番外編1

追憶の欠片

「いただきまーす!」


 運ばれてきた料理を前に、彼女は軽く手を合わせると、早速ナイフとフォークを手に取る。


「……そういえば、写真は撮ったりしないんだな?」


 食べたものを写真に収めてSNSに投稿するという行為は、今やすっかり日常になっている。各種SNSを開けば、どこかの誰かが食べたものの写真が流れてこない日はない。そのブームは終わるところを知らず、「SNS映え」という言葉もすっかり定着し、カフェやレストランもこぞって「映え」を意識したメニューを開発している。もはや、何事も映えることが第一であるとも言えた。


「ん-、写真に撮ったら、〝撮ったからもういいや〞って忘れそうじゃない? だから、写真じゃなくて、自分の頭でちゃんと覚えておきたいの」


 そう言って、目の前のホットケーキにナイフを入れて一口サイズに切り分け、頬張る。「おいしー」と幸せそうに笑う彼女を見ていると、こちらも嬉しくなる。

 二人の前にあるのは、メープルシロップとバターが染み込んだ、丸くて厚い、絵本に出てくるようなホットケーキだった。最近の流行りはふわふわしたスフレタイプのパンケーキだが、二人が好きなのは昔ながらのこんなホットケーキだった。

 「そうか」と相槌を打って、自分もホットケーキを口に運んだ。やわらかくしっとりした食感と、小麦と卵の素朴な甘みが広がる。


「写真は残ってなくても、わたしはちゃんと覚えてるよ。仁君と一緒に行った場所とか、食べたものとか、どんなことがあって、何を話したとか。頑張って覚えてるんだから」


 仁が初めて彼女に振る舞ったのも、市販のホットケーキミックスに、牛乳と卵を混ぜて焼いただけのものだった。加減がわからず、少し焦げてしまったそれを、今と変わらない笑顔で「美味しい」と言ってくれた彼女を、仁だって忘れていない。


「……ホットケーキとパンケーキの違いって、わかるか?」


 なんだか気恥ずかしくて、話題を変えようとするが、


「もう、人が真面目な話してるのに、なんでそういう無粋なこと言うかなあ」


 彼女は頬を膨らませるので、仁はくすくすと笑う。

 こうやって、これからも何気ない日々を重ねていくのだと、信じて疑わなかった。



 今日は、仁の勤めるカフェ、桜華堂の定休日だった。

 桜華堂の料理を一手に引き受けている彼は、息抜きとリサーチを兼ねて、数駅先に行ったところにあるカフェに足を運んでいた。ここは最近メディアにも取り上げられ、行列が絶えなくなっており、早めに来たつもりだが既に待ち時間が発生していた。


 小一時間ほど並んでようやく案内された店内は、白を基調にした明るく可愛らしい内装で、桜華堂とは趣が異なっていた。客は若い女性やカップルが多く、男一人で入った仁は浮いていると言わざるを得ないが、そんなことを気にしていてはリサーチなどできない。

 

 料理が運ばれてくると、客たちは歓声を上げ、それをスマートフォンのカメラに収めている。

 看板メニューはパンケーキなので、仁もそれを注文する。少し待って運ばれてきたパンケーキは、ふわふわして厚みのある、スフレタイプのものだった。あえてトッピングのない、シンプルなものを選んだ。ドリンクは、オレンジやベリーが浸かったフルーツティー。


 添えられたメープルシロップをかけて、口に運ぶ。噛まずにふわふわと溶けるようなやわらかい食感だった。素材も良いものを使っているようで、確かに美味い。


 でも、やっぱり彼女と食べたホットケーキの味には敵わないと思ってしまう。リサーチに来ているはずだったのに、気が付けば思考は追憶に沈んでいく。

 パンケーキやホットケーキを食べる度に、彼女のことを思い出す。一緒に食べたものの匂い、好きだった音楽。それらに触れる度に、彼女を思い出す。


 今はもういない彼女は、自分自身の写真を撮られるのもあまり好きではなかった。そのため、仁の手元に残る彼女の写真も、ごくわずかなものだった。

 彼女は写真に頼らずに自分で覚えておくと言ったけれど、形のあるものが残っていないのは、やはりやるせない。写真が残っていることで、思い出すきっかけにもなるんじゃないかと思う。この時はどんなことを話したとか、あんなことがあったとか。


 自分はちゃんと、彼女を覚えていられるだろうか。人の記憶はいい加減なもので、時間と共に薄れて曖昧になっていく。


 忘れたくない。いつか、彼女の顔も声も、共に過ごした日々も、忘れてしまう日が来るのだろうか。それが怖い。


 仁はスマートフォンのフォトフォルダの奥にある彼女の写真を引っ張り出し、残りのパンケーキを口に押し込んだ。

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