エキシビジョン作品 6月14日(最終日)公開分
【Ex- 074】はじまりの歌声
部屋に入れば、妹がパソコンにヘッドホンをつけて、ふんふんと鼻歌まじりに緩やかに首を振っていた。
「まーた音楽聴いてるの?」
綺麗に結われたポニーテールが、ぴょんぴょんと元気よく跳ねる様を見ながら訊くけれど、返事はない。
当然と言えば当然だ。ドアの前で呼んでも返事がなかったのだから。
「
「うひっ!」
細い肩を両手で叩けば、陽香はその場で飛び上がった。
「と、
「ご飯。お母さん何度も呼んでたよ」
「嘘!? 全然気づかなかった!」
ワタワタとマウスを操作する陽香越しに画面を見る。
そこには、いつも彼女が見ている動画サイトがあった。
「好きだねぇ」
「この人の事? 凄いんだよ! 繊細で綺麗な歌声で、本当に本当に――」
「でもいつもはバラードばかりじゃなかったっけ、この人。その割にはあんた、ノリノリで聴いてたけど」
問いかければ、よくぞ訊いてくれました、と言わんばかりにキラキラとした目で陽香が見上げてくる。手、止まってるわよ。
「この人ね、自作曲を歌ったの!」
「へぇ」
「もう、本当に凄いんだから!」
適当に流そうとしたら怒られた。
はい、とヘッドホンを押し付けられる。
「え、なに」
「聴くの」
「いや、もうパソコンシャットダウンしてるでしょ」
「立ち上げるから」
「ご飯、できてるんだってば。怒られるよ?」
ムスッと頬をふくらませる陽香にあとで聴く約束をして、私たちは部屋を出た。
その後約束通りに歌を聴いて、私はただただ衝撃を受けた。
繊細で脆さを感じさせるけれど、だからこそ綺麗な儚い歌声。
明るい伴奏に、一見軽快な、でも同時に切なさもはらんだ歌詞と歌い方。
まるで硝子細工を聴いているようなそれに、心がうずくのを感じた。
歌いたい、と。
そう思ったのだ。
歌なんて、特別好きでも嫌いでもなかったのに。
そこからはすぐだった。
バイトの時間を増やせるだけ増やして、機材を買い揃えた。
動画サイトにも登録をした。
どの曲をカバーするか悩んで、陽香にオススメしてもらった曲から選んで、名前もつけてもらって。
私は歌った。
陽香は喜んでくれた。
評価だってされた。
でもなによりも嬉しかったのは、私が歌うきっかけになった人が、そっとその動画をお気に入り登録してくれた事だった。
部活やバイトもあるから毎日は無理だったけれども、時間を見つけては歌って、動画を公開していった。
歌を歌うことが楽しくて、楽しくて。
だから私は、日に日に陰っていく陽香の表情に気づけずにいた。
「あの人、歌うの辞めちゃったみたいなの」
ギュッと冷たい手で心臓を潰された心地がした。
私が夢中で歌うようになってから、あの人は動画をあげなくなってしまったらしい。
「きっと、生活が忙しくなったんじゃないかな」
なんとか返した私の言葉は、震えていなかっただろうか?
自意識過剰と言われるかもしれない。
だけど、私と入れ替わるようにして動画を公開しなくなるなんて、そんな偶然はあるんだろうか。
私が、私の歌が、陽香の楽しみを、あの人の歌声を、奪ってしまったんじゃないか。
それからはずっと、歌う度にそんな思いが頭をかすめるようになってしまった。
それが、今から十年くらい前の出来事。
あの頃は高校生だった私も、もう社会人。
今思えばほぼ確実に勘違いであろう罪悪感から逃れるために、仕事を理由にして歌から遠ざかっていた。
当時中学生になったばかりだった陽香は、あの人が歌わなくなったと私に言った少しあとから、お小遣いが続く限りカラオケに入り浸るようになった。
それは高校生になっても、そして大学生になっても続いた。
流石にどうなんだと家族全体で揉めに揉め、一時期おとなしくなったと思えば、上京すると言い残して家を出ていった。
一応家の住所などは把握しているし、毎日のように連絡はくれるけれども、心配は心配である。
今度会いに行こうか、どうしようか、なんて考えているときだった。
陽香から電話があった。
「もしも――」
「透子姉!」
元気のいい、明るい声。
電話自体は何度かしているのに、久しぶりに聞いたような声にああそうか、と気づく。
こんなにテンションの高い声は、あの人の歌について話していたとき以来だ、と。
「どうしたの」
「あのね! 今すぐ動画サイト見てほしいの!」
「どうして……」
「いいから早く!」
急かされるままにスマホを操作して久しぶりに動画サイトにログインする。
懐かしい名前を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
新着動画。その中の一つに、それはあった。
「ねえ、この曲、覚えてるよね!?」
「……もちろん」
忘れるはずがない。私が歌い始めたきっかけの歌なのだから。
でも、なんで今更十年前の曲が……?
そう思って投稿日を見て、自分の目を疑った。
今日だ。しかも投稿されてからまだそんなに時間は経っていない。
「また歌ってくれるのかな?」
「どうだろうね」
でも、そうだといいな、と、心の中で小さくつぶやいた。
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