#5
雪乃は泣きそうになるのを堪えながら、一通り話を終えた。少しずつ他の客も入ってきて店内は少々ざわついており、幸いにもこちらの様子を気にされている気配はなかった。
「話してくれてありがとう」
話を聞き終えた陽介は、雪乃に優しく言う。
雪乃は首を横に振り、
「……悪いのはわたしなんです。だから、和泉さんのことは叱らないでください」
「そんなことはしてないから、大丈夫だよ」
陽介が言うと、雪乃はほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「この本は、残念だけど今うちに在庫はないんだ。仕入れの時に探してみるけど、それでも絶対見つかる保証はできない」
パソコンで在庫を確認しなくても、昴の本なら今ここにないことは把握していた。数年前の本で、ベストセラーでもないから、新刊はおそらく手に入らないだろうし、古本でもどのくらい出回っているかは微妙なところだ。
「そう……ですよね。いいんです。それでもわたしは和泉さんにちゃんと謝らないといけないから……」
気が付くと、昴と那由多が忙しそうにホールで立ち働いている。雪乃はそれを見て、
「あ……お仕事中にごめんなさい」
「大丈夫だよ」
帰ります、と雪乃が席を立とうとした時、
「あ、ちょっと待って!」
トレイにグラスや皿を乗せて歩いていた那由多が、雪乃を呼び止めた。
「その本、あたしに預からせてくれない? 多分、直せると思うから」
雪乃も陽介も驚いた顔で那由多を見る。
「那由多ちゃん、本当? どうやって?」
災害などで浸水した本をきれいに直す技術は確かにあるが、那由多がそんな技術を持っているとは初耳だった。
「内緒」
那由多は片目を瞑って、唇の前に人差し指を立てて見せる。
そんな那由多と手元の本を交互に見て、雪乃は迷っているようだった。
「ね?」
重ねて言う那由多は、どこか有無を言わせないものがある。雪乃は戸惑いながらも、那由多に本を預けてみることにした。
「よし、じゃあ明日、また来てくれる?」
その言葉に雪乃は頷いて、紅茶の代金を払おうとした。しかし、陽介は「これはサービスだから」と受け取らず、雪乃は恐縮しきって桜華堂を後にした。
晶とも話をしたいところだが、間もなくランチタイムのピークに入ってしまい、オーダーを取ったり、料理やドリンクを作ったり、レジに立ったりと仕事に追われた。
昼時を過ぎ、ランチ目当ての客が落ち着いてくると、自身も遅めの昼食を摂りに、居住スペースの方へ移動する。
リビングのテーブルでは、晶が教科書や問題集を広げているところだった。
「あれ、ここにいたんだ。お昼は食べた?」
陽介がやって来ると、晶は顔を上げる。
「ううん、まだ。一緒に食べていい?」
言いながら、晶はテーブルの上を片付け始める。
「もちろんいいけど、もしかして待ってたの?」
「まあ、うん」
晶は少しばつが悪そうにに言う。
「じゃあ、君の分まかないももらってくるよ」
店に取って返した陽介が、晶の分もまかないをもらおうとすると、仁は「まだ食ってないだろうと思って」と手早く用意してくれた。さすが、用意がいい。
今日のメニューはオムライスだった。ケチャップライスを包んだふわふわの卵には特製のトマトソースがかかっており、卵の甘みとトマトの酸味が絶妙に絡み合う。
オムライスをスプーンで崩しながら、晶が口を開く。
「……あの子、何か言ってた?」
あの子とは、言わずもがな雪乃のことだろう。
「晶ちゃんに謝りたいって言ってたよ」
「……ふうん」
「あと、昨日のことも大体聞いた」
「……そう」
晶はオムライスを黙々と口に運んでいる。
「だから、君の目から見た話も、ちゃんと聞かせてほしいな」
「……」
そして、晶はぽつりぽつりと口を開く。
進級によるクラス替えに紛れたため、転校生はさほど目立たずに済んだ。
周りは既に以前からの顔見知りや部活仲間などで、固定グループができていた。しかし、そこに無理をして混ざる必要性は感じない。どうせあと一年ばかりの付き合いなのだから、当たり障りなく過ごせればいい。高校に入れば、ここでの人間関係などほとんど持ち越されないだろうし、今までもそうしてきたのだから。
そうやって、誰とも馴れ合うことはせず、しかし、クラスの人間関係はしっかり観察して、上手く立ち回る。そのうち、このクラスの問題に気付いた。
いわゆる、いじめだ。
被害を受けているのは、気が弱くておとなしそうな、二葉雪乃。主犯は、クラスのリーダー格、成瀬里香。彼女と共にいじめに加わっているのが数人。クラスの大半は見て見ぬふり。
陰口や無視に、持ち物を隠されたり壊されたり、暴力を受けたり。晶が見た範囲だけでも、かなり目に余ることが行われていた。先生たちは知っているのかどうなのか。
まったく、どこにいってもこの手の問題は起こるのか。晶は苦々しい気持ちで、彼女たちを観察していた。くだらない。
関わらないでいるのが吉か。下手に関わればこちらにターゲットが移る。人は、異物を排除したがる生き物だ。新しくコミュニティに入ってきた転校生など、格好の的にされる。では、どうする。
別に正義の味方を気取りたいわけじゃない。でも、卑怯な真似は気に入らないし、びくびくして殻に閉じこもっている彼女を見ていると、昔の自分と重なって、ちょっといらいらしたから。
だから、いつも教室の隅で、一人本を読んでいる雪乃に、声をかけた。
「ねえ、何読んでるの?」
あまり愛想よくはできなかったかもしれない。案の定、雪乃は茶髪の一見不良っぽい転校生に突然話しかけられて、びくりと肩を震わせていた。
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