秋は夕暮れ

 秋と言えば、食欲の秋に読書の秋、芸術の秋、そしてスポーツの秋。それに合わせるように、夏休みが明けて少し過ぎたこの時期、学校でもクラス対抗の体育祭が開かれる。

 しかし、スクールカースト最下層にいる、友達が少なくて運動神経のよくない、教室の隅で本を読んでいるわたし、二葉雪乃ふたばゆきののような人間にとって、それは地獄のイベントだった。団体競技で同じチームになれば迷惑そうな顔をされるし、試合でミスをしたり負けたりすれば、舌打ちされ、嫌味を言われる。


 そして、今日の学級会では、体育祭の出場種目とチーム決めが行われるので、朝から憂鬱だった。

 団体競技にエントリーして、隅っこで目立たないようにするか、個人競技を選択して、チームと関係のないところに身を置くか。ああ、でも個人競技で負けたら、どのみちクラスの失点になって不況を買う。いっそ、何でもいいから適当に登録して、当日欠席しようかな。

 そんなことをぐるぐると考えて溜息を吐いていると、


「ね、雪乃ちゃん、体育祭、何に出るか決めてる?」


 同じクラスの和泉晶いずみあきらが、そう話しかけてきた。

 彼女は今年の4月にやってきた転校生で、わたしがいじめられているのを庇ってくれた。今は学校で唯一友達と呼べる存在だった。彼女は美人で、勉強も運動もできる、眩しい人だ。そんな彼女を、わたしなんかが友達と思っていいのか、わからないけれど。


「ううん」


 首を横に振ると、


「じゃあ、一緒にバドミントンのダブルスにでも出ない?」


 彼女はそう打診してきた。


「いいの?」


 バドミントンなんて、ルールもよく知らない。ラケットで羽を打ち合う、くらいの認識だ。それに、わたしなんかと一緒でいいのか。そう思うが、彼女は当然のように頷く。


「クラスの団結とか興味ないけど、いじめっ子たちとチームになるのも嫌だし」


 ね? と重ねて言われて、わたしは首を縦に振った。



 そして、学級会の時間が訪れ、わたしたちは一緒にバドミントンのダブルスにエントリーした。


 

 体育の授業の時間は、体育祭が終わるまで、その練習に充てられることになる。バドミントンの他に、バスケにバレーボール、卓球などが予定されていて、勝ち点の合計でクラスの順位が決まる。それぞれの種目に分かれて、交代で練習が始まった。


 バドミントンは、わたしたちの他にもう一組。彼女たちを相手に練習することになった。二人ともバドミントン部の子で、椎名しいなさんと柚木ゆずきさん。


「よろしく」


 互いに短く挨拶して、コートに向かい合う。

 じゃんけんをして、先攻はこちらになった。晶がシャトルを上に投げ、サーブを打つ。シャトルはきれいに弧を描いてネットを超えた。しかし、相手二人はさすがバドミントン部といったところで、晶のサーブを鋭く打ち返した。


 打ち返されたシャトルは真っ直ぐわたしの方に飛んできて、わたしはラケットを振ったものの、空を切る情けない音がして、シャトルは床に落ちた。

 晶はそれを拾って、ネットの向こうに放る。今度は椎名さんが鋭いサーブを放った。

 シャトルは再びわたしの方に飛んでくる。わたしの振ったラケットはまたしても空振りした。


 サーブ権は引き続きあちら側。シャトルは弾丸のように、わたしに向けて迫ってくる。

 無理だ。また落としてしまう。

 

 すると、弾道とわたしの間に、晶が割って入った。晶がラケットを振り、シャトルを打ち返す。きれいなフォームだった。

 晶が返したシャトルは、柚木さんの手によって加速をつけ、再びこちらに戻って来る。わたしの振ったラケットはシャトルをかろうじてかすめたが、勢いを失って床に落下した。


 その後も何度かサーブとラリーを繰り返したが、椎名さんと柚木さんは明らかにわたしばかりを狙っていた。晶も早々にそれに気付いて、フォローしに来る。しかし打ち返しても、その次には反対側のガラ空きのところに返してくる、といった具合だ。結果的に晶は一人でコートの中を駆け回ることになったが、限界がある。

