第6話 不安の種

いや待て、何処かで茜さんは携帯を忘れていて、違う人がかけているのかもしれない。


そうだ、それ以外あり得ない。


自分にそう言い聞かせ、その電話を受けると、恐る恐る携帯に耳を近づける。


「もしもし」


『私を殺すなんて、ひどい子ね』


電話の向こうから聞こえる平然とした女性の声に、俺の心臓は強く鷲掴みにされた。


咄嗟に耳を携帯から離して、再度茜さんの死体を見る。


死んでいる。


脈を確認しても確かに止まっている。


なら何故電話越しの女は、と言っているのだろうか。


再度携帯を近づけると、今度はその電話越しから笑い声が聞こえてきた。


『随分困惑しているようだけど、そもそも貴方が殺したのは私ではないわ』


「茜さんじゃ……ない?」


あぁ、そうか。


その言葉に、理解がストンと音を立てて落ちてくる。


だから、あんなに違和感が強かったんだ。


『そもそも私がひとりで行動する事はまずありえない』


確かに、茜さんはこれまでも他の仮面をつけてた人を連れていた。


つまり最初からおかしかったというわけか。


「もしや、これで部下を殺したから約束を破ったなんて言わないでしょうね」


『安心して、それはないわ』


「それで、どうしてこんな事を?」


問題はここだ。


わざわざ茜さんが偽物を俺の家に尋ねさせたり理由。


何故、ここまで俺の心をかき乱すのか。


『理由は2つあるわ。

1つは、その女の処分。

彼女は組織を裏切った行動をした為、罰として貴方の元に私として訪ね、無事帰ってくる事が出来たら許すと言ったの』


「つまり、俺は茜さんに使われたと」


『これでお互いにいい関係になったと思わない?』


「もう1つは?」


『もう1つは単純に貴方の抑止力になると思ってね』


「抑止力?」


『扉を開けてもらえるかしら』


電話越しの茜さんにそんな事を言われ、そっとカーテンを開けて外をのぞき込む。


見ると、そこには仮面をつけた茜さんの他、ふたりの男も仮面をつけたまま立っていた。


扉を開けてその3人を迎え入れると、男ふたりはそのまま部屋の掃除をはじめ、俺と茜さんだけが残される。


玄関の扉を閉じ、ふたりだけの空間、茜さんはいつもと変わらない笑みを俺に送ってきた。


「それで、抑止力って?」


電話を切り、目の前に居る茜さんに直接問いかける。


「恋人ができたそうね、おめでとう。

名前は、桜木 桃だったかしら、かわいい名前ね」


「……もしかして」


こいつ、桃に何かする気か。


体内を動き回る血液が一気に沸騰するかのように、全身に熱が帯び始める。


そんなのダメだ。


俺はまだ愛を桃からもらっていない。


先ほどまで使っていた血まみれのナイフを、真っ直ぐと茜さんの首筋に向けて突き付ける。


「桃に、手を出すな」


そう言うと、突き付けられた茜さんは何故か満足げに微笑んだ。


「それでまた私を殺すのは構わないけど、偽物を見た今、私がオリジナルである保証は貴方にないはずよ」


「……」


……そうか。


2つ目の理由である抑止力。


例え目の前の茜さんを殺したところで、同じ事の繰り返しになってしまう可能性が出てくるという事だ。


初日、茜さんは部下を殺さない欲しいとは言ったが、自分を殺さないでほしいとは言ってなかった。


つまり、最初からこうなる事を見越していたことになる。


完全に俺は、この組織の手の上に転がされているだけではないか。


自由なんて、ただの見せかけだった。


俺は最初から自由なんて手に入ってなかった。


ナイフが手から零れ落ち、俺はその場に座り込む。


息が詰まる。


苦しい。


寂しい。


又、俺は逆戻りしてしまうのか。


「大丈夫、我々の事など気にせず貴方はこれまで通り自由にしていていいのよ」


「ねぇ……自由って、何?」


そもそも、一般的な自由とは何だろうか。


俺はどんな自由を求めていたんだっけ。


自分の事なのに、自分がわからない。


