冬はつとめて・4
そんなやり取りをした後、晶も寒さに耐えかねたのか、一緒に燈子のアパートに向かっていた。この子の中で、自分は「知らない人」よりちょっと上の存在にクラスチェンジできたのかと思うと、少し嬉しかった。
玄関の鍵を開けると、右側にコンロが一口だけの狭いキッチン、その向かいにユニットバス、奥が六畳のフローリングという、なんの変哲もない1Kの部屋が現れた。
一人暮らしなので、帰るまで明かりは点かない。風がない分寒さはましになるが、誰もいない部屋に帰るのは、時々寂しくなる。
「お邪魔します……」
晶はきちんと靴を揃えて部屋に上がり、遠慮がちに言った。
燈子は荷物を置いてコートを脱ぐと、エアコンとホットカーペットを点けた。次いで電気ポットに水を注ぎ、電源を入れる。とりあえず、何か温かい飲み物を作ろう。
「適当に座って。テレビ見る? ゲームする?」
燈子の部屋は、壁際にベッドとパソコンデスクに小型のテレビ、本棚があり、真ん中に食卓として使っているローテーブルが置かれている。ローテーブルの側にクッションを持ってきて晶を座らせ、テレビを点けた。
「お構いなく」
妙に大人びた言い回しをする晶を微笑ましく思うのと同時に、少し不憫にも思った。本当に、どんな生活をしているのだろう。
間もなく、電気ポットがぽこぽこと音を立てて、お湯が沸いた。
さて、何を淹れよう。自分が普段使っているものと、しまってある予備のマグカップを出しながら考える。生憎、燈子の部屋にココアは常備されていない。今あるのは、インスタントコーヒーとティーバッグの紅茶、それから、
(あ、これにしよう)
冷蔵庫に、この前気まぐれで作ってみたレモンの蜂蜜漬けがあった。レモンのスライスと、その果汁が浸み出した蜂蜜をマグカップに入れて、お湯を注ぐ。
「はい、どうぞ」
甘酸っぱい香りの湯気を立てるマグカップを、晶の前に置いた。クッキーがあったので、それもテーブルに置く。晶は最初、部屋の中を珍しそうに一望していたが、今はテレビを見るともなしに眺めていた。あまり興味はなさそうだった。
「ありがとう」
晶はレモネードにふうふうと冷ましながら口を付け、その香りを満足そうに吸い込んだ。クッキーも遠慮がちにつまむ。
燈子も向かいに座ってレモネードを飲んだ。しかし、寒さをしのげればと思って連れてきたはいいが、どうしよう。子供は嫌いではないが、一緒に遊ぶとか、どう扱ったらいいのかわからない。このままでは気詰まりだ。
悩んだ末に、タブレットPCを渡した。外で作業をしたい時のために購入したものだ。簡単なパズルゲームなどがいくつかインストールしてあるし、配信サイトでアニメも見ることができる。
「これでゲームとかしていいよ。アニメも見られるし。操作はわかる?」
「いいの? ありがとう」
うっかり子供に見せられないような動画が出てきたり、大学のレポートなどをいじられたりしては困るので、逐一許可を取ってから操作するように言い置いて、燈子はパソコンデスクに向かった。悩んでいる暇があったら、やらなければいけないことがあるのだ。
デスクトップの電源を入れ、起動する数秒を待つ。それから、ペイントソフトを立ち上げ、作業途中のファイルを読み込んだ。
燈子は、年明けまでにこれを仕上げなければいけないのだ。画面とにらめっこしつつ手を動かしていると、背後から気配を感じた。振り向くと、晶が画面を覗き込んでいた。
「それ、漫画? おねえさんが描いてるの?」
ゲームにもアニメにもあまり興味がなかったのか、晶はしげしげと燈子のパソコン画面を見ていた。
「うん、まあ……」
今度は、燈子が曖昧に微笑む。別に見られて困るものではないが、なんとなく気恥ずかしい。
「おねえさん、漫画家なの? すごい!」
そんな燈子の心中など知らず、晶は目をきらきらと輝かせる。
「漫画家ってほどじゃないよ。趣味で描いてるだけ。でも、締め切りが……」
思わず口が滑った。
「しめきり?」
「うん。イベントに出す新刊がね、年明けに印刷所に入稿しないと間に合わないんだけど……」
つい同じ趣味の人間同士でしかわからないようなことを口走ってしまった。案の定、晶は首を傾げている。
「えーっとね、これを自分で本にして、イベントで売るの。印刷所に原稿を送ると、本にしてくれるんだよ」
「へえー……」
わかったのかわからないのか、晶は不思議そうな顔をしながら頷いた。
「それで、締め切り?」
「そう。ちょっと進捗ヤバくてねー……」
言っても仕方のないことをぼやいてから、姿勢を正す。
「あ、気にしないで。晶ちゃんは好きにしてていいから」
それでも、晶は画面をじっと見つめている。
「あたしに手伝えること、ある? 漫画家って、アシスタントがお手伝いするんでしょ?」
「えー……」
作業ができる人間からの申し出だったらありがたいが、この子にできるだろうか。
「パソコンで絵を描いたこと、ある?」
「ないけど……。っていうか、絵も描けないけど。簡単なことならできると思う」
燈子は少し思案する。ベタを塗ったりトーンを貼ったりというような作業なら、やらせてもいいかもしれない。デジタル作画だし、ファイルごと壊れたりしなければやり直しはきく。気まずい時間を過ごすよりはいいかもしれない。
そう結論して、燈子は作画を手伝ってもらうことにした。
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