第2話 仮面の女
暫く幸福に浸った後、漸くビニールシートを取り出して、母の体をそこに乗せると、父の骨をちりばめる。
ビニールシートから骨や肉が飛び出さないように何重にも結び、それが完成したときには、すでに体からは滝のような汗が流れ出ていた。
体力が限界に近い。
死体を運ぶのは明日にした方が良さそうだ。
そう思い、風呂場へと向かうと、服を脱ぎ捨ててお湯のはった湯船に浸かる。
今日は本当に体を酷使しすぎた為、腕の怪我意外にも、肌には赤い斑点がいくつも見えている。
多分細菌が入ってしまったのだろう。
全く、体が弱いと苦労するよ。
誰か手伝ってくれる人がいたら、スムーズに事が進んだだろうが、現実は本当に不便だ。
入浴を済ませてクリームを塗ると、服を着て携帯で明日の天気を確認する。
「あー、最悪だ」
明日は洗濯物がはかどるほどの晴れだった。
これはマスクと帽子でも外出は無理だろう。
だが、コレはむしろちょうど良いかもしれないな。
重くのしかかる重力に必死に逆らいながら2階の自分の寝室へと入ると、真っ白で柔らかなベットにもぐりこみ、俺は明かりを点けたまま目閉じた。
闇は、もう見たくない。
***
翌朝、鳥の鳴き声で目を開ける。
変わらない日常が今日も始まる。
そう思いたかったが、今回は違った。
頭の中の重しがぐるぐると激しく動き回っているかのようで、吐き気がする。
痛みでマトモに眠れなかった為だ。
無理矢理体を起こし、近くの姿見に服を脱いで自分の上半身を映し出す。
赤い斑点はかなり薄くなっていた。
良かった。
これで、やっと眠れる。
時計を見ると朝8時ではあったが、今日は晴天のため登校する事はない。
なら、もう一眠りするのがこの場合正しい選択肢だろう。
そう思い、布団の中にもぐり目を瞑ったその時。
何か、不審な音が聞こえた。
音の場所は1階から。
耳を澄ませなければ聞こえない程のかすかな物音であるが、俺の目を覚まさせるには充分な音だった。
両親が旅立った今、この家には俺がひとりで生活しているだけ。
つまり、物音が聞こえるなどあってはならないのだ。
不安が徐々に身体中に押し寄せてくる。
誰かが何らかの理由で、昨日の出来事を知って探りに来たのだろうか。
布団から飛び上がり、近くの引き出しからバタフライナイフを取り出すと、部屋のドアの後ろへと回る。
足音は1つだけ階段をゆっくりと上って来る。
ナイフを右手に強く握り、息を潜め、神経を研ぎ澄ませていく。
そして、ついに寝室の扉がゆっくりと開かれた。
入ってきた男性の背後が見えた瞬間、俺は腕を回して首を力の限り掻っ切る。
血は前に勢い良くシャワーの様に飛び散り、部屋を赤色に染めはじめ、背後にいる俺にも血が微かに返って来た。
大型の男性であるが、突然の攻撃に対処が出来なかったのか、男は痙攣を起こして、反撃する事もなくその場に倒れる。
慎重に動脈に触れて、動きが停止している事を理解すると、深く息をついた。
良かった。
それにしても、真っ白だった寝室が真っ赤に染まってしまった。
これは後始末が大変そうだな。
そんな不満を感じつつも男の姿に視線を戻すと、男は防弾チョッキを着ており、腰にはハンドガンがホルスターにかけてある事に気づく。
一般人ではないのか。
だが、どう見ても警察官という風貌ではない。
映画でよく見るレジスタンスに似ているが、現実世界でそんな存在が日本のこんな家に侵入してくるとは到底思えない。
