エキシビジョン作品 6月6日公開分

【Ex- 087】勝負のゆくえ

「また、手紙が来てる」


 そう、ぽつりと花が言う。その声色から、どうやら喜ばしいことではないようだと5039番は推測する。花はため息をつき、「なんでこんなの送ってくんだろ。逆に無神経じゃない?」と言った。もちろん5039番はそれに同意することはできない。その手紙の送り主も、それが意味することも彼は知らないからだ。

 ゲーム機で遊んでいた実が、「それ、お父さんが助けた子の家から送られてきた手紙だよ」と簡単に説明した。


 5039番は自身のメモリの中を探る。花と実の父親である橘耕作の記憶だ。

 耕作の死は水難事故によるものであったが、それは見知らぬ少年を助けたことにより引き起こされた。溺れた子どもを助け、自身が溺れて脳死状態となったのだ。つまりこの手紙は、その子の親が書いて寄越したもの、ということだろう。


 花はその手紙を開けもせずにそのままゴミ箱に捨てた。お父さんはさ、と呟く。

「私たちよりその知らない子を選んだんだよね」

 そう言って、リビングを出て行ってしまった。恐らく自分の部屋に戻ったのだろう。


 ゲーム機の電源を落とした実が、ゴミ箱の中から手紙を回収して封を開ける。「本当はお姉ちゃんも、そうじゃないってわかってるんだ」と言った。というのは、父が自分たちよりも見知らぬ子を選んだ、という部分のことだろう。

「ぼく、この手紙来るの楽しみにしてるんだよね。読むの好きなんだ」

「実は怒ってないのか?」

「怒ってはないよ。怒ったってしょうがないじゃん」

 中に入っている便箋を丁寧に広げて、実はそれを読み始めた。「……それにぼく、お父さんがどうしてそうしたか、何となくわかるんだ」と瞬きをする。


「お母さん、ぼくを産んだとき死んじゃったの。知ってるでしょ?」

 5039番はまたメモリの中を探り、頷いた。

「ぼく、大きくなってからお父さんに言ったんだ。『お母さんが死ぬってわかってたら、ぼくのこと産まなかったでしょ』って」

 ああ、その記憶ならすぐに取り出せる。橘耕作にとってもそれは印象深い出来事だった。




 切羽詰まった表情の実にそう言われた時、耕作はなぜ息子がそのような考えに至ったのかをまず考えた。それから、実がどのような答えを欲しているか、その上で気休めにならない誠実な答えを模索した。

『────いや』と耕作は口を開く。

『俺たちに、お前を産まないという選択肢はなかった。たとえこうなることがわかっていても、それは変わらないと思う』


 実際のところ、橘家長男のお産がかなり厳しいものになるということは最初からわかっていた。母子ともに無事である可能性は限りなく低く、最悪の想定としてはどちらも助からないだろうとさえ言われたお産だった。それでも。

『それは、お前を諦める理由にはならなかったんだ。決して逃げるわけにいかない勝負だった』と、耕作は実を抱き上げながら言った。

『お前は、お母さんの命と引き換えに生まれた子ってわけじゃない。これだけは忘れないでくれ。お前は、お母さんが戦って勝ち取った子だ』

 じっと、耕作は実の目を見る。『戦いは俺が引き継いだ。そして最後に勝負を決めるのはお前だ』と息子の頭を撫でた。

『偉くならなくてもいい、いい人にならなくてもいいし、お父さんのこともお母さんのことも気にしなくていい。ただお前がいつか、幸せだったなと思ってくれたら、お父さんもお母さんも大勝利だ。俺たちはそうなるように祈って、小さな勝ちと小さな負けを繰り返してきた』

 疑わないでくれ。お父さんもお母さんも、お前を愛してる。そう、耕作は実に言った。その後、何度も何度も言った。少年がもういいと言うまで言った。




 たぶん、と実は言う。5039番は記憶の参照をやめ、実のことを見る。

「お父さんにとって、この子を助けない理由がなかったんだ。お父さんは勝負をして、この子が助かって、それでお父さんは死んじゃったけど、でもお父さんが勝ったか負けたかはこの子が決めるんだ」

 実はごしごしと自分の目元を拭った。「お姉ちゃんは、あんたはまだ子供だからわからないのよって言うけどね。そうかも。お姉ちゃん、大変そうだし。いつかぼくもこの子のこと、すごく嫌いになるかも」と唇を噛む。でもね、と実は5039番を見た。

「ぼく、いま返事を書きたいんだ、この子とこの子の家族に。幸せになってねって。幸せになろうねって言いたいんだ。お父さんがやったこと、絶対間違ってないって言いたいし、大勝利でしたっていつかお父さんに報告しなきゃいけないから」

 手紙の出し方教えてよ、と実が言う。「もちろん」と5039番は答えた。


「その前にココア作って。お姉ちゃんの部屋に行こう」

「花に飲ませるのか?」

「そうだよ。お姉ちゃんはほんとは泣き虫なんだ。お父さんが死んじゃうまで知らなかったけど」


 ふと、動きを止めた実が5039番の腰の辺りに抱き着く。そのままぎゅっと腕に力を込めた。

「でも、死んじゃダメだったんだよ。お父さん」と小さな声で言い、ぐりぐりと頭を押し付ける。それは5039番の中にいる、父に訴えかけるような響きだった。

 それから実は何事もなかったように離れて、「早く行こ」と5039番の腕を引っ張った。

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