【No. 140】犯人はヤス【ポートピア連続殺人事件ネタバレ要素あり】
お菓子の箱から黒いカセットを取った。差込口を吹いて埃を飛ばすと、背中から声が飛んでくる。
「それ、犯人はヤスだぜ」
振り向くと青シャツの大柄な男の子――坂上保彦君が、つまらなそうに伸びをしている。にらむ先は「ポートピア連続殺人事件」のソフトだ。
「犯人分かったんだから、もうそれやんなくていーだろ。マリオやろうぜマリオ」
「確かに犯人は
にらみ返し、赤と白のファミコン本体にソフトを挿す。電源を入れると「ポートピアれんぞくさつじんじけん」と白い文字が出てきた。
「結局今日もそれかよ」
「私ができるのこれしかないもん」
二つ上のお兄ちゃんが買ってもらったファミコン。
私も使っていい、とは言ってもらえたけど、とろくさい私がまともに遊べるゲームは全然なかった。ゼビウスもスターフォースも
反射神経がいらないゲームを探し続けて、やっと見つけたのがこれだった。
ゲームを始める。
マッチ箱みたいな街に、ネクタイの男の人がいる。といっても、丸と棒に色をつけた程度の簡単な絵で、紙の上なら私にだってこのくらいは描ける。
「ぼくが あなたの ぶかの まの やすひこ です。ヤス と よんでください」と、字が出ている。
「おっ、いきなり犯人。逮捕しようぜ逮捕」
身を乗り出すヤス君を無視して「ばしょいどう」。
家にファミコンがある子は、クラスで私を入れて五人。どの子の家も放課後になると大賑わいだ。うちにも大勢男子が来てたけど、中にうちの物を盗っていく子がいて、以来、お行儀の悪い子は家にあがれなくなった……ヤス君以外は。
画面が警察の取調室に変わる。とりあえず呼べる人を呼ぶと、またヤス君が口を挟んできた。
「犯人っぽいじいさん来た! 逮捕だな」
「さっき『犯人はヤス』って言ってなかった? この人は違うよ」
「全員逮捕しちまえば、話終わるだろ? 逮捕逮捕」
ヤス君は言葉も態度も乱暴で、他の子みたいにお行儀よくない。正直ちょっとうっとうしい。そのくせゲームは上手いから、マリオを始めると死なずにずっと続いちゃう。それもうっとうしい。
「人の話はちゃんと聞かなきゃ」
「だったら殴って吐かせろよ。『たたけ』コマンドあるじゃん」
このゲーム、スパルタンXでもカラテカでもないよ……と思いながら「たたけ」を選んでみる。
「ボカ! ガス!」とヤスが言ってくれた。効果音とかは特にない。
「吐かねーな。つまんね」
「だから、証拠とか集めないと意味ないよ」
不意に部屋の
「今日は坂上君だけ? ポテトチップスじゃなくてごめんね」
「ヤス君、さっきから私のこと邪魔してくるの。マリオやりたいって」
母さんは苦笑いして、お盆をヤス君の前に置いた。ヤス君は大きな体で礼をして、海苔煎餅に手を伸ばす。
「坂上君、あと何分遊ぶ?」
「……三十分くらい」
母さんは笑顔で頷いて、私の方を見る。
「代わってあげなさい。あなたは坂上君が帰った後にできるでしょう?」
あーあ、うちのファミコンなのに。
母さん、ヤス君には妙に甘い。他の子よりも、時々私よりも、はっきりと
大きな手が、黄色のカセットを本体に挿した。
陽気な音楽に乗って、画面のマリオが敵を踏み始める。バネみたいな軽やかな動き。今日も時間まで死なないんだろうな。あーあ。
私は、塩のおかきを一つ口に運んだ。
◇
平成二十二年、私は東京出張の飛行機を待っていた。
搭乗待合室の大型TVが、うるさい。
「坂上保彦容疑者の遺体が搬送されていきます。十三時間に及ぶ立て籠り事件は、容疑者死亡という形で……」
男が患者を人質にとり、個人病院に立て籠って一夜。既存メディアもネットも、事件の推移と、数倍する憶測を垂れ流している。
TVに映る容疑者の写真は、暗く落ち窪んだ目をしていた。顔のあちこちに傷があって、額の右寄りには大きな痣が浮いていた。
ああ、ヤス君。こんな形で、再会したくはなかったよ。
◇
小学生の頃、一度だけヤス君の自宅を訪れた。病欠の彼に、急ぎの連絡プリントを届けてほしいと担任に頼まれたのだ。
蹴れば壁に穴が開きそうな木造アパートは、意外に近所だった。軒下で、黄ばんだ洗濯機が大音声で震えていた。排水はホースから垂れ流しで、側溝が白く泡立っていた。
「坂上」の表札の前で名前を呼べば、玄関はすぐ開いた。汗と、よくわからない臭いが混じった熱気が、むわりと顔を撫でた。
「何しに来た」
ヤス君は怒っていた。爪を立てれば破れそうな、よれた白シャツを肌に張り付けて。
肩越しに、砂嵐混じりの古いTVと、山積みのゴミ袋が見えた。
「見るなよ!」
プリントだけ引ったくり、ヤス君は私を締め出した。錆びた蝶番のきしる音が、奇妙にあとをひいて響いた。
ヤス君のお父さんは、病気のお母さんを置いて女の人と逃げた。それからヤス君は、お母さんと弟二人の面倒を一人で見てる……と、私の兄さんが教えてくれた。
そういえば家から物がなくなった時、皆がヤス君を最初に疑った。父さんも母さんも。ヤス君、俺は犯人じゃねえって泣きながら叫んでた。
結局、ものを盗ったのは違う子で……以来お母さんは彼に甘かった。家にはほとんどいつも、
小学校卒業後、私は私立中学に進んだ。公立に行ったヤス君とは、そこで切れてしまった。中卒で就職したらしいとは聞いたけど、その先の消息は知らなかった。
◇
「犯人、死んだのかぁ」
「怖いねえ。『無敵の人』っていうの?」
耳障りな話し声。
ふと、あのゲームを思い出す。簡素すぎる
金貸しの裏の顔と、人生を壊された人々の哀しみ――すべて置き去りにされ「あの言葉」だけがジョークとして
私が知るヤス君は、どうだったのか。
名字に反し、坂を転げて堕ちていった痕が、顔写真に刻まれている。
こんな形でなく再会できていたら、何かは、変わったんだろうか。
ポテトチップスが好きで、マリオが上手かった男の子を置き去りにして。
東京行の飛行機は、まだ来ない。
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