お父さんとお母さんの問題なのに……何で!?」
「桃の事、どうでも良くなっちゃったのかなぁ」
「……へ?」
先程まで泣き叫んでいた桃の表情が途端に固まり、驚いたように俺の顔を見る。
「俺からすれば、両親は問題を全く解決できずに子供に八つ当たりしている様にしか思えないな」
俺が与えたのは、衝突をするきっかけだけ。
つまり、これ程までに簡単に崩れたのは、桃の両親の問題解決力のなさにある。
それを棚に上げている時点で、桃の親は、親失格なのだ。
「で、でも……前まではこんなんじゃ……」
「本当にそうだった?」
「え?」
「成績が悪いと、怒鳴り、何かある度に桃に冷たく当たる事が今迄なかったと言い切れる?」
「それは……」
桃が答えを言い淀む。
ほら、これこそ良い証拠じゃないか。
「もう、自分に言い聞かせて真実を捻じ曲げるのはやめようよ」
桃は俺の言葉に答えず黙り込む。
視点は定まらず、何処を見ているのか分からない虚な瞳。
そして、心の中で整理がついたのか、桃はゆっくりと口を開いた。
「そうだね……もう、自分に言い聞かせるのは……やめる」
「それって……」
込み上げる興奮を押し殺してもなお、声が震える。
「白亜の言う通り、私の家は元々おかしかったんだよ」
桃のその言葉に、ぞくりと寒気と共に頬が緩んだ。
あぁ、やっと、やっと、理解してくれた。
「そうだよ、辛いけどそれが事実なんだ。
さて……次は今後桃がどうしていきたいのかを明確にしようよ」
「……どうして、いきたい?」
「正直両親の問題は先天的なものだと思われる為、改善はほぼ不可能だろう。
だが、このままでは桃の身が持たない。
あんな辛い思いをしながら過ごし続ける、そんなの嫌だろ?」
「嫌だ」
迷いのない、即答。
やはり桃は相当我慢していたのだろう。
「俺も桃がずっと辛い思いをするなんて、耐えられない。
だから俺に考えがあるんだ」
「……考え?」
桃の問いかけに答える前に、俺は桃の唇を奪い舌を絡ませた。
荒くなる吐息の中、ゆっくりと唇を離して、代わりに自分の額を桃の額に当てる。
「桃は俺の事が好き?」
「好き……だよ」
「じゃぁ、俺の事信じてくれるよね?」
「うん、白亜は私の事をいつも考えているって分かってるから」
「そっか、ありがとう。
俺も、桃をやっと信じれそうだよ」
俺が笑うと、桃も微笑む。
「じゃぁ、日が落ちてきたら一緒に桃の家に行こうか」
「うん、分かった」
そして、時間は過ぎ去り夕方の6時過ぎ。
俺達は遂に、桃の家の前へと辿り着いた。
隣に居る桃は、緊張からか呼吸をする速度が少しづつ早くなり、落ち着かせる為にも桃の手をぎゅっと握る。
すると、桃の呼吸の波は少しだけ落ち着き、無理にだが俺に微笑んでくれた。
「もう少しの辛抱だからね」
「うん……あのさ、一つ聞いていい?」
「ん?」
「その、反対の手に持っているスーツケースって……」
「あぁ、桃のお父さんの落とし物だよ。
偶然見つけたから、ついでに届けようと思ってね」
「そっか、ありがとう」
「どういたしまして、じゃぁ入るよ」
「うん」
桃が落ち着きを取り戻し始めたタイミングでインターフォンを押すと、スピーカー部分から『はい』と男性の声が聞こえる。
父親が出たか。
桃に促すと、桃は恐る恐る口を開いた。
「お、お……お父……さん」
震えながらも、何とか勇気を出してその一言を口にした桃の声に、スピーカーの音は途切れる。
そして、少しして玄関の扉が開かれた。
目の前には白髪混じりで目にクマがクッキリとある、中年の男性。
そいつは無言のまま桃を睨みつけ、そのまま手を上げたかと思うと、桃に向かって勢いよく平手打ちを浴びせた。
「桃!」
慌ててふらつく桃を支えると、その冷たい目は今度は俺の方に向けられる。
「お前か……ウチの娘をたぶらかした男は」
冷たいその視線は、今にも俺を殺そうとするかの様に鋭く、胸が強く締め付けられる。
膨れ上がる黒い感情が、自分の思考を汚染する。
だがダメだ、感情的になるな。
落ち着け、ココで襲えば返り討ちにあうのは目に見えてるじゃないか。
「桃のお父様ですね、ココでは人目につきます。
良ければ中で話しませんか?」
怒りを必死に抑えて何とかそう答えると、桃の父親は俺を値踏みするかの様に全身を見回し、鼻を鳴らすと玄関を開けたまま中に入って行った。
中に入れという無言の意思表示だろう。
そんな中、桃は叩かれた方の頬を手で抑えたままその場に立ち尽くし、動こうとしない。
「大丈夫?」
桃に声をかけるが、それにも反応は返って来なかった。
余程手を挙げられたのがショックなのだろう。
慎重にそんな桃の肩を支えながら、ゆっくりと玄関から中へと足を踏み入れると、そこはまるで魔窟かと思う程に重苦しい空気があたり一帯を漂っている。
部屋の端には埃が溜まり、しばらく掃除してないのが目に見えて分かる。
靴を脱いで渡り廊下を歩き、そのまま客間に向かうと、中には先程の男性に加えて、やつれた姿をした女性が、椅子に座りながらこちらを睨みつけていた。
両親が揃って同じ部屋にいるとは、都合がいい。
「はじめまして、娘さんとお付き合いさせて頂いている
最初の挨拶は丁寧に、愛嬌の良さを見せる為にも微笑むと、ふたりの表情が何故か更に鋭くなる。
「よろしくするつもりはない。
私がお前に言いたい事はただ一つ、今すぐ桃と別れろ」
「おや、それは何故ですか?
