【Ex- 087】ロボットと人間と祈りのはなし

 MSL型5039番は目を開ける。現在自身がスリープ状態であることを知っていたので、そこが自らの作り出す仮想空間であることも容易く認識できた。真っ白な部屋に、真っ白なテーブルと椅子がある。スリープ状態にある時は、大体このような空間に意識のようなものが囚われるのだ。ただ大人しく椅子に座り、そのままスリープが覚めるのを待つ。

 瞼を閉じ、また開ける。いわゆる瞬きに似た動きをすると、その瞬間自分の向かいの席に何かが現れた。


「はじめまして」


 5039番にとっては想定外であったが、エラーを疑うほどではない。そこにいたのは、橘耕作だった。

 耕作はにこにこと微笑みながら5039番を見ている。このようなことは初めてであったため、5039番も彼にならって「はじめまして」と挨拶をした。

 まず間違いなく橘耕作本人ではない。恐らくは5039番の中にある、十分すぎるほど大量の記憶材料で作り上げたそれらしい存在だろう。なぜ自分がこのような存在を生み出したのか5039番にも不明だが、先ほど言ったようにエラーといえるほどではない。


「花と実は、元気か?」


 5039番は僅かに眉をひそめる。迷ったが、「はい」と素直に答えた。そうか、と彼は目を閉じた。

 とても静かだ。耕作はそれ以上何も喋らなかった。ただ沈黙の時間が続き、不意に5039番はどうしても自分の中に正解を出したい問いがあったことを思い出した。


「なぜ、あなたは彼らのことを置いて行ったのですか?」

「俺があの子たちを置いて行ったと思っているのか?」

「事実としてあの子たちは残されました。あなたは見知らぬ子供を助けるとき、その可能性を十分考慮できたはずです」

「いや、考慮していなかった。俺は最後の最後まで、まあ何とかなるだろうと考えていた」


 きょとんとして、5039番は大真面目に「それではあなたがただの馬鹿であるということになってしまいます」と言う。耕作は吹き出して、ゲラゲラ笑った。そんな顔は本当に、花と実によく似ている。

「そうだな、そうだ。本当にそうだ」

「ふざけているのですか?」

 ムッとして、「聞き方を変えます」と5039番はちょっと身を乗り出した。

「結果がわかっていたら、あんな馬鹿なことをなさいませんでしたか?」

 耕作は表情がくるくる変わる男だった。うーんと上を見て、どこか嬉しそうに口角を上げて、そうと思えばしみじみと腕組みして眉間にしわを寄せる。それから口を開き「あんたは俺より、どちらかといえば俺の娘と息子に似ているな」と言った。


「結果がわかっていても同じだろう。たとえば今からやり直せると言われたって、俺は同じことをするはずだ。そうでないと、俺はあいつらに胸を張れなかった」

「胸を張るもなにも、死んでしまったではありませんか」

「まあ、そうだ」


 5039番は呆れた。それから妙に頭の辺りが熱くなり、思考回路が乱れていくような感覚に陥る。

「胸を張れるということがそれほど重要なことでしょうか。たとえあなたがそのような誇れる父でなくとも、彼らにとっては生きてさえいればよかったのではないでしょうか。彼らには、それでもあなたが必要だったのではないでしょうか」

 少し長めの瞬きをした耕作が、「ロボットも怒るんだな」と呟いた。

「そうだ。俺の自己満足だった。俺は自己満足であいつらから今まで通りの暮らしを奪い、本来ならあの歳で背負うべきでない将来への不安を背負わせた」

 それでも、と彼は言った。「それでも、俺があの場から逃げていい理由にはならない」と、そう言った彼はこめかみの辺りを押さえるような仕草をした。

「思えば、全てが自己満足だった。俺があいつらにやったことの全ても、そうだった」


 5039番は実の言ったことを思い出していた。あの少年は父のことを理解していたし、父のやったことは間違いではなかったと信じていた。5039番には、それがわからない。世間一般的に、彼のやったことは善いことだろう。だけれど彼の子にとっては、そうではないはずだ。花も多かれ少なかれ、彼の選択を責めている。

 自分はどうだろうか、と5039番は考える。もちろん自分の意見など持つ必要はないのだが、それでもどこかで答えを出したかった。橘耕作のやったことは正しかったのか。

 私は、と5039番は口を開く。

「やはりあなたは彼らの元に帰るべきだったと思います。私が花と実を最優先に考えるようプログラミングされているからかもしれませんが、あなたのやったことは彼らへの裏切りだと思う。あなたがいれば、あの子たちはもっと幸せだったはずだ」


 目を細めた耕作が、「あんたは本当にいいやつだな」と言った。


「俺の人生は、自分勝手な祈りで満ちていた。自分一人で完結する物語じゃなかったし、たくさんの人に願いを託しながら生きてきた。あいつらに関してもそうだ。どうか幸せになってくれと、自分勝手に、あるいは無責任に祈ってきた。いつか俺の手を離れるあいつらが、幸せになれますようにと。こんなに早いはずじゃなかったが」

「何が言いたいんです?」

「今、俺はあんたから同じものを受け取ったんだ。あんたもあいつらの幸せを

「私に、宗教的指向はありません」

「俺はね、思うんだ。『どうか幸せになってくれ、悲しいことを遠ざけて、いつも笑顔でいてくれ』とそうやって祈ることを、その祈りそのものを、人は愛って呼ぶんじゃないかって」


 なんだかひどく情けない顔で笑って、耕作は「あの子たちを、愛してくれてありがとう」と言った。その声は、どこか震えているようだった。




 目を開ける。視界はいつも通りクリアだ。両腕に熱を感じ、左右を確認する。5039番の両脇に花と実が寝ていた。


 君たちのお父さんにあったよ、と小声で囁く。彼の代わりは到底無理だが、それでもいつだって祈って愛している。二人分の、三人分の、あるいはもっと多くの祈りを受けて、君たちはきっと幸せになれるはずだ。できればその結末まで、見届けたいと願っている。

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