【No. 168】胸の炎は何度でも
「はぁっ!? あのエロタコに枕しろってことですか!?」
弱小事務所のオフィスに私がわざと大声を響かせると、社長は困ったような顔で手を振った。
「やだなぁサヤカちゃん、ボクは『しろ』なんて言ってないじゃない。ただ、先方からそういう打診というか匂わせというか、昭和的・因習的・時代錯誤的勧誘があったから、とりあえず本人の耳に入れてみただけ」
「そんなの社長の時点で突っぱねてくださいよ。私の気性なんか百も承知じゃないですか」
「ゴメンゴメン、そんなに怒んないでよ。一応聞いてみただけじゃんか。億に一つ、サヤカちゃんの気が向かないとも限らないわけだし」
「悪ぅござんしたねー、如才ない立ち回りができない女でー」
わざとらしく溜息をついて肩を落としてみせる。
枕の要求自体は慣れっこだけど。業界の大物ならまだしも、あんなエロタコからご指名とは、私も落ちるところまで落ちたってことか。これでも中学の頃までは渚の歌声マーメイドとか言われてたんだけどな。
「まあまあ、気を落とさないでさ。明日の撮影は楽しんできなよ。マイちゃんとも久々に会えるんだし」
「今をときめく子役出身アイドルちゃんと、ピークを過ぎた落ち目アイドル女優の感動の再会ですよ。うっけるー」
「いじけない、いじけない。ほら、マイちゃんは前作の頃からサヤカちゃんに憧れてたって、インタビューでも言ってくれてるし」
「リップサービスでしょぉ? 私もあの子は可愛くて好きですけど、比べるとイヤでも差を感じちゃって精神削られるんですよ。あの子と私で何が違ったんだろーって」
「ゴメンねえ、あちらさんと違って、我が事務所の力ではキミという原石を十分輝かせられなくて」
「いーえー、全てはただの石っころに過ぎなかった私の自業自得でございますー。じゃあ、明日は頑張ってきますんで!」
「頼んだよ、ボクは今でもキミの才能を信じてるんだからね」
ウソのつけない社長の言葉を背に事務所を出る。潮時の二文字が頭に浮かんで離れなかった。
* * *
「だめ! お姉ちゃんが死んじゃう!」
瓦礫の街のセットを背に、今をときめくJCアイドルちゃんが涙を散らして叫ぶ。後からCG合成される敵の炎を背中で受け止める格好で、私は悲壮な笑顔を作って彼女に応える。
「私は、魔法少女だから……。もう妖精も見えなくなったけど……街を守って戦う力はもうないけど……この命に代えて、あなた一人守るくらいできる!」
我ながら渾身の演技。落ち目と言われたって後輩の前で手なんか抜けない。
そこで休憩がかかり、私とマイちゃんは揃って顔を弛緩させた。
「お疲れ様ですっ。やっぱり凄いです、サヤカさんの演技っ!」
ドリンクを渡してくるマネージャーにも器用に会釈しつつ、マイちゃんは私にすり寄って華奢な体をぴょんぴょんさせる。このあざといまでの可愛さはきっとこの子の素なんだろう。
今日の撮影は、女児向け単発ドラマ『魔法少女ブルーム・アゲイン』。私がまだJCアイドルとして人気だった頃に主演した『魔法少女ブルーム』の続編というか、リバイバル版というか。当時ゲスト子役で出ていたマイちゃんを主役に据えた新作で、要するに私はその添え物ってことなんだけど。
この子も裏では色々やってるんだろうか、なんて思ってしまう自分にますます自己嫌悪を募らせていると、マイちゃんはくいっと私の衣装の袖を引いてきた。
「あのっ、サヤカさん。ちょっと……」
「え、どしたの?」
「私、ずっとサヤカさんにお礼が言いたかったんです」
「ん? 私、マイちゃんに何かしたっけ」
「覚えてないですか? 前作で共演させて頂いたとき、サヤカさん、私に言ったんです。『マイちゃんもいつか、イヤ~な大人にイヤ~なことを求められる日が来るかもしれない。でも、折れちゃダメだからね。私も折れないから』って」
私の声色まで再現して言い切り、彼女は照れくさそうにはにかんだ。
ああ、確かにそんなこと言ったような気もする……。ていうか、当時小学生の子に何言ってるんだ、私は。
「あ、あはは、ごめんね、ヘンなこと聞かせちゃって。私、ちょうどその頃、まさにそのイヤ~な大人から誘われて、気が立っててさ」
「私もです」
「え?」
思わず目を
「私も誘われました。あれから何人もの大人に。でも、あの時のサヤカさんの言葉があったから……一度も自分を売らないで、今日まで頑張ってこられました」
「マイちゃん……」
そうか、私が。
私なんかの言葉が、この売れっ子ちゃんを支えてたんだ。
「ごめんね、なんか最近、涙もろくてさ。……私はもう、この先落ちてくだけだけど。私の分までこの世界で輝いてよ、マイちゃん」
「そんなこと言わないでくださいよ。サヤカさんにもずっと輝いててほしいです。サヤカさんは、私の憧れなんですから」
彼女の目にも私と同じものが光っていたのは、たぶん見間違いじゃないだろう。
この子のためにもまだまだ頑張らなきゃ、と思った。
* * *
「ちょっとちょっと、サヤカちゃん、朗報朗報」
「なんです? また枕の誘いですか?」
「イヤ、『ブルーム・アゲイン』の監督さんが、サヤカちゃんの声の演技を気に入ってくれてさ。知り合いのアニメ監督さんに話を通してくれて、いっぺんゲストでコレに出てみないかって」
「『マジキュア』って、女児向けアニメのエースじゃないですか!」
「そのゲストの端役だけどね。でも、先に繋がる可能性は十分にある」
先日の作品では、実写の演技の他に、私がマスコットキャラの声をアフレコするパートが少しあった。でもまさか、そこからこんなチャンスが舞い込んでくるなんて。
「歌声マーメイドを見出したボクの目はやっぱり確かだったんだよ。最近はアイドル女優から声優への転身も増えてるしさ、どう、やってみる?」
「そんなの、やる一択じゃないですかっ。やらせてくださいっ」
そうだ、これまでのことは声優業のための下積みだったと思えば、私の人生はまだまだこれからじゃないか。
ふいにマイちゃんの笑顔が頭をよぎり、希望の炎がごうっと心に燃え上がる気がした。
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