【Ex- 025】Aボタンはここぞって時に
「あーほら、そこがダメなんだよお前は。せっかく無敵のスター取ったのにすぐ使うだろ? アイテムのAボタンは『ここぞ!』って時に押すんだよ。そこが俺との差だな」
私の拙いプレイを横目に、お兄ちゃんはぶっきらぼうに言った。でも、こう見えてお兄ちゃんは私に優しい。同世代の友達がいない私と、いつもゲームをしてくれるから。
よく晴れた初夏の休日。私とお兄ちゃんは少し古いゲームで遊んでいた。スーファミが誇るレースゲームの傑作、スーパーマリオカート。
お兄ちゃんが操るカメのノコノコは、見た目とは裏腹に
「お兄ちゃん、ちょっとは手を抜いてやろうとか思わないの? 高校生なのに」
「俺はお前みたいな小学生にも全力を出すんだよ。だいたい失礼だろ? 勝負事に手を抜くって。全力の俺に勝った時、お前はひとつ成長できる。むしろ感謝してほしいくらいだな」
お兄ちゃんは言葉の途中で、きついヘアピンをドリフトして曲がっていく。そしてバナナの皮をコース上に設置するのも忘れない。実にいやらしい配置。
「こういう罠アイテムを
「余裕?」
「相手を舐めるのはよくないが、萎縮しすぎはもっとよくない。学校でのお前は、そんな感じなんじゃないのか?」
……確かにお兄ちゃんの言う通りだった。学校での私は、必要以上に小さくなってしまって、クラスメイトとも上手く話せない。いつも一人。友達もいない。
だからお兄ちゃんの存在は、私にとって救いだった。たまに意地悪なところが、玉に
お兄ちゃんのノコノコは、そのまま独走状態でゴールラインを通過する。これで何連敗だろう。私は一度も、お兄ちゃんに勝ててない。
「また俺の勝ち。今日の敗因はスターの使いどころだな。切り札は切り時が肝心だ。俺に勝ちたかったら覚えとけ」
「私、まだ六年生だよ。勝てる訳ないよ」
「でもお前、このゲーム好きなんだろう?」
私は思わず、うんと頷く。これは思い出のゲーム。今はもういない、お姉ちゃんとよくやったゲームだから。
だから『お兄ちゃん』と言っても、本当のお兄ちゃんじゃない。でもお兄ちゃんはこうして、私を本当の妹みたいに思ってくれている。とても優しい、四つ年上のお兄ちゃん。
「いいか
「……それでもダメだったら?」
「切り札を使え。無敵のスターをな」
「私、そんなの持ってないよ」
「俺がお前の
「何でも? 何でもしてくれるの?」
「一回だけな。だから簡単に使うんじゃない。ここぞって時だ。切り札は切り時が肝心って言ったろ?」
お兄ちゃんはニヤリと笑った。どこか人を食ったようなその笑顔。それは千早お姉ちゃんのものと、よく似ているように見えた。
★
今にして思えば、それがきっかけだったのだろう。どうしてもダメだったら、お兄ちゃんが助けてくれる。絶対、助けてくれる。
その気持ちの余裕からか、私には少しずつ自信がついてきた。
引っ込み思案だった小学生を卒業して、何でも話せる親友が出来た中学時代を経て。高校生になった頃は毎日が楽しくて、自由が増した大学生活はもっと楽しくて。
大人になるにつれて忙しくなる中でも、お兄ちゃんは私との時間をなるべく作ってくれた。
私が失敗してへこんだ時も。恋にやぶれて泣き腫らした時も。重大な決断に迷った時も。いつもお兄ちゃんは、私の
お兄ちゃんは私にとって、いるだけで気持ちに余裕が出る
でも、時の流れは想像以上に早くて。お兄ちゃんが東京に就職して、簡単には会えなくなって。私も地元で就職して、びっくりするほど忙しくなって。
地元の居酒屋で久しぶりに会えた時、お兄ちゃんは「気が付けば二十代最後の夏だぜ」と、カルピスサワーを片手に疲れた顔で笑っていた。
「お兄ちゃん、調子はどう?」
「まぁ、ぼちぼちだな。
「まぁ、ぼちぼちかなぁ」
「彼氏はいるのか? どうなんだよ」
「一年半ぶりに会って、いきなりそれ聞く? おじさんになったなぁ、お兄ちゃんも。お兄ちゃんこそどうなの。彼女いるの?」
「俺のことはいいんだよ。お前が先に幸せにならないと、俺も幸せになれないからな」
「なにそれ」
「俺がそう決めたのさ」
お兄ちゃんは純粋に心配してくれてるのだろう。妹に幸せになってほしいと、本気で思ってそうだ。
そう。私をきっと、妹として心配してくれている。だから好きなのだ、お兄ちゃんのことが。気付くのがもう、周回遅れくらいに遅かったけど。
「……そう言えばさ。マリオカート覚えてる? よくやったよね」
「当たり前だろ。ていうか俺、今もやってる。復刻版のスーファミミニでな」
「それほんと? なんで?」
「どうしても勝ちたいヤツがいるんだ、って俺のことはいいんだよ。お前いま、何か悩んでんな? 昔からすぐ話題変えるもんな、こういう時」
相変わらずお兄ちゃんは聡い。でもこの悩みだけは、簡単には打ち明けられない。
私の気持ちを余所に、お兄ちゃんが問う。
「美早、何に悩んでんだ?」
無敵のスター、まだ残ってたよね。
私、叶えてほしいことがあるんだ。
私がそう言ったなら、お兄ちゃんはどんな反応をするだろう。
──アイテムのAボタンは、ここぞって時に。今がその「ここぞ」なのだろうか。それとももう「ここぞ」は来ないのかな。
私は心の中のAボタンに指をかける。
押すか、押さないか。それをまだ迷う。
切り札は切り時が肝心、って言ったのはお兄ちゃんだよね。
「──あのさ、お兄ちゃん」
【終】
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