「自由とは、なんでも好きな事が出来る世界。

でも、人は自由を手に入れる為必ず何かを犠牲にしなければいけないの。

欲しい物を手に入れたければ、それを手に入れる為にお金を稼ぐ必要がある。

貴方だって、愛を見たいから両親を殺害してあそこまで時間をかけて努力をした。

学校での行動も、そうじゃない?」


「何かを手に入れる為には、必ず何かを犠牲にしなくてはいけないと?」


「そうね」


「だったら、本当の自由は一生手に入らないじゃないか」


手放しで喜び、駆け回り、何も考えない、そんな自由は存在しない。


そんな、知りたくもなかった事実をいまさらこんな状況で突き付けられる。


何を犠牲にして、何を求めたいのか、そんなの簡単に選べない選択が今後もいくつも自分の前に立ちはだかるかのかと思うと、背筋に寒気を感じた。


怖い。


瞬間、全身を包み込む恐怖に、身震いをする。


すると、目の前に居た茜さんは座り込む俺に近づき、そっと腕を回し、抱きしめてきた。


「そのリスクを少しでも減らす役割が我々なの。

確かに監視されているリスクや、今回の様にあなたの衝動を利用した行動を強いる事は今後もあるでしょう。

でも、それ以外に貴方を縛るものは極力排除してあげる。

だから怖がらないで」


茜さんはそういいながら、俺の頭を撫でる。


大人の余裕があるような、ゆっくりとしたしゃべり方。


俺を包み込む優しい手。


そのどれもが、未経験ではあったが、少しずつ心が落ち着ていくのが分かった。


「自由が分からないなら、我々に遠慮なく頼っていいのよ」


そうか、俺は今まで何を考えていたんだ。


茜さんが、茜さんの所属する組織が一体何者で、何を目的としているかなんて今の俺には関係ない。


俺は、子供だ。


大人が、子供の自由に手を貸して何がおかしい。


画面の先の幸せな家族。


俺の家にはなかった、大人が子供を守ろうとする構図。


そうだ、今考えれば、そろっているじゃないか。


「母さん?」


茜さんに問いかけると、仮面で表情は読み取れないが、口元は今までにないほど穏やかに笑っていた。


「そうね、その方が貴方にとっては理解しやすいのかもしれないわね」


そうか、この組織は俺を守るために作られた家族だったんだ。


茜さんは、その中で母さんで、他の人たちは兄さんや姉さん。


そうか、なんでこんな簡単な事に気づかなかったんだ。


そうと決まれば、俺は急いで客間で掃除をする男ふたりの元に駆け寄ると、ひとりの懐の中に飛び込む。


「ひっ……‼」


男は俺は突然飛び込んだ事もあり、驚いたのか悲鳴を上げる。


だが、それでも関係ない。


「兄さん……兄さん!」


とにかく、確認がとりたくて俺はその男にそう問いかけた。


すると、俺について来るように母さんも客間に入ってきて「あら、お兄さん照れているのかしら」と言って微笑む。


「ねぇ、兄さん!」


「え、あぁ……ど、どうしました?」


答えてくれた。


もうひとりにも、懐の中に飛び込んで同じ事を聞くと、その人も俺に答えてくれる。


間違いない。


そうか、やっぱりそういう事だったんだ。


これは俺の為に作られた新しい家族だったんだ。


胸が高鳴り、再度母さんの元へ駆け戻る。


「母さん、兄さんが答えてくれたよ!」


「良かったわね……じゃぁ、そろそろその血に汚れた格好を何とかしたらどうかしら」


母さんに言われ、自分の姿に視線を落とす。


赤黒い血が体中にこびりつき、俺が歩いていた道にもその赤い跡が続いていた。


そうか、俺はふたり目の母さんを殺したんだっけ。


「あ、ごめん……せっかく兄さんが掃除してくれたのに、このままだとまた汚しちゃうね。

お風呂入ってくる‼」


こうして俺は急いで風呂場に向かい、自分にこびり付いた血を綺麗に洗い流した。


風呂から上がると、客間はいつも通りの状況に戻っており、テーブルの上に1枚の紙が置かれているのに気づく。


手に取ると、そこには【他にも仕事があるから戻るわね 母より】と書かれていた。


