【No. 150】恩雀の霊貝

 今は昔、内裏が京に御座おわした時代のお話です。


 藤原敦久ふじわらのあつひさとおっしゃるお方は、それほど高貴なお生まれというわけではありませんが、童の頃には母君とご一緒に大納言のお屋敷で暮らしていらっしゃいました。

 大納言の北の方に大姫がお生まれになり、若くて教養のある女人を乳母にと探しておられました折、筑前守ちくぜんのかみの北の方であった母君に白羽の矢が立ったということです。


 いとけない敦久君あつひさぎみと姫君はまだ世にある身分の隔てというものも知らずに、まこと妹兄いもせでもあるかのように思い親しんで遊んでいらしたそうです。


 桜も大方散ってしまったある春の日のことです。泣きそうな顔をした姫君が、曹司で文集を暗誦しておられた敦久君の許へおいでになりました。


「兄さま、この子が目を開けません。助けてあげられませんか?」


 姫君は胸に抱いていたものを差し出されました。白いお手の内には膨らんだ雀がおりました。


「この雀、ずいぶんと膨らんでいるね。何があったの?」


「お庭の木の枝にいました。低い所でずっと目を閉じて膨れているのでおかしいと思って手を伸ばしたら、逃げることもできないみたいなの……」


 敦久君は眉をしかめました。鳥が膨らんでいるのは寒さの厳しい時期を乗り切るためか、そうでなければ体の具合が悪い時だと知っておいでだったからです。

 このような小さな生き物はとりわけ儚いものだから、姫が心を痛めてしまう結末にならないと良いが……。


「私が預かろう」


 そうおっしゃいました。不安そうな姫君のお顔をご覧になり「温石おんじゃくで温めてみよう。そうして粟やひえをやってみよう」と付け加えられました。


 姫君は真剣な眼差しで頷き雀を敦久君に手渡され、温石を女房に用意させるために立ち去られました。


 伏せ籠の内に温石と共に込めて温めると、雀は膨らむのをやめて目をぱちぱちさせるようになりました。


「衛門が竹籠をくれたわ。実家で目白を養っていたのですって」


 竹籠の中に雀を入れて、粟や稗、米や砕いた唐菓子なども撒きました。


「どれも食べないわ」


 雀が餌を拾おうとしないため、姫君は心配そうなお顔をなさいます。


「きっと怖いんだよ。籠に布をかけて私たちは離れていた方がいい」


 敦久君のお言葉に従い、側には誰も近づかないように言いつけて静かに置いておきますと、雀はようやく剣呑な気配の無くなったのに安心いたしまして、そういえば我は腹が減っていたのだと思い出しぱくぱくと拾い食べ始めました。

 食べ始めると小さな体はあっという間に元気を取り戻して、その夕には籠の中で羽ばたくようにすらなりました。

 姫君のお喜びは申すまでもありません。敦久君も胸をなでおろしました。


 日が経ち雀は外から響く仲間の声に、ちゅんちゅん、ちゅんちゅんちゅんとかしがましく応えるようになりました。

 姫君と敦久君は雀を放してやることにしました。


 屋敷の庭に竹籠を置いて扉を開け放してやりまして、二人はそっと離れて見守っていました。

 件の雀は、おや、どうしたことだ、と怪訝に思いながらも入り口付近に近付いてきまして、恐る恐る外に出ました。そして何を思ったのか「ちゅちゅっ」と鋭く叫ぶと勢いよく飛び立ち、前栽を越え築地も越え見る見るうちに空に溶けて姿を消しました。


 姫君がぽつりと呟きました。


「これでよかったのね。わたしたち、放生ほうじょうの功徳を施しましたね。きっと御仏みほとけも見てくださっていたでしょう。雀も家族と一緒になれて喜んでいることでしょう」


 束の間とはいえ手に取りかわいがっていた雀が去った寂しさを堪えるために、御自らに言い聞かせていらっしゃるようでした。

 歪みのないすぐなぬばたまの黒髪が、まるい真白の頬にかかっている様子が大層美しく見えました。敦久君は、姫君が心ここにあらずといったご様子で空を見上げていらっしゃるのを良いことに、罪を覚えながらもその玉容を眺めていらしたとのことです。




 その二年後、大納言は右大臣となられまして、大姫は今上の許へ中宮として入内なさいました。

 それからさらに月日が流れましたが、お二人がお会いになられることはついぞございませんでした。




 ある夜、中宮御所にて右大臣の太郎君であられる三位さんみの中将が、中宮様や女房たちとお話を楽しんでおられました。

 官位は低く殿上は許されずとも聡明な敦久君は、その頃には乳兄妹にあたるこの中将に気に入られて従者として重用されておりました。

 

 中将は扇で口元を隠すと、愉快でたまらないようにお話をされました。


「敦久にゆかしい草紙や絵などを取り寄せるように申したのです。そうしたら共にこれを」


 そう言われると草紙の上に何かをのせて側仕えの女房に差し出されました。

 小指の爪ほどの不思議に光る貝殻でした。なんと美しい貝なのでしょう。まるで明け方の山の端のように淡い青、山吹に、桃色に橙にと煌いています。瞬く間にその色を百にも千にも変えるのです。


「熱心に中宮様に差し上げてくださいと頼むので、これは一体何なのだと訊ねました。そうしたら『昔助けた雀がくわえて参りました。恐らくは大恩ある中宮様に差し上げたいと思いながら、到底お目にかかることのできない御方であると健気にも知っていたのでしょう。代わりに私に預けて参りました』と申すではないですか。つい笑ってしまいましたよ」


 中将は苦しまれるかの様に身をよじって忍び笑いを漏らされました。女房たちも笑いました。

 中宮様だけが笑ってはいらっしゃいませんでした。


「到底お目にかかることのできない御方に心を寄せているのは、果たして本当に雀だったのでしょうか」


 中将のお言葉に女房たちはいよいよ大笑いしました。

 中宮様は御簾の中で誰にも聞かれないほど微かな声で囁かれました。


「鳥獣にも報恩の心のあるものか。それとも……」


「どちらであれど尊き御宝であることよ……」


 それからの中宮様は主上の御寵愛もますます深く、いよいよ右大臣家は栄え、さらには九十という齢まで長生きをなさいました。

 あまりの時めき様にいつしか人々の間で「貝は長命富貴の宝に違いない」「雀を助けた中宮様に御仏のご加護があったのだ」と噂されるようになりました。

 件の貝は「恩雀の霊貝」と呼ばれ今もさるお屋敷の家宝として伝えられているとのことです。

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