そして更に注意深く見ると、倒れている男の横に真っ白な道化に
仮面をつけていたのだろうか。
しゃがみ込んでその仮面に手を伸ばす。
その瞬間、背後から金属音が聞こえて、俺は動きを止めた。
まずい、誰かがまだ居る。
「これは、一本とられたね」
やられた。
なるべく平静を装う発言をし、相手に動揺を気取られない様にする。
足音が1つしか聞こえないからといって進入して来た人物がひとりだとは限らない。
足音を完全に合わせて歩いていた可能性だってあったのに、焦り過ぎて考えが回らなかった。
「黒田
背後に居たのはどうやら女性の様で、少し冷たいその声は、俺のプロフィールを口にした。
「血液型まで把握してるなんて、ただの泥棒ではないみたいですね」
俺の事を知った上で、しかも仲間は武器を装備して部屋に入り込んでいる。
一体何が起きているというんだ。
まずいな、下手に動いてこのまま撃ち殺されでもしたら、せっかくの自由を体験する事なく全てが終わる。
コレほどの苦労を水の泡にする訳にはいかないが、そもそも打開策が見当たらない。
どうする。
あまりにも情報が足らな過ぎる。
「いろいろと考えを巡らせているようだけど、安心しなさい。貴方がおかしな行動をしなければ殺す事はないわ」
俺の考えが理解出来たのか、女は諭す様にそう言ってきた。
つまり、相手は少なからず俺との対話を目的としている訳だ。
冷静な声、服が着崩れする音の少なさ。
少なからず、知り合いであるだろう存在の死体を目の前にしておきながらその態度。
どうやら男は、この女からすれば捨て駒程度の扱いだったのだろう。
「俺は貴女のお仲間を殺害しました。そんな俺に一体何のご用件でしょうか」
話しに来たなら、これぐらいの質問は問題ないだろう。
そう思いながら刺激しないように慎重に言葉を選ぶと、女性は又淡々とした口調で喋り始めた。
「人を殺した感想は?」
女は何かの金属物を俺の後頭部に突きつけたまま、顔を近づけてきたのか、吐息がかすかに耳にかかる。
ゾクリと背筋に鳥肌が立つ。
「どうって?」
「幸せだった?怖かった?興奮した?」
その声は耳をくすぐり、背後から俺の肩に指が1つづつ丁寧に置かれていく。
なんともうまい誘惑だ。
「別に、邪魔だから排除しただけです。
何かの感情を抱くにはこの男は俺にとって他人すぎる」
「へぇ、ならご両親はどうかしら?」
「え?」
突然両親の話題を出され、それを理解をする間もなく、背後で何か重い物がどさりと床に落ちる音がした。
不安が一気に押し寄せ、慎重に振り返る。
するとそこには、両親を入れたビニールシートが置かれていた。
部屋は知らない人間によって作られた血の海。
そこに置かれる青いビニールシート。
「……お前か」
両親の近くには白い道化の仮面をつけた男性がひとり
汚れた。
汚された。
俺が時間をかけて何とか迎える事の出来た親孝行の集大成を、この男は汚したのだ。
状況の理解は怒りを簡単に生み出し、男に牙を向く。
「汚い手で触るな‼︎」
もう、周りは見えなかった。
今は目の前の仮面の男が憎くて、憎くて、早く消したくてたまらない。
体を捻りナイフを振り上げると、真っ直ぐとその男に向かって突進する。
だが、男は俺よりも大柄で力もあり、非力な俺の腕は簡単に捻りあげられ、ナイフが虚しく手からこぼれ落ちていった。
「いっ!」
理解が出来ない。
何故俺が反撃をされているのだ。
