冬はつとめて・2

 やっぱり、近くに保護者の姿はない。一人だ。コートも着ないで、毛玉だらけのセーターで、手袋をした手でブランコの鎖を握っている。俯いたその顔が、異様に寂しそうで、雪の中に消えていってしまいそうに見えた。

 だから、


「……こんにちは?」


 思い切って声をかけてみた。もう日が暮れているし、こんばんはだっただろうか。

 女の子は、びくりと顔を上げた。瞳が零れ落ちそうなくらい、目を思い切り見開いて、燈子をまじまじと見ている。不審者だと思われてしまっただろうか。もっと何か言わないと。言葉を探していると、


「あ、図書館のおねえさん?」


 女の子の方も、燈子のことを覚えていたようだ。そのことに安堵して、燈子はにっこり笑ってみせる。


「そうよ。あなた、いつも図書館に来てくれてるよね? 本が好きなの?」

「……うん、まあ」


 歯切れの悪い返事をして、女の子は再び俯く。やっぱり警戒されているようだ。


「こんなところにいたら風邪引いちゃうよ? 帰らないの?」

「家の鍵、忘れちゃって。今誰もいないから、誰か帰ってくるまで入れないの」


 女の子は俯いたまま、ぼそぼそと答える。


「そっか。おうちの人は何時ごろ帰ってくるの?」

「んー……もうすぐだと思うけど……」

「そっかぁ」


 本当だろうか。近頃物騒なニュースも多いし、こんなところに一人でいるのは危ない。それとも、家にいたくない理由でもあるのだろうか。もしかして、虐待とか。嫌な想像が、燈子の脳裏をよぎる。

 それにしても、寒い。身体の芯まで凍ってしまいそうだ。


「ちょっと待ってね」


 辺りを見回して、向かいの通りに自販機を見つけた。小走りに駆けて、女の子に温かいココアと、自分用にカフェオレを買って、公園に戻る。


「はい」


 ココアの缶を差し出すと、女の子はまた目を見開く。ココアと燈子を交互に見上げて、恐る恐るというふうに、缶に手を伸ばす。


「……ありがとう」


 受け取った缶を大事そうに両手で包む。しばらくそうして手の中で缶を転がしてから、プルタブを開けた。燈子も空いている隣のブランコに腰かけて、カフェオレを飲んだ。甘く温かなものが喉を滑っていき、凍えた身体が少し解ける。


「ねえ、そんな格好で寒くないの?」


 再び尋ねると、


「ん-……まあ」


 否定なのか肯定なのか、よくわからない返事が返ってきた。

 でも、顔色はよくないし、飲み終わったココアの缶を、温かさの名残を求めるようにずっと両手で包んでいる。寒いのだろうと思った。いくら子供でも、この雪の中、寒くないわけがない。


「これ、貸したげる。あと、これもあげる」


 燈子は自分のマフラーを外すと、女の子の首に巻いてやった。それから、スカートのポケットからカイロを取り出すと、小さな手に押し付ける。

 女の子はまたも目を見開き、もげそうなくらい激しく首を横に振る。


「大丈夫だよ! あたし、寒くないから!」


 言いながらマフラーを外し、カイロと一緒に燈子の手に押し戻した。その剣幕に、燈子は少し驚いてしまった。


「……じゃあ、カイロはあげるよ。使い捨てだし」


 興奮したように白い息を吐く女の子に、燈子はできるだけ優しく言った。カイロを握らせると、じっと俯いていた。

 そして、


「そろそろ誰か帰ってきたと思うから。じゃあね、おねえさん」


 慌てて駆け出そうとする女の子の背中に、燈子は尚も声をかける。


「家は近くなの? 暗いし、送っていくよ」

「大丈夫だよ。すぐそこだから。……ありがと」


 じゃあね、と小さく手を振って、女の子は背中を向けて駆けていった。一瞬だけ振り返ったその顔が、泣きそうに見えた。

 残されたココアの空き缶と一緒に、燈子はしばらくその場に立ち尽くしていた。




 それからまた数日が経った。女の子はやっぱり図書館に通ってきていた。お互い特に声をかけることはなかったけれど、時々目が合うと、小さく会釈をしてくれるようになったので、燈子も軽く手を振ったりしていた。


 そのうち、図書館は年末年始の特別整理期間に入った。一般の利用者にとっては休館日でも、蔵書の整理や点検と言った仕事があるので、燈子は出勤する。

 その日のシフトは短めで、日が落ちる前に燈子は帰路についた。ここ数日、雪は降ったり止んだりを繰り返し、道端には解け切らない雪と新たに降った雪が混ざって、氷とみぞれが混ざったような、薄汚れた塊を形成していた。


 途中、いつもの公園を通りかかる。連日、この冬一番の寒波と言われる日が続く。道を歩く人々は、誰も彼も寒風から逃れようと足早に通り過ぎていく。こんな時分には、いつも公園のベンチで居眠りしているお年寄りとか、ベビーカーを押して散歩している親子連れなどもいない。元より、公園というより、ちょっとした広場のようなものだ。遊ぶには狭いし、遊具もブランコだけだから、普段から人気は少ない。


 こんな日に、誰もいるはずがない。半ば祈るような気持ちで、横目で公園に目を遣った燈子だったが、


「あ……」


 あの子が、ぽつんとブランコを揺らしているのを見た。やっぱりコートなどは着ておらず、毛玉だらけのセーターは、寒空の下で一層みすぼらしく映る。


 どうしよう。どうすればいい。

 少しためらって、燈子は公園に足を踏み入れた。

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