正式な試合ではなかったものの、こちらが失点を多く稼ぎ、練習時間は終了した。


「そんなんじゃ練習にならないじゃない」

「真面目にやってよね」


 二人は呆れたような小馬鹿にしたような視線を投げて、離れていく。

 わたしは恥ずかしいやら情けないやらで、耳まで熱くなるのを感じた。


「あの、晶ちゃん……ごめんね」

「なんで謝るの」


 晶はなんでもないように言う。それが本当になんとも思っていないのか、内心は穏やかでないのか、わたしにはわからない。常に自分が責められているような、被害妄想に陥ってしまう。

 わたしが黙っていると晶は、


「放課後、時間ある?」


 そう聞いてきた。



 放課後、わたしは晶と一緒に、彼女の暮らす下宿、桜華堂に向かった。途中で百円ショップに寄って、バドミントン用のシャトルとラケットを買う。


「ただいま」

「……お邪魔します」

「おかえり、晶ちゃん。雪乃ちゃんも、いらっしゃい」


 裏口からそっとカフェに顔を出すと、ここのマスターで、晶の保護者でもある陽介おじさんが、にこやかに迎えてくれる。

 晶は、親元を離れてここに下宿しているらしい。詳しい事情は聞いていないけれど、いつか話してくれる日が来るだろうか。


 カフェと下宿を兼ねている桜華堂は、元は古い洋館で、趣がある。

 晶の部屋に荷物を置かせてもらい、ジャージに着替えると、裏庭に出た。地面に大体の目安でガリガリと線を引き、簡易的なコートに見立てる。


「ネットはないけど、これでいいでしょ」


 そう言って、晶は真ん中に引いた線の向こう側に立つ。いつもはハーフアップにしている髪を、今はポニーテールにまとめている。

 晶は、先程の練習を見て気付いたことを指摘した。シャトルをよく見ること、ラケットは手首のスナップを利かせて振り抜くこと、そして何より、怖がらないこと。


「ま、適当にやってみましょ」


 晶は軽くシャトルを打ち上げ、わたしの方に寄越す。動く度に、晶のポニーテールが跳ねた。

 しかしわたしは、シャトルを落としたり、ラケットに当てても打ち返すまではいかなかったりするばかり。


「……ごめんなさい」


 自分が情けなくて嫌になる。


「だから、謝らなくていいって」


 晶はシャトルを拾ってわたしの方にやってくる。


「無理に練習しなくていいわ。あたしこそ、ごめんね」


 休憩しよう、と晶が言って、わたしもそれに続く。洋館の玄関口に腰かけ、持参したスポーツドリンクのペットボトルに口を付けた。

 9月になったとはいえ、まだまだ暑い日が続いて、少し動いただけで汗が滲む。


「クラス対抗の行事なんてくだらないわよね。できない子が晒し者になるだけなのに」


 わたしたちは、たまたま同じ年に、同じ地域に生まれただけで、性格も能力も違う。そんなわたしたちが、教室という同じ箱に押し込められて、同じことをして優劣をつけられる。そんなことをする意味なんてあるんだろうか。わたしには、わからない。そんな窮屈な場所で、どうやって息をすればいいのかも。


「でも、せっかくだから、嫌なだけの思い出にしたくないなって思って。できなかったことができるようになるのは嬉しいし、単純に身体を動かすのは楽しいと思うの」


 晶は強い。いじめっ子にも、理不尽なことにも立ち向かっていく。わたしはそれに助けられてばかりで、そんな自分が情けなくて、惨めで、嫌い。


「……晶ちゃんはすごいね。なんでもできて」

「そんなことないけど」


 晶は苦笑する。


「……どうやったら上手くなれるかなあ」


 晶みたいに。どうやったら、自分を好きになれるだろうか。


「練習するしかないんじゃない? 身体の動かし方って、訓練だしねえ」

「……そうだよね」


 現実は厳しい。でも、いつまでも晶の後ろに隠れてばかりでもいられない。わたしも、今を嫌なだけの思い出にはしたくない。少しでも踏み出したら、今とは違う明日にできるだろうか?


「晶ちゃん、もう少し、練習付き合ってもらえる?」


 わたしが言うと、晶はにっと笑った。


「もちろん」


 いつか、こんな日々も遠い思い出になる時が来るだろうか。学校が楽しいと思える時は、たぶん来ない気がする。それでも、彼女と出会えたことは、良かったと思う。

 まだまだ夏の気配が残るとはいえ、日が落ちるのはだいぶ早くなっている。気が付けば、空は茜色に染まって、吹く風も涼しく心地いい。その中で、思い切り身体を動かして、明日は今日と違う自分になってみたい。

 秋を感じる、この時間が好きだった。遠くの空を、烏の群れが渡っていった。

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