悪いのは全部この男じゃないか。
そのまま俺の体は床に押さえつけられ、動きを封じられた。
「殺してやる、殺してやる‼︎」
そう叫ぶと、目の前にひとりの女性が俺の目線に合わせてしゃがみ込んできた。
「立派な親孝行がしたかったのよね」
女性のその言葉に、込み上げていた怒りが、途端に消え去る。
この声は、先程から聞いていたあの女性の声。
コイツだったのか。
「何で、俺の目的が理解出来たんだ」
そう問いかけると、目元だけを隠した白い道化の仮面をつけたその女性は、不気味に口角を引き上げて笑った。
「貴方の事なら、何だって知ってるわ」
かっちりとしたパンツスーツ姿でありながら、胸元を強調した着こなしで、しゃがみ込むとその巨大な2つある肉の塊が此方に近づいてくる。
「母の愛する人を体に入れる事で、2度とふたりが離れてしまわない様にしたのよね。
貴方の父は、家庭を顧みなかった。
寂しがるそんな母は父と離れたくないと願った。
それこそ息子である貴方の存在を忘れるほど、父だけに愛を求めていった。
辛かったわよね……まるで自分の存在が否定されているみたいで、こうして生きる理由や存在理由は、貴方の中で希薄になっていった」
何だ、この込み上げてくる感情は。
女性の話す内容は、全て真実だった。
本当に、彼女は俺の事を理解しているというのか。
解らない、分からない、判らない、わからない。
「でも、貴方は自分の愛し方を知らない。
当たり前よね、子供の世界の中心は家族なのだから。
そこで愛されなければ、愛を知れない。
でも、愛を求める母を見て、それがどれ程魅力的なのか理解だけは出来た。
だからこそ、愛を手に入れた母を見たくて貴方はふたりを殺して一緒にしたのよね」
「そう、そうなんだよ!」
興奮から遂に俺は声を張り上げた。
凄い、今まで俺の事をココまで理解しようとしてくれた人間は居ただろうか。
いや、居ない。
家族にも、学校にも、友人にも、何処にもそんな人間は居なかった。
「だから俺は母さんに食料を与えず、余計な干渉が出来ないように大切に部屋の中で管理したんだ。
そうして、母さんの中から余分な毒素が全てなくなったタイミングで、その体に父さんを入れる事によって、母さんの体に父さんだけが満たされる様にした。
そう、あれはふたりの愛が視覚化した姿なんだよ!
それを……この男は汚した‼︎」
再度込み上げて来る怒りに、俺の体を押し付けている男を睨む様に視線を動かすと、女性は立ち上がり、その男の方を見る。
「そうね、それは重罪だわ」
その言葉に意識は又女性の方に向いた次の瞬間。
彼女は手に持っていたサイレンサー付きの銃を構え、迷わず男に発砲した。
弾丸はそのまま男を貫いたのか、俺を拘束する手は緩み、その代わりに男ひとりの体重がのしかかる。
重い。
どちらにしろ動けない俺を見た女性は俺の上に横たわる男を足で蹴り飛ばし、下にいた俺に無言で手を差し出して来た。
瞬間ゾクリと全身の鳥肌が立ち、その女性の仮面姿を手を交互に見る。
俺を起こそうと、手を差し出しているだけなのだろう。
だが、その魅力的で神々しくも見える手を取った瞬間、もう2度と戻れないような、そんな不気味さがそこにはあった。
「どうしたの?」
女性は俺が躊躇している理由が理解できないのか、不思議そうに問いかけて来る。
「……いや」
何を躊躇しているんだ。
このままでは、この女性に呆れられ、逃げられるかも知れない。
それはダメだ!
