トワイライト・レムナント(前編)

 その日、桜華堂の厨房からは、バターと砂糖の甘い香りがずっと漂ってきていた。営業の暇を見て、大量のクッキーとマフィンを焼いているのだった。秋らしく、かぼちゃやさつまいものペーストが練り込まれた、この日限定のお菓子だった。マフィンにはマシュマロやチョコチップがトッピングされ、見た目にも豪華だ。まだ中学生であるため、普段は店の営業には関わらない晶も、作業に参加している。


 明日は、十月最後の日曜日。地元の商店街などが協力して、ハロウィンイベントが開催されるのだった。桜華堂は駅前の商店街からは離れた住宅街にあるが、このイベントに協賛している。

 小学生以下の子供たちが対象で、ハロウィンお馴染みの例のキーワードを言ってもらったら、お菓子をプレゼントする。このクッキーたちは、そのためのものだった。協賛している商店をいくつか回ってスタンプを集めると、更に景品がもらえるらしい。桜華堂では、子供だけでなく、店舗を利用したお客にも、この日限定でお菓子をサービスすることになっていた。


 その作業は、閉店後も続いた。営業中は仁と陽介、晶を中心にひたすら生地を練ってオーブンで焼き、今は仕上げとラッピングに追われている。客のいなくなった店内で、客席のテーブルにまで出来上がったお菓子や、包装用の袋が広げられていた。一つ一つビニール袋に詰めて、リボンやシールでラッピングしたら完成だ。


 晶はアイシングを入れた小さな袋を握って、黙々と作業をしていた。髪は後ろで一つに括り、手には使い捨てのゴム手袋をはめている。客の口に入るものだから、衛星管理をきちんとしなければならないと、仁と陽介に口を酸っぱくして言われていた。

 焼き上がったクッキーに、色付けしたアイシングを使って、口が裂けたかぼちゃ、白いシーツを被ったお化け、黒猫など、ハロウィンらしいモチーフを描いていく。

 何分なにぶん初めての作業で、最初はうまくいかず、失敗品を積み重ねてしまったが、慣れてくるときれいな線が引けるようになってきた。

 アイシングが乾かないうちに、きらきらしたアラザンを乗せて、完成。かがんでいた腰を伸ばして、並んだクッキーたちを眺め、晶は満足気に一つ息を吐いた。自分もこの店の役に立っている、という感覚が嬉しかった。

 そこへ、


「見て見てー! 可愛いでしょ」


 同じ作業をしていた那由多が、はしゃいだ声を上げる。ラッピングをしていた昴も何事かとやってきたが。


「……個性的ですね……」

「うん、斬新だね……」


 那由多の手元を覗き込んだ晶と昴は、若干顔を引きつらせながら、心のこもっていない感想を漏らす。

 目や口らしきものが、失敗した福笑いのように歪んで配置されたお化けたち。可愛いというより、ホラーだった。子供がもらったら、泣くかもしれない。


「那由多、お前はそっち触るな! 袋詰めでもしとけ! 晶、昴。悪いが、那由多が持ってた分引き受けてくれ」

「えー!? なんでよー!?」


 仁からクッキーの出来に却下ボツを食らった那由多は、唇を尖らせる。それに苦笑しつつ、晶と昴は残りの飾りつけを引き受けた。


「それ、食っていいぞ」


 仁は那由多がトッピングに失敗したクッキーを指して言った。


「いいの?」

「……ありがとうございます」


 客には出せない品物になってしまったが、従業員の腹に収まるのは問題ない。

 晶は目を輝かせ、昴はぶーぶー言いながらお菓子を袋に詰める那由多を横目で見ながら、クッキーにかじりついた。表面は香ばしいが、中はしっとりしていて、口に入れるとほろほろと解けた。バターや小麦粉の風味と一緒に、かぼちゃの自然な甘みが広がる。

 やっぱり、仁の作るものは美味しい。これは晶と陽介も手伝っているが。


「皆、お疲れ様。ちょっと休憩しようか」


 陽介が温かい紅茶を淹れてくれた。


「ありがとうございます」


 それぞれカップを受け取って、一息つく。

 作業はもう一息だ。明日のイベントでは、晶もお菓子を配る手伝いをすることになっているので、少し緊張する。子供の相手なんてあまりしたことがないし、そういうイベントを楽しむ立場だったことも少ない。


 桜華堂に来てから、少しずつ楽しいと思うことが増えた。こんなふうに仕事を任されて、自分もここの一員なのだと、ここにいてもいいのだと思える。

 でも時々、そんな自分を少し離れた所から見つめているような感覚に陥ることがあった。


 あそこにいる自分は、きちんとその場に相応しい振る舞いができているだろうか。

 ちゃんと笑えている? 楽しそうにできている? この受け答えで大丈夫?

 自分は今、楽しいと本当に楽しいと思っているのだろうか? 〝楽しい〞って、この感覚で合っているっけ。

 そうやって、自分を他人事のように観察している。


 桜華堂の人たちは、皆良い人だ。それを疑っているわけではない。

 でも、だからこそ。

 そんな風に感じてしまう自分が、ここにいていいのかわからなくなる。

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