3人目の母さんも忙しい人だから仕方がないな。


自分の中でそう言い聞かせ、監視カメラに目を向ける。


大丈夫、寂しくなんかない。


だって、母さんはいつでも見守ってくれているのだから。


カメラに手を振ると、俺はソファーに寝転がった。


ここは唯一母さんの目が届く空間。


これなら監視カメラ、外させない方が良かったな。


自分の間違った選択肢に反省しつつも先ほどまでの疲れが急に押し寄せてきたのか、意識はゆっくりとまどろみの中へと消えていった。






インターフォンの音が聞こえる。


目を覚ますと、いつの間にか薄暗くなっている空間に驚き慌てて明かりをつける。


時計を見ると、時間は六時を指していた。


この時間に一体誰だろうか。


玄関に向かい、扉を開ける。


「母さん、忘れ物?」


そう問いかけた瞬間、俺は目の前に立っていた桃と目が合った。


「……あ、こんばんは」


少し焦る桃のその姿に徐々に意識が覚醒してくる。


桃だ、桃が目の前に居る。


「桃!」


俺はそういうと、その場ですぐに桃を抱きしめた。


「えっ白亜くん、どうしたの?」


桃は俺の突然に行動に困惑しているのか、素直に抱きしめられつつもそんな事を聞いてくる。


「何でもないよ、ただこの天気で学校に行けなかったから、今桃に会えて嬉しいんだ」


そういうと、桃も照れ臭そうに笑った。


「私も会いたかったから、そう言ってもらえると嬉しい」


「さぁ、入って」


そのまま桃を客間に通して、冷蔵庫からジュースを取り出す。


「手伝おうか?」


「大丈夫、桃は座ってて」


そう言ってふたり分のジュースを注ぐと、それを持ってそのままソファーに隣同士に座った。


「ありがとう……それにしても綺麗に片付いているね」


桃はジュースを受け取りながらあたりを見渡す。


それはそうだ、先ほど兄さん達がこの部屋を徹底的に掃除したのだから。


散りひとつあるわけがない。


「今、両親は出かけてるの?」


「うん、忙しいから中々帰ってこないんだ」


「そっか……寂しくない?」


「大丈夫、いつも見守ってくれているってわかっているから、俺はがんばれるよ」


「そっか、いいね、そういう信頼関係」


桃はそういいながら、何故が悲し気に微笑みかけてきた。


何だろう、何か先ほどの会話で引っかかる部分があったのだろうか。


「何か、あった?」


「え、何でもないよ……あ、やっぱり嘘、ちょっと今帰りたくないんだ」


一瞬強がって見せた桃ではあったが、我に返ってぽつりと弱みを口にする。


「大丈夫?」


「うん、ありがとう」


「何があったか、聞かせてくれる?」


沈んた顔は桃には不釣り合いで、壊れてしまいそうで、俺は咄嗟にそんな事を問いかけてた。


「えっと……実は最近成績が良くなくて、親に怒られちゃったんだ」


「え……」


瞬間、過去の出来事がよみがえる。


成績を落とし、面汚しだと皿を投げられたあの出来事。


もしや、桃も俺と同じ状況なのか。


「でも大丈夫、私がその日ちょっとテスト前にさぼっちゃったのが悪いんだから。

でも、悪いってわかってても……やっぱり怒られるのは嫌だからさ。

ごめんね、こんな変な愚痴言っちゃって」


「桃は何も悪くないよ!」


何故だ、何故桃は自分を責めているんだ。


悪いのは、親じゃないか。


「誰だって、ちょっと休みたくなる事はある。

それなのに、そんな事で怒るなんて、悪いのはどう考えても親の方じゃないか」


「そ、そうかな?」


桃は困惑したように俺に問いかけてきた。


自覚症状がないとは……あぁ、なんという事だ。


桃は完全に親に毒されている。


これでは、桃は満足に俺に愛を与えてもらえない可能性が高い。


それは嫌だ。






そうだ……桃を毒親から解放してあげないと。

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