冬はつとめて・5

 ネームを完成させるのに手間取ってしまい、時間が押している。数ページはペン入れが終わっているから、先程晶に渡したタブレットにクラウドでファイルを共有する。


「ここをこうやると、線の中が黒く塗り潰せるの。それから、トーンはここで荒さや柄を指定して……。そう、上手いじゃん」


 操作を教えて、やってもらった部分を確認する。問題なさそうだった。褒められた晶は、嬉しそうだった。

 わからなかったら聞いてねと言って、燈子は残りのペン入れ作業に意識を向けた。


 どうしてこんなことをしているのだろうと、時々思う。


 誰に強制されているわけでもないし、他の同級生がサークル活動に勤しんだり、遊んだり恋愛したりしている時間を、燈子は一人で漫画を描くことに費やしている。

 もちろん、大学の課題はこなして、アルバイトである程度の生活費と、本の印刷代やイベントの出展料を稼いだ上でだ。時間はいつもぎりぎりだった。大学にも漫画研究会などがあるが、周囲に漫画を描いていると知られるのが、なんとなく嫌だった。


 燈子が描いているのは、オリジナルの一次創作だった。燈子だけのキャラクター、燈子だけのストーリー。それらが、紙の上に踊る。

 SNSに作品を上げれば多少は反応が付くが、有名な人気作家というレベルではない。イベントに出ても、一冊でも売れれば御の字といった具合だ。


 あわよくば商業作家としてやっていけたらラッキーかも、くらいには思うけれど、どうしても漫画家になりたいかと言われれば、そういうわけではない。新人賞に応募したことも何度かあったけれど、箸にも棒にもかからなかった。今はもう、好きな話だけを描いて、同人誌にすればいいかと思っている。


 締切りに追われて、しんどいと思うこともある。それでも、やめたいとは思わなかった。自分のための物語は、自分で紡ぐしかないからだ。これは、燈子がここにいるという証明。ささやかな、自分のためだけの道だった。


 気が付くと、十八時を回っていた。外はすっかり暗くなっている。小学生をこんな時間まで留め置くのは、さすがにまずい。


「晶ちゃん、そろそろ帰らないと」

「あー、うん」


 窓の外と時計を見て、晶は残念そうに言った。それから、ぽつりと付け加える。


「この漫画、面白いね」


 作業しながら、しっかり読んでいたらしい。写植はまだ入れていなくて雑な手書き文字だから、読みにくいだろうに。直接感想を言われたのは初めてだった。燈子は束の間きょとんとして、はにかむように言う。


「……ありがとう」


 胸の奥に、熱が灯った。


「明日も来ていい?」


 帰り支度をした玄関先で、晶は上目遣いに燈子を見上げる。

 明日から三が日まではアルバイトもなく、正真正銘の休日だ。その後も何日間かはシフトを短めにしてあるので、原稿に集中する予定だった。


「うん、もちろん」


 それが正しいことなのか、燈子には判断しかねた。けれど、またこの子が公園で一人凍えるよりはいいじゃないかと思った。晶は安心したように微笑んだ。

 送っていくと言った燈子を、晶は頑なに拒んだ。


「じゃあ、これ持って行って!」


 燈子は、晶の首にマフラーを巻いた。晶はじっとそれを見下ろしていたが、


「……ありがと」


 晶はじゃあねと手を振り、雪がちらつく中を小走りに駆けていった。



 別れてから、残り物で軽く夕食を作って食べ、作画の続きにかかった。でも、どうにも集中できない。


 あの子は今、どうしているだろうか。気になってしまう。

 会話の中で拾ったわずかな言葉から推測すると、家でよくない扱いをされているんじゃないかと思う。


 児童相談所。通報。


 どこに通報すればいいのか、番号を検索してみる。でも、どう言えばいいのかわからなかった。だいたい、どこの子かわからないのに、通報のしようがないのではないか。


 そう思ってから、燈子はぶんぶんと首を横に振る。

 こんなの、言い訳だ。行動を起こさないための。


 でも、思いの外楽しかったのだ。晶と一緒に漫画を描く時間が。この時間を、失いたくないと思った。


 きちんと会話をしたのはわずかな間で、友達なんて言える関係ではないかもしれないけれど、あの子を助けたいと思いながら、いつの間にか自分が救われていたのだ。

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