#2

 客足が落ち着いてきたタイミングで、あきらは店の奥から居住スペースへ案内された。


「1階にキッチンとお風呂とトイレがあって、2階が皆の部屋だよ。あ、トイレは2階にもあるから」

 洋館だが、靴は脱ぐ仕様らしい。スリッパに履き替えて、中に入る。

 店舗と居住スペースを隔てるドアの他に、こちらから直接外に出られるドアと、店の厨房にも勝手口がある。扉を閉めると、別の世界に迷い込んだような気分になった。

 1階は大部分を店舗が占めているようだった。ドアを隔てて反対側には、ソファやテレビが置かれたリビングスペースがある。

 窓の外から見える裏庭には、1本の咲きかけの桜の木が立っていた。その根元を、小さな猫が一匹、横切ったのが見えた。頭と背中が茶色と黒の縞模様で、顔の下半分とお腹は白い。野良猫だろうか。

 あの柄の猫を見ると、思い出すことがある。子供の頃、捨てられていたのを連れ帰ったけれど、助けてあげられなかった子猫。

 思い出の世界に浸りかけていると、「こっちだよ」と七海氏に呼ばれ、慌てて追いかけた。


 2階に上がると、左右に廊下が広がり、ドアがいくつも並んでいた。

 君の部屋はここね、と右手の一番奥に案内される。

 部屋は想像していたよりも広かった。ベッドと机、本棚に、先に運び込まれていた引っ越し業者のロゴが入った段ボールがいくつか積み上がっていたが、それでも余裕がある。

「リビングとかは好きに使っていいから。今日は早めにお店閉めるから、晩ご飯は一緒に食べよう。それまで少し待っててね!」

 そう言い置いて、陽介は店に戻っていった。


 一人になると、静寂が落ちてきた。

 自分だけの部屋。自分のために用意されたベッドや机。本当に、これらは自分のものなのだろうか?

 何となく夢を見ているような気持ちで、晶はベッドに転がった。

 枕に顔を埋めると、下ろしたての匂いがした。

 しまい込まれていたカビ臭い客用の布団しか与えられないこともあったのに。

 ぼんやりしている場合ではない。荷物を整理しないと。

 そう思って身体を起こすと、どこから入ってきたのか、先程見かけた猫がベッドに飛び乗ってきた。いつの間に入り込んだのだろう。

「お前、ここの猫なの?」

 鼻先にそっと手を近づけるが、猫はふいっと顔を背けてベッドから飛び降りてしまった。そのまま猫の行方を目で追っていると、閉まっていたはずのドアがすっと少し開いて、外に出て行った。

(え?)

 閉め方が甘かったのだろうか。不思議に思ってドアに近寄り、そっと外に顔を出すと、廊下の先に猫がいた。目が合うと、まるで晶が来るのを待っていたかのように、しっぽを振って階段を下りていく。

 

 それを追って階下に下りていくと、猫は裏庭に出るドアの前で、やはり振り返ってこちらを見ている。猫は晶がついて来ているのを確認したように、今度はそのドアが猫を通すように開いて、猫は軽やかな足取りで裏庭へ出て行った。晶も導かれるようにその後を追う。

 猫はとことこ歩いて、晶を桜の木の根元まで連れて行き、その陰にさっと飛び込んだ。

 晶が桜の陰を覗き込むと、そこには晶をここまで先導してきた猫はいなかった。代わりに、同じ柄だが、大分汚れて痩せた子猫がうずくまっていた。

 猫は晶を見上げて、みゃあ、とか細く鳴いた。

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