トワイライト・レムナント(後編)
翌日。よく晴れた秋晴れで、イベントに相応しい日となった。
しかし、そんな天気とは裏腹に、晶は若干渋い顔をしていた。ほぼ強引に着せられた、ハロウィン衣装のせいだった。
今の晶は、黒地の裾にオレンジ色の生地を重ねた、いかにもハロウィンの魔女という感じの、ミニスカートのワンピースを着ていた。黒いマントと、三角に尖ったつばの広い帽子も身に着けている。
こんなものは似合わないし恥ずかしいと拒否しようとしたのだが、那由多に押し切られたのだった。それを、まあ仕方ないか、と受け入れてしまう程度には、ほだされているということでもあった。
開店直後から、お菓子目当ての子供たちが押し寄せてくる。仮装していることがイベント参加の条件でもあるので、皆何かしらの仮装をしていた。魔女やドラキュラ、フランケンシュタインなどの定番に始まり、人気アニメのコスプレなど、それはハロウィンに関係あるのかと思うような格好をしている子もいた。
晶が店の入口に立って、その相手をする役目だった。店頭に出したテーブルに積んだお菓子を配り、キャンペーンのスタンプを押していく。那由多は状況に応じて店頭と店内を行ったり来たりしていた。その那由多も、晶と同じような魔女のコスプレをしている。
男性陣は、いつものようにカフェを営業していた。こちらは厨房にも立つので派手な格好をするわけにはいかず、いつもの白いシャツと黒いズボンにサロンを巻いていて、頭に魔女の帽子や猫耳カチューシャをつけるに止まっている。それでも、仁も昴も嫌そうにしていたが。
ある程度大きい子たちは、子供たちだけでやってくるが、低学年の子たちは保護者と一緒の子がほとんどだった。このイベントで桜華堂の存在を知ったという客も多い。その保護者たちがカフェで一服し、そのまま常連となってくれることもあるため、細々と営業する個人店の桜華堂には、忙しいがありがたいイベントでもあった。
「と……とりっくおあとりーと!」
声をかけてきたのは、まだ小学校に入らないくらいの小さな女の子だった。恥ずかしそうにしながら、一生懸命言葉を紡いでいるのが伝わってくる。
その後ろでは、母親らしき若い女性が、女の子の様子を見守っていた。
「はい、どうぞ」
晶は親子の様子を微笑ましく思いながら、女の子にクッキーとマフィンの詰め合わせを渡した。
女の子はぱっと顔を輝かせてそれを受け取る。
「こういうとき、何て言うんだっけ?」
母親が問いかけると、
「ありがとう!」
女の子は元気に言った。
「どういたしまして」
可愛らしい様子に、晶は相好を崩す。
母親は晶に会釈し、女の子の手を引いて帰っていった。
ふと視線を移すと、那由多はわんぱくな男の子たちに囲まれて、もみくちゃにされていた。
「お菓子は一人一個! 順番に並びなさいってばー!」
強奪されそうになるお菓子を守りながら、那由多は叫んでいる。
いいな、楽しそうで。
自分には、あんな時間はなかった。
与えられなかったものを数えても仕方のないことだと、今はわかっている。それを妬んだり、恨んだりする気持ちはない。
それでも、少しだけ。ほんの少しだけ、胸の奥がちくりと痛んだ。
その時、
「トリック・オア・トリートだよ! おねえちゃん」
袖を引かれて我に返ると、小学校低学年くらいの男の子がそこに立っていた。白いシャツに黒いズボンとマント。ドラキュラか何かの格好のようだった。三角に尖った耳と、口の端から覗く鋭い八重歯は、どうやって作ったのか、映画の特殊メイクのような完成度だと思った。
「ああ、はい。お菓子どうぞ」
晶はぎこちなく笑って、男の子にお菓子を渡す。
「ありがとう!」
男の子はお菓子の包みを掲げて、大事な宝物を手に入れたように、あちこち眺めていた。
「ねえ、おねえちゃん。これ、友達の分ももらっていい?」
男の子は無邪気に笑って問いかけてくる。
「え……っと」
