#6

 それ以来、晶と雪乃は少しずつ話したり、一緒に行動したりするようになった。

 話してみれば気が合ったし、この年頃の少女たちにありがちな、トイレに行くのも何をするのも一緒という価値観もお互いなかったので、心地よい距離感を作ることができそうだった。

 そして、晶が目を光らせていれば、いじめている側もうかつに手が出せない。経験上、晶はそのことを理解していて、自分の容姿も含めて利用していた。

 当然、成瀬里香たちはそれが気に入らず、報復の機会を狙っていた。



 その日、雪乃はうっかり一人で人通りの少ない場所を歩いていたところを、里香とその仲間に捕まった。


「あんた、最近あの転校生と仲良いのね? 生意気」


 しまった。周囲を見回すが、晶も先生もいない。他の生徒はこちらに目もくれず、通り過ぎるばかり。


「せっかくあたしたちがあんたに構ってあげてたのに、最近冷たいじゃない。――そうね、あいつの持ち物、何か盗ってきなさい。そうしたら、許してあげてもいいわ」


 この人は何を言っているのだろう。

 そう思う一方、身に沁み込んだ恐怖が頭をもたげ、動けない。


「できなかったらどうなるか、わかってるわよね?」


 それは、さながら悪魔の囁きだった。



 放課後、晶は同じ班の生徒たちと当番個所の掃除を終えて、教室に戻るところだった。

 そこで、何やら挙動不審な様子で、胸に何かを抱えて教室を出ていく雪乃を見た。

 生徒たちの大半は、既に帰宅したり部活に行ったりして、教室に残っている者はほとんどいなかった。

 ふと、自分の机で鞄の中身を確認した晶は、その日持って来ていた本がないことに気付いた。

 晶はすぐさま、雪乃の後を追った。



「あら、やればできるじゃない」


 指定通りにゴミ捨て場へやってきた雪乃を前に意地の悪い笑みを浮かべて、成瀬里香が言う。

 ごめんなさい。ごめんなさい。雪乃は胸の中でひたすら繰り返す。

 里香は雪乃の手から奪うように本を取ると、


「あんたもあの転校生も、本ばっかり読んで辛気臭いわね。こんなもの、何が面白いんだか」


 そして次の瞬間、その本を容赦なく地面に叩き付けた。


「――!」


 折悪しく、直前まで雨が降っていて、地面には水たまりができてぬかるんでいた。水を防御できない紙の束に、見る間に泥水が染み込んでいく。

 里香と仲間たちがけらけらと笑う中、雪乃は声にならない悲鳴を上げた。

 絶望の表情を浮かべる雪乃を見て、里香は更なる凶行に及ぶ。

 里香は細くきれいなその足を、地面に落ちた本の上に振り上げた。

 やめて。それ以上は。

 考える前に、雪乃は本と里香の足の間に、自分の腕を滑り込ませていた。制服が泥で汚れ、手は里香の靴がかすめて少し血が滲んだ。

 その時、雪乃の背後でざり、と土を踏む音がした。晶がそこに立っていた。

 その整った顔からは、一切の感情がうかがえない。それがかえって恐ろしかった。

 


 晶は一切の表情を消したまま、泥で靴が汚れるのも構わず、大股でつかつかと里香に近付く。

 そして、流れるような動作で里香の制服の胸元を掴んで引き寄せると、拳を握って構えた。平手打ちなんて可愛い真似はしない。

 今度はおとなしくしていようと思った。桜華堂の皆を好きになれそうだと思ったから。ここにいたいと思ったから。

 けれど、波風を立てずに息を潜めるか、自分らしくいるために戦うか選べと言われたら、きっと後者を選んでしまう。「こんな問題を起こす子は預かれない」と言われようとも。

 里香の顔から余裕が消え、「ひっ」と息を呑む音が聞こえた。

「こら! 君たち、何をしてるんだ!」

 学年主任の先生が通りかかって止めに入ったのは、晶が拳を振り下ろそうとした瞬間だった。



 二人の話を総合すると、そういうことだった。本は雪乃が回収して、持っていたらしい。


「……本気で殴るつもりはなかったよ。いじめっ子なんて、こっちに反撃する力があるのを見せつければ黙るから、今回もそうしようと思ったんだけど」


 先生たちはあちらの嘘の主張を採用し、晶が悪者にされてしまった。


「辛かったね」


 暴力はよくないだろう。しかし、陽介は晶の行動を否定しなかった。


「……別に。慣れてるし」


 それは、何に対してだろう。悪く言われることにだろうか、いじめに関わることにだろうか。言葉の端々から、晶自身もおそらくいじめに遭っていたことがあるのだろうとうかがえる。

 けれど、いくら慣れても、辛さがなくなるわけではないだろう。


「辛かったら辛いって、言っていいんだよ」

「……大事なもの学校に持って行ったあたしが悪いんだから」


 立ち回り方を誤った自分が悪い。晶はそう自分に言い聞かせる。辛さを表に出すことは、プライドが許さなかったし、何より、言葉にしたら、押し込めていた気持ちが溢れて、どうにもならなくなりそうだったから。

 大切なものを壊されたことに対する、腹の底がねじれるような怒り。そして――初めて友達になれたと思った相手に裏切られたことが、たまらなく悲しくて、悔しくて、情けなくて。

 でも、陽介はそんな晶に真摯な目を向けてくる。

 優しくしないで。そんなふうにされたら、自分の形を保てなくなる。

 気が付くと、晶の両の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。

 滲んだ視界に、そっとティッシュの箱が差し出された。

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