私達は初対面のはずですよ」
父親の言葉に問いかけると、大人しく椅子に座っていたはずの母親が、突然テーブルを強く叩いて立ち上がった。
「アンタが全ての元凶だって分かってるのよ‼︎」
女性にありがちな、ヒステリックな金切り声。
全く耳障りで不愉快になる。
まるでこちらの言い分に耳を貸す気がないじゃないか。
「なるほど、つまり自身が起こした数々の失態を棚に上げて、私を悪者にしようと言う魂胆ですか。
ひどい大人たちだ」
「何だと……」
父親の目つきが鋭くなる。
「だってそうじゃないですか、娘さんから聞きましたよ。
たかがいたずら電話で神経質になり、周囲の人間にあたり散らかしたが為に、仕事で失敗。
家庭内でトラブルも増え、娘さんにも理不尽に怒鳴る。
一方私がした事は、ただ娘さんを泊めただけです」
「嘘をつかないで!
ココに、ちゃんと証拠があるのよ!」
桃の母親はそう言って一枚の手紙を俺に突きつけてきた。
受け取り中身を読むと、そこには案の定俺に対する虚言の数々。
「コレは酷い……見てよ桃」
その手紙を虚な目をして立ち尽くしていた桃に見せると、桃の目はみるみる内に見開かれていく。
「何……コレ」
「多分この文脈から、ココに送られた手紙じゃないかな」
「こんなモノを信じたの……」
桃の声が震え、手紙が強く握られぐしゃぐしゃに形を変えていく。
そして、遂に大きな声で怒鳴った。
「白亜は……白亜はこんな人じゃない‼︎」
迷いのない、真っ直ぐとした訴え。
そうだ、それでいい。
桃は俺だけを信じてくれれば、それでいいんだ。
「お父さんもお母さんもおかしいよ、周りにばっかり攻撃して自分の間違いを正そうとしない!」
「桃……どうしたんだ」
桃が叫び始めると、父親は驚き言いよどむ。
そんな中、桃は更に言葉を畳みかけた。
「勉強の事だってそう。お母さんは自分が上手く行かなかったからって子供に全てを押し付けて、上手く行かなければ怒鳴り散らかして……
お父さんは、いつも私が困っても見て見ぬふりをしてきたのに、今度は何?白亜と別れろ?
これ以上私から奪って、何がしたいの!!」
「お前、そんな事を考えていたのか」
「事実じゃない!
