【Ex- 104】一位になれなきゃ見てもらえないと思っている愚直な君へ。



 ……本当は、これを書くのにとても悩んだ。

 まるでコンテストを私物化しているみたいで。

 はじめは一介の読者だった。新作の筆を執る元気なんてなかったから、毎日、流れてくる大量の参加作を茫然と眺めていた。読んで、ぼんやり抱いた感想を胸に封じて、そっといいねを押すだけ。けれども君のせいでそれもできなくなった。

 ねぇ。君はきっと、出遅れすぎて順位を伸ばせない自分の作品を、毎日血眼でチェックしているんでしょ。そんな必要、少しもなかったんだよ。だって私はすべての作品に目を通しているのだから。少し気取った君の文体、比喩、語彙の癖、ぜんぶ手に取るように分かるのだから。


 見知らぬ読者の皆様へ。

 どうか私の身勝手を温かく見逃してください。

 これは小説フィクションではありません。この匿名短編コンテストで偶然にも元彼と再会を果たしてしまった、しがない物書き大学生の私が送る、些細な答え合わせの私信です。



 ※



 出会った日の光景は今も忘れない。

 ちゃんと写真にして残してある。

 爛漫の桜の華やぐ昼下がり、新歓の宴会も忘れて夢中でカメラを構えていた私は、初対面の彼の瞳にはどんな具合に映っていたのかな。つい照れ臭くなって、思わず言い訳をしてしまったっけ。「こうやって記録しないと、惹かれた景色を文字に起こせないんです」──なんて。本当は取材のためでも何でもなくて、ただ、賑やかな桜の景色に元気をもらっていただけなのに。

 その場しのぎの出まかせを彼は信じてしまった。上京したての無知な田舎者の私を、彼は都会のあちらこちらへ連れて行ってくれた。もちろんそれは私が望んだことでもある。取材して回ってみたかったのも半分は本当。でも、残りの半分は、夢中になって私を連れ回す彼の無邪気な横顔に、ちょっぴり魅入ってしまったせいだ。

 なりゆきで付き合い始めても彼の姿勢は変わらなかった。今日はここに行こう、明日はこれを見に行こうとスマホ片手にはしゃぐ彼は、まるで遊園地へ迷い込んだ子供だった。五十階建てのビルから眺める景色は見事だったし、ガラス張りの美術館に並ぶ彫刻も見事だった。でも、ふっと意識が飛んで我に返るたび、気づけば私は所狭しと広がる数多あまたの美よりも、隣で笑う彼の姿ばかりを見つめていた気がする。

 私は恋人。

 彼のくれる「初めて」を愛したのじゃない。

 私を楽しませようと躍起な君自身のことが、ただ、どこまでも愛しかっただけ。

 どんな絶え間のない刺激もいつかはマンネリ化する。付き合って一年も経つ頃には、私のためといって必死に「初めて」を求め続ける彼の背中に、底知れない歯がゆさを覚えるようになった。そんなことをされなくたって私はちゃんと彼のことが好きだったのに、不器用な想いは彼のもとへ届いていなかった。ぼんやり彼の隣に腰かけて本を読んだり、マイペースに課題を進める私を、いつも彼は申し訳なさそうにうかがっていた。時には「ごめんな」と謝られたりもした。俺って退屈な彼氏だよな──。色艶の落ちた頼りない彼の横顔を目の当たりにして、私の危惧は決定的なものに変わった。

 違う。

 彼のせいじゃない。

 私が彼を変えてしまったのだ。

 このまま彼と一緒にいれば、ますます彼を疲弊させてしまう。それは私の本意じゃない。寝付けない夜を彼の隣でいくつも過ごしながら、悩んで、泣いて、とうとう別れることを決めた。付き合い始めて一年、ふたたび街は桜を散らして新緑に染まりつつあった。

 彼の抵抗を受けるのも織り込み済みで、あえて強めの言葉で私は彼を振った。私自身が諦めをつけるためでもあった。当然、その反動は後になってから私を打ちのめす。登校してきた彼を学内で見かけるたび、涙があふれて止まらなくなった。ごめんね。ごめんね。どうか身勝手な私を恨んでよ。私はいくら傷ついてもいいから、どうか出会った頃のように、爽やかな好奇心と茶目っ気の満ちた君に戻ってよ。いくら彼のいないところで嘆いても届きはしないのに、私は図々しい祈りをもてあそんだ。祈らずにはいられなかった。

 みじめな私の有様は、どうやら私のあずかり知らないところで、お節介な友達の口から彼に伝わってしまったらしい。失恋のショックを癒やすつもりで読みふけっていた匿名短編コンテストの作品群の中に、偶然、彼のものとおぼしい小説を見つけたときには心臓が跳ねた。「このコンテストで一位を獲れば、読者である彼女の目には必ず留まるはずだ」──。彼はまたしても方向のおかしな努力で、私の気を引こうと懸命になっていた。切々と綴られた思いの丈を私は読みふけった。何度も、何度も。夜の帳が部屋に下りて、にじむ涙で画面が見えなくなっても。

 あんな別れ方しかできなかったことを今も悪夢のように悔やんでる、だって。

 ああ、私も同じだ。

 けれども今はそれさえ叫べないや。

 私たちは赤の他人に戻ってしまったのだから。

 掻き乱された心の整理がつかなくなって、いいねもコメントも残せなかった。たぶん彼はいまも涙目になって、私の反応を待ち焦がれているだろう。もうじき投票期間も終わる。一位にも届かず、届いてほしい相手にさえ届かないまま、魂を込めた彼の記録ノンフィクションは一七六作品の中へ埋もれてゆく。だから、彼がすべてを諦めてしまう前に、これだけでも書き残しておきたかった。投票やランキングの対象にならないエキシビション枠の募集が始まったのも私には僥倖だった。評価やコメントなんて必要ない。わざわざ上位に食い込んで注目を浴びなくとも、きっと読者の彼は目に留めるはずだ。この二五〇〇文字の些細な私信を。



 私も幸せだった。

 君と出会えて、君を好きになって。

 あのときちゃんと言えばよかった。本当は「初めて」なんてひとつも要らない、君の隣にいられれば十分だったんだって。素直になれなくてごめんなさい。そして、よければ最後に一つだけ、覚えていってください。

 私の中ではいつだって君が一番だよ。

 たとえ君の作品が一位になれなくても。

 だからどうか自分を嫌いにならないで。何も知らないふりをして、明日も、明後日も、いつもの隣席で何気なく笑っていて。

 ごめんね。

 君の望む未来じゃないかもしれないけど。

 私もまだ、君のそばを離れられないよ。



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