【Ex- 025】Aボタンはここぞって時に



「あーほら、そこがダメなんだよお前は。せっかく無敵のスター取ったのにすぐ使うだろ? アイテムのAボタンは『ここぞ!』って時に押すんだよ。そこが俺との差だな」


 私の拙いプレイを横目に、お兄ちゃんはぶっきらぼうに言った。でも、こう見えてお兄ちゃんは私に優しい。同世代の友達がいない私と、いつもゲームをしてくれるから。


 よく晴れた初夏の休日。私とお兄ちゃんは少し古いゲームで遊んでいた。スーファミが誇るレースゲームの傑作、スーパーマリオカート。

 お兄ちゃんが操るカメのノコノコは、見た目とは裏腹にGPグランプリで一位を独走していた。どれだけ頑張っても追いつけない速度で。


「お兄ちゃん、ちょっとは手を抜いてやろうとか思わないの? 高校生なのに」

「俺はお前みたいな小学生にも全力を出すんだよ。だいたい失礼だろ? 勝負事に手を抜くって。全力の俺に勝った時、お前はひとつ成長できる。むしろ感謝してほしいくらいだな」


 お兄ちゃんは言葉の途中で、きついヘアピンをドリフトして曲がっていく。そしてバナナの皮をコース上に設置するのも忘れない。実にいやらしい配置。


「こういう罠アイテムをかわせない時とか、赤こうらを投げられた時のためにスターは残しとくんだ。持ってることで気持ちに余裕も出る。これを使えばいつでもお前に勝てるんだぜ、ってな」

「余裕?」

「相手を舐めるのはよくないが、萎縮しすぎはもっとよくない。学校でのお前は、そんな感じなんじゃないのか?」


 ……確かにお兄ちゃんの言う通りだった。学校での私は、必要以上に小さくなってしまって、クラスメイトとも上手く話せない。いつも一人。友達もいない。

 だからお兄ちゃんの存在は、私にとって救いだった。たまに意地悪なところが、玉にきずなのだけど。


 お兄ちゃんのノコノコは、そのまま独走状態でゴールラインを通過する。これで何連敗だろう。私は一度も、お兄ちゃんに勝ててない。


「また俺の勝ち。今日の敗因はスターの使いどころだな。切り札は切り時が肝心だ。俺に勝ちたかったら覚えとけ」

「私、まだ六年生だよ。勝てる訳ないよ」

「でもお前、このゲーム好きなんだろう?」


 私は思わず、うんと頷く。これは思い出のゲーム。今はもういない、お姉ちゃんとよくやったゲームだから。

 千早ちはやお姉ちゃんは六年前、水の事故で亡くなってしまった。ずっと泣いていた私を救ってくれたのが、千早お姉ちゃんと一番仲の良かった隼人はやとお兄ちゃんだ。

 だから『お兄ちゃん』と言っても、本当のお兄ちゃんじゃない。でもお兄ちゃんはこうして、私を本当の妹みたいに思ってくれている。とても優しい、四つ年上のお兄ちゃん。


「いいか美早みはや、簡単に諦めるな。藻掻いて足掻いて踏ん張ってみろ、学校でもな。友達だって出来るかもしれないぞ」

「……それでもダメだったら?」

「切り札を使え。無敵のスターをな」

「私、そんなの持ってないよ」

「俺がお前の切り札スターになってやる。どうしても諦めそうになった時、俺が何でも願いを叶えてやるよ。無敵になれるんだから、願いごとなんて一発だろ。でも一回だけだ。切り札はそういうもんだからな」

「何でも? 何でもしてくれるの?」

「一回だけな。だから簡単に使うんじゃない。ここぞって時だ。切り札は切り時が肝心って言ったろ?」


 お兄ちゃんはニヤリと笑った。どこか人を食ったようなその笑顔。それは千早お姉ちゃんのものと、よく似ているように見えた。




 ★




 今にして思えば、それがきっかけだったのだろう。どうしてもダメだったら、お兄ちゃんが助けてくれる。絶対、助けてくれる。

 その気持ちの余裕からか、私には少しずつ自信がついてきた。

 引っ込み思案だった小学生を卒業して、何でも話せる親友が出来た中学時代を経て。高校生になった頃は毎日が楽しくて、自由が増した大学生活はもっと楽しくて。


 大人になるにつれて忙しくなる中でも、お兄ちゃんは私との時間をなるべく作ってくれた。

 私が失敗してへこんだ時も。恋にやぶれて泣き腫らした時も。重大な決断に迷った時も。いつもお兄ちゃんは、私のそばで話を聞いてくれていた。

 お兄ちゃんは私にとって、いるだけで気持ちに余裕が出る切り札スターだったのだ。


 でも、時の流れは想像以上に早くて。お兄ちゃんが東京に就職して、簡単には会えなくなって。私も地元で就職して、びっくりするほど忙しくなって。

 地元の居酒屋で久しぶりに会えた時、お兄ちゃんは「気が付けば二十代最後の夏だぜ」と、カルピスサワーを片手に疲れた顔で笑っていた。



「お兄ちゃん、調子はどう?」

「まぁ、ぼちぼちだな。美早みはやは?」

「まぁ、ぼちぼちかなぁ」

「彼氏はいるのか? どうなんだよ」

「一年半ぶりに会って、いきなりそれ聞く? おじさんになったなぁ、お兄ちゃんも。お兄ちゃんこそどうなの。彼女いるの?」

「俺のことはいいんだよ。お前が先に幸せにならないと、俺も幸せになれないからな」

「なにそれ」

「俺がそう決めたのさ」


 お兄ちゃんは純粋に心配してくれてるのだろう。妹に幸せになってほしいと、本気で思ってそうだ。

 そう。私をきっと、心配してくれている。だから好きなのだ、お兄ちゃんのことが。気付くのがもう、周回遅れくらいに遅かったけど。



「……そう言えばさ。マリオカート覚えてる? よくやったよね」

「当たり前だろ。ていうか俺、今もやってる。復刻版のスーファミミニでな」

「それほんと? なんで?」

「どうしても勝ちたいヤツがいるんだ、って俺のことはいいんだよ。お前いま、何か悩んでんな? 昔からすぐ話題変えるもんな、こういう時」


 相変わらずお兄ちゃんは聡い。でもこの悩みだけは、簡単には打ち明けられない。

 私の気持ちを余所に、お兄ちゃんが問う。


「美早、何に悩んでんだ?」



 無敵のスター、まだ残ってたよね。

 私、叶えてほしいことがあるんだ。



 私がそう言ったなら、お兄ちゃんはどんな反応をするだろう。


 ──アイテムのAボタンは、ここぞって時に。今がその「ここぞ」なのだろうか。それとももう「ここぞ」は来ないのかな。


 私は心の中のAボタンに指をかける。

 押すか、押さないか。それをまだ迷う。

 切り札は切り時が肝心、って言ったのはお兄ちゃんだよね。



「──あのさ、お兄ちゃん」







【終】


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