【Ex- 077】泪(るい)と笑美(えみ)

「こちらです。散らかっててすみません」


 オーナーの案内で店の奥の居住スペースに上がらせて貰う。確かに。表の店舗は清掃が行き届いていて綺麗なのに、こちらは生活感が、なんと言うか、溢れ過ぎて渋滞している。廊下の左右には、雑誌や空き缶が積みあがり、山になっていた。あたしは山を崩さないよう、注意深くオーナーの背中を追いかけた。

「すみません。店に置いてる雑誌なんです。そのまま捨てるのも勿体なくて。目を通してからなんて思ってるうちに……」


 奥の和室へ案内され、仏壇の前に。小さくお辞儀をして座布団に座り、しげしげと仏壇を見上げる。

 細工の丁寧な、美しい仏壇だった。鏡のように顔が映り込むキメの細かい漆を螺鈿らでんの天の川がよぎる。詳しくはないが、意匠の凄さはなんとなく感じられる。


 これだけでも、彼女が大切にされてきたのであろうことが察せられた。短くとも、幸せな人生だったに違いない。


 オーナーが仏壇の扉を開く。外と内、二重の両折れ扉を開くと、金箔を張り巡らせた宮殿や高欄が現れた。中央最上段には仏像と位牌が安置されている。左右の灯籠に仕込まれたLEDに火が灯ると、香炉の脇に置かれた写真に目がとまる。

 

 あたしだった。二十年前のあたし。正確には、二十年前のあたしと同じ顔の女性。産まれた時から顔にある小さな赤い斑の位置だけが違う、二十年前のあたしと瓜二つの女性。


笑美えみ……」


 まさか、たまたま立ち寄っただけの古民家カフェで双子の妹と再会できるとは思わなかった。

 あたしは、三十五年前の、あの別れの日を思い浮かべながら、静かに目を閉じて、手を合わせた。


――そっか。ここにいたんだね。会えて嬉しい。


 孤児院からそれぞれ別々に引き取られ、互いに連絡も取れないまま別々の人生を歩んできた。会うことも連絡を取ることも無いけれど、何処かで生きてるんだと思ってた。まさか亡くなってたなんてね。


――あたしも色々とあったけどさ。笑美えみ、あなたはどうだった?


 そっと目を開けると、香炉の横の笑美えみが笑いかけてきた。


 あたしが手を合わせている間、そっと後ろで見守っていたオーナーへ振り向く。


「そっくりだから、驚かれたでしょう?」

「えぇ。それに、笑美えみからは姉妹きょうだいがいるとは聞いてなかったもので」

「赤い斑の位置だけが違うんです」


 遺影の中の笑美えみは左のえくぼのところに小さな赤い斑がある。あたしは右目の下。オーナーにそこを指差してみせた。


「なるほど……」

 マスターはそう短く言った。隠しきれない残念さが滲んでる。多分、笑美えみが戻ってきたと、どこかで信じたかったんじゃないかな。瓜二つなんだもん、仕方ないよね。


「それに電話で。何度もしつこい悪戯電話だったんですが。後ろに居ると言われて振り向いたら……」

「あたし?」

「はい……」


 沈黙を破って若い男性の声が響いた。

「父さん、お客ー」

「分かった。すぐ行く。注文は?」

「母カレーとケーキセット二つ」

「了解」


 オーナーと入れ替わるように、二十歳ぐらいの息子がやってきた。手には店の窓際に飾られていた古めかしい着せ替え人形。赤に白い花柄の模様のドレス。それを写真のそばにそっと座らせる。


「母が大切にしていたんです」

「知ってる。よく一緒に遊んだから……」


 笑美えみの方が、あたしより半年ほど早く養父母のもとへ引き取られて行った。その時、この人形を持っていくよう、あたしが笑美えみに言ったのだ。


「この人形をずっと大切にしていれば、あたしたち、きっとまた会えるから」

「大切にする。絶対に離さない」


 でも、それが今生の別れとなるであろうことは、どこかで二人とも分かっていて。あたしと笑美えみは抱き合って泣いた。


 ◇   ◇   ◇


「旅行やお出かけの時にも、必ず持ち歩いてたそうです」

「そうなんだ」


 きっと。この人形があたしたち姉妹を巡り合わせてくれたんだと思う。でここまで旅をしてきたけれど、何故かこの人形と一緒に旅をしてきたような、そんな気がするから。


「ねぇ、お名前は?」

遥斗はるとはるかに、北斗七星ほくとしちせいで、遥斗はると

「へぇ、良い名前ね」

「か……じゃなくて、えっと。お……じゃなくて、は?」

るいよ」


――まて。遥斗はると。最初、「母さん」って言いかけたでしょ? あんたみたいな大きな息子がいる歳でも……言いかけて、笑美えみには、いたんだと思い至り、驚く。

 あ、でも。次に「おばさん」って言いかけたでしょ。「伯母おばさん」であってんじゃん。言い直そうとするところに逆に傷付くっつーの。


 ◇   ◇   ◇


 笑美えみとオーナーって、二十近く歳が離れてたんだね。驚きだよ。

 オーナーは、最近、早期退職制度で会社を辞めて、古民家を買い取り、カフェを開業。それが殊の外繁盛して、息子と二人では手が足りないと感じていたところだったらしい。

 ちょうど仕事も辞めて身軽だったあたしは、住み込み従業員として雇って貰うことになった。


 え? それから? あたしが? オーナーと? ないない(笑)

 確かに双子のさがか、笑美えみが愛した程の男性ってことで気にはなるし、嫌いじゃないけれど、オーナーの笑美えみへの想いが強すぎて、火傷しそうだもん。近付けないよ。笑美えみへの遠慮というよりも、そんな事したら、オーナーに失礼かなって。


 でもさ。笑美えみが愛した物や愛した人に囲まれて暮らすの、案外、悪くないもんだね。そばに笑美えみが居るような、そんな感じがする。

 オーナーも遥斗はるとくんも、そうなんじゃないかな。ずっと、笑美えみをそばに感じながら生きてきたんだと思う。


「そう言えば、るいさん。あのカレーの隠し味、なんでパッと分かったんです?」


 テーブルを拭いていたあたしにオーナーがふと訊ねる。初めてお店で笑美えみ特性の「うちの母さんのカレー」を食べた時に、その七つの隠し味をたちまちあたしが当ててしまったからだ。


「ああ、あれですか。あたしたちのいた孤児院のカレーライスのレシピなんです。ジャムとドライフルーツは孤児院の自家製でした。自分たちで作って、売り上げが子どもたちのお小遣いにもなってたんですよ」


 ドアベルが、チリンと鳴る。

 マスターと遥斗とあたしの声が綺麗に重なる。


「「「いらっしゃいませ!」」」


〜おしまい〜




――終わりだと思った? えへへ。まだだよ。今から電話を掛けないと。誰に? もちろん。貴方によ。

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