そもそも今回の喧嘩の発端は、お父さんの仕事ミスなのに、それを今度は何も知らない白亜にまで押し付ける気!?」
「違う、そもそも父さんが仕事をミスしたのは、あの時知らない男と道端でぶつかり、荷物が入れ替わったからであって……っ!」
父親の視線が、俺の手に持っているスーツケースへと向けられた瞬間、途端に息を飲むように黙り込んだ。
何だ、今頃気づいたのか。
「それは……」
「あぁ、この荷物ですか、実は先日近くのごみ箱で見つけまして。
あまりにも真新しかったので不審に思って取り出して中身を確認したら、資料に
カバンを見せながら説明すると、桃の父親は俺からカバンを奪い取り、俺を睨みつけてくる。
「お前が、あの時の男か」
「何の事です?」
「とぼけるな、思えばあの男と背格好が同じだし、何よりその時フードから微かに見えたその同じ白い髪で言い逃れが出来ると思うなよ。
お前が俺の荷物をすり替えた、そうだろ」
「これは、また酷い言いがかりだ。
部外者である私に罪を擦り付け、偽りの楽園を取り戻すつもりですね。
ダメですよ、イブはもうリンゴを食べてしまったのだから」
「お前は……何を言っているんだ」
困惑する、父親の表情。
そろそろ潮時だな。
懐からナイフを取り出して、そのま首に深くナイフを滑らせる。
行動を悟られない為にも、視線は一切動かさず、会話の延長線上の中、一撃で相手の息の根を止める。
だが、相手は大の大人だ。油断はできない。
すぐに、今度は心臓に向かってそのナイフを突き立て、そのまま体重を前に向けると、俺よりもはるかに大きなその男は、いとも簡単に地面に転がり込んだ。
口から血を吐き出し、心臓を刺されながらも抵抗しようと俺につかみかかるが、ナイフを引き抜くとその力も途端に弱まる。
「エデンは、もう終わったんだよ」
顔にかかった血を手で拭いながらそう伝え、立ち上がる。
良かった、もし取っ組み合いにでもなれば、俺には勝ち目のない男だったからな。
「へっ……何……コレ」
後ろからは、状況が呑み込めずに息を飲む桃の声がする。
だが、問題はそこではない。
すぐに振り返り、桃の母親の元へと向かうと、そいつは血まみれな俺を見て悲鳴を上げようとした。
「しーっ……」
人差し指で黙るように促し、そのまま首にナイフを滑らせる。
血は飛び散り、俺だけではなく、近くに居た桃までもを赤く染める。
地面に転がり落ちる桃の母親は、首を抑えながら、のたうち回り、微かに灯された命の光を使って、少しずつ逃げようとあがき始めた。
「桃、このふたりは今まで桃を騙し、あまつさえ俺まで
そう言いながら、優しく桃を抱きしめる。
良かった、本当に良かった。
「このままだと、桃は完全にこのふたりに飼い殺しにされて居たのだから。
助けられて……本当に良かった」
抱きしめてる手に力が籠る。
だが、桃は抱き返そうとして来ない。
立ち尽くしたまま、まるで人形の様にその場に立ち尽くしている。
「桃、どうしたの?」
そう問いかけると、視線の先に桃の母親が這いずりながら出口へと向かっているのが見えた。
「あぁ……そうだった」
桃の手を引いて、這いずる母親の背中を踏みつけて動きを止める。
「まだ残ってたね」
そう言って、桃に先ほどまで使っていたナイフを握らせる。
「さぁ、初めての共同作業だ」
「……いやっ……」
「大丈夫、すぐ慣れるよ」
そう言って桃の手を掴んだまま、しゃがませ、そのナイフを母親に突き立てた。
2回……3回……完全に動かなくなると、ナイフは桃の手からこぼれ落ちる。
「よくできました」
そういうと、桃は震え、ついに何かのスイッチが入ったのか大きな悲鳴を上げた。
「ダメだよ……桃」
ぽつりとそう答えて、桃のその唇を自分の唇で塞ぎ、舌を絡ませる。
血の味は甘く、深く、最初は抵抗していた桃も次第にそのキスを受け入れ始める。
死体の前に座り込み、血と涙の混じりあう深いキスはしばらく続き、桃が落ち着きを取り戻したタイミングで唇を離すと、その髪を優しくなでた。
「もう、毎日のように感じていた帰る恐怖はなくなったよ」
「……」
「こんなに上手く行ったのも、桃が俺に色々と教えてくれたおかげだ」
「……」
「桃には、感謝してもし切れない」
「……かん、しゃ?」
「そうだよ。
俺を信じてくれて、ありがとう」
「……私は、間違えてないの?」
「うん、間違えてない」
「……私は、悪くないの?」
「もちろんだよ、桃は何も悪くない」
「わるく……ない……悪く……無い……」
「そう、寧ろ悪いのは、桃を飼い殺しにしていたこの親たちだ」
そういうと、桃はゆっくりと横に転がる死体に視線を向ける。
「悪いのは……コイツ……」
桃は先ほど手から滑り落ちたナイフを今度は自分の意志で握り、そのまま死体に近づく。
そして、その死体にナイフを突き立てた。
何回も、何回も、何回も、何回も、何回も何回も何回も何回も何回も。
桃は「悪くない」と繰り返し唱えながら死体をナイフで
そんな時、家の玄関が開かれ、今度は中に真っ白な道化の仮面をつけたスーツの女性が入って来た。
「あら……楽しそうね」
母さんは俺たちを見ると、優しく微笑んだ。
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