那由多に聞こうとしたが、店内が忙しくなったのか、さっきまでそこにいたはずの那由多の姿はなかった。
晶は逡巡する。イベントの趣旨としては、来てくれた人に渡すものだから、それはできないはずだ。
「ごめんね。来てないお友達の分は渡せないかな」
「そっかあ」
男の子は残念そうに肩を落とすが、
「じゃあ、おねえちゃんが来てよ」
「え」
ぱっと顔を上げておもむろに晶の手首を掴むと、ぐいと引いて歩き出した。ひんやりと冷たい感触がする。その歳の子供とは思えない強い力で、晶は数歩つんのめるように足を動かしてしまった。
「あっちにも僕の友達がたくさんいるんだ。でも、みんなこっちまで来られないから、おねえちゃんが来てくれない? みんな喜ぶよ」
男の子は晶の手を引いて、ずんずん歩いていく。桜華堂の敷地の外に出てしまった。
気が付くと、辺りには薄暗くなっていた。桜華堂の皆や、たくさんいたはずのお客や、外を歩いているはずの人たちの姿も見えない。それどころか、荒涼とした、何もない、見慣れない場所に立っていた。肌寒さを感じるのは、安っぽいコスプレ衣装のせいだけでは、きっとない。
「おねえちゃんも、さみしいんでしょう? なら、僕たちと行こうよ。みんなでいれば、さみしくないよ? 僕たちと、ずーっと一緒に遊ぼうよ」
「ちょっと……!」
抗おうとしても、振りほどけない。
でも、と思考が鈍る。
このまま行けば、もう、大人の都合で居場所を変えて、その度に大事なものを手放したり、何かを大切だと思うことさえやめたり、しなくてすむだろうか。煩わしいことから解き放たれて、面倒なことを何も考えなくて、嫌なことも何も感じなくて。
そんな思いに沈み込もうとした時、
「だーめ」
聞き慣れた声と共に、力強く反対側の手を握られて、首だけで振り返ると那由多が立っていた。
「だめよ。この子はあたしの家族なんだから」
那由多は男の子の手を払うと、晶の肩を両腕で包み込む。その温かさに、安堵を覚えた。
「おいたが過ぎると、消滅させちゃうわよぉ?」
那由多はにっこりと唇を吊り上げて、目を細める。ねっとりした口調は、いつもの軽口と違って、妙に迫力があった。
男の子は那由多を睨みつけて舌打ちを漏らすと、マントを翻す。すると、その姿はすっとかき消えるようにしていなくなった。
那由多は、晶の耳元で囁く。
「あなたがいるところは、こっち。そっちに行っちゃだめ」
鼻のほんの先を、クラクションを響かせながら、軽トラックが走り抜けていった。
「えっ……わっ!」
いつの間にか、桜華堂の門から出て、目の前の車道との縁石の上に足を乗せていた。
慌てて後ろに一歩退いて、よろけた背中をふわりと抱き止められた。那由多だった。
「晶ちゃん、大丈夫? 危ないわよ。急にふらふら外に行っちゃうから、びっくりするじゃない」
「あ……うん」
どうしてこんなことをしているのか、自分のことながら全くわからなかった。誰かと話して、どこかに行こうとしていた気がするが、思い出せない。
「疲れちゃった? ちょっと休憩しましょうか?」
「ううん……大丈夫」
ゆるゆると首を横に振る。
「そう? じゃあ、もうひと頑張りしましょうか」
那由多は踵を返して、桜華堂に戻っていく。まだまだお客が待っている。仕事に戻らなければ。
晶はふと、自分の手を見つめた。ほんのりと温かい気がする。誰かの体温が残っているような。
「那由多さん」
うん? と那由多が振り返る。
「ありがと」
「何が?」
那由多は不思議そうに瞳を瞬かせる。その目が、いたずらっぽく光った気がした。
「……なんでもない」
何故だか、お礼を言わなければいけない気がした。でも、何に対してだろう。
――まあ、日頃の感謝ということでいいか。
この先、自分が帰ってくる場所は、きっとここだろうから。
『トワイライト・レムナント』了
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