俺はまだ彼女を知らない。
そんな欲求が、俺に自然と彼女の手を掴ませていた。
起き上がり、俺よりも身長の高い彼女を見上げる。
「貴女は俺の事を良く知っている。
でも、俺は貴女の事を何も知らない。
だからまずはお名前を伺えますか?」
「汐淵
何だ、意外とすんなり教えてくれるのか。
てっきり自分の話は避ける
「じゃあ次に……何故この家に侵入して、この様な事を?」
両親の話で一瞬その場の空気を完全に持っていかれた
が、今回はそうはいかない。
この質問の返答次第で、俺はこの茜と名乗った女性の今後の扱い方が決まるのだ。
そんな覚悟にも似た強い思いを抱くが、茜さんはコレまでと同じく迷う事なくあっさりと口を開いた。
「私は、貴方に自由な殺人を行って欲しくてココに来たの」
「……は?」
その場の空気は俺の意思を無視する勢いで又簡単に持っていかれ、言葉に詰まる。
この女は何を言っているんだ。
「勿論、自由に殺人が行える様にこちらで可能な限り全力でサポートするつもりよ」
「例えば?」
「証拠隠滅とかかしら、一応殺人はどんな理由であれ法律違反だから、見つかると折角手に入れたその自由が又奪われるわよ」
「……」
「そう言えば、愛を見る為とは言え、貴方は何故殺人を?」
「何故?」
「言い方が悪かったわね、殺人を選択した理由は?」
「それしか思いつかなかった……それに、元から自由のない人生だから、両親を殺せばいっときは自由が手に入ると思って」
「成る程ね、なら、その自由を永遠にしたくはない?」
「永遠?」
「そう。
考えてみて。
街行く他の人々の生き生きとした表情を。
自分の置かれた立場と対照的なその人間に思う所は?」
「思う所って……何も?」
「本当に貴方は純粋ね、その人達は愛を受け、自由に今迄生きてきたのよ?
でも貴方は何もかも手に入る事のない人生を生きて来た。
それなら、今度は貴方が自由に動いた所でおかしい事はないでしょ?
人は皆平等を謳うこの世の中、自由のなかった貴方は自由を得るべきだと思うの」
「……」
両親への理解は、俺の心の奥を突き刺すように響いた。
だが何故だろうか、茜さんが今話しているこの言葉は全く響かない。
喉の奥に、何かが先程から引っかかるのだ。
確かに、それは願ってもない事で、正に俺の理想そのものだった。
たが、足りない。
俺が求めているのはコレではない。
そんな思いだけが膨れ上がる。
「私は貴方のサポートがしたいの、必要と有れば、部下も貸し出すわ」
あぁ……そうだ、コレだ。
今理解した。
今回茜さんは個人で行動しているわけではない。
何か組織を動かして、俺の元に接触して、この様な話を持ちかけている。
コレは善意や理解ではなく単なる商談。
いや、信頼が手に入ったこのタイミングでのこの話の流れ。
宗教勧誘の可能性も高い。
つまり茜さんは、俺の本当の理解者ではなかったのだ。
喜びと絶望を一気に味わうこの状況に目眩がしてくる。
欲しかった物が、手の隙間から零れ落ちていくような虚無感。
「嬉しいな、貴方はこんなにも俺の事を思ってくれるんですね」
心にもない言葉を口から出し、茜さんに微笑みかける。
茜さんの想いは今俺の元にない。
「でも、それだと俺は貰ってばかりだ。
俺にも出来る事はありますか?」
ならば又、愛を作れば良いだけの話。
「そうねぇ、貴方に与える部下に限っては殺さないで欲しいの。
都合の良い人間はそんなに居ないから、殺されると貴方のために証拠を隠滅する道具が減るのよ」
その割には先程あっさり殺した気がするのだが、まぁ良い、今は話に乗るべきだろう。
「確かにそうですね、じゃぁ俺の自由の為に協力してくれますか?」
今度は俺が茜さんに向かって手を伸ばした。
茜さんが何を企んでこんな提案をして来たのか分からない。
だが、それが例え俺にとって害となる物であっても関係はなかった。
俺は茜さんに興味がある。
だからこそ、じっくりと時間をかけて、茜さんを手に入れてみせる。
向こうだって俺を必要としているんだ。
なら、俺も同じように求めても何の問題もないよね。
伸ばした手に、茜さんはそっと自分の手を重ねる。
「黒田 白亜、貴方に幸せが訪れますように」
「汐淵 茜さん、共に自由を手に入れましょうね」
そう答え、俺は茜さんに重ねられた指を絡めるように優しく握った。
怪しい取引を持ちかけたのはそっちの方だ。
絶対に、逃がしはしないよ。
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