5月27日 公開分
【No. 135】一年ぶりの再会
一年ぶりに妻が帰ってくる。
心寂しい日々も昨日まで。今日は忙しくなるぞ。
「父さん、これは捨てていい?」
縁のちょっぴり欠けてしまって、ぜんぜん使っていないマグカップを持ち上げて息子が言った。
「あー、それは母さんとの初デートの時に買った思い出の品だから……捨てたと聞いたら、帰ってきた時に怒られそうだし……とっとく」
「うぃ」
「じゃあ、これは? 良いよね?」
「あーっ! 駄目、駄目。それゴミじゃないよ」
「あ、そうなの?」
「なぁ。リビングは父さんがやるから。それよりまず、自分の部屋を片付けておいでよ」
「……」
息子が無言の抗議と懇願を目に宿してこちらを見返している。
「わかった。わかった。後で手伝ってやるから。まず『これは明らかにゴミだ』ってのをこの袋に詰めちゃいな。あと古本に出して良い本はこっちのダンボールに」
後で手伝ってやる、の一言に安心したように息子はおどけて敬礼すると、自分の部屋へと向かって行った。
「まったく、誰に似たんだか……」
答えは言うまでもない。荒れ放題に荒れ、至るところに物やゴミが積み上げられて床の見えないリビングを見回し、さてどこから手を付けたものかと思案する。
――「明らかにゴミだ」ってのからだよな。
つい今しがた、息子に言った言葉を
こもった空気を追い出すつもりで窓を開けると、途端に蝉の大合唱が音量を増す。近く、遠く重なる振動波が熱を伴ってどっと押し寄せてきた。「蝉時雨」なんて風情を感じる言葉があるが、これはもっと暴力的でそんな言葉には収まらない気がする。さしずめ「蝉台風」といったところか。
大きなゴミ袋を片手に、捨てて良いものをどんどんとそこに詰め込んでいった。予想の倍以上のペットボトルや空き缶が、そこかしこに散乱していた。
「ちょっと、なによこれ。あなた、一年間ぜんぜん掃除してなかったの?」
振り向くと、妻の声音を真似てニヤニヤと笑っている息子がドアのところに立っていた。ペットボトルだけで山盛りになった袋を高々と持ち上げて見せながら。
「次の袋ー」
「二、三枚まとめて持ってけよ」
「そうするー」
一年ぶり。その再開を思うと、心なしか気持ちが軽くなる。それは息子も同じなのだろう。
「あのね。マンションの良いところは、ゴミの集積所があるところなの。曜日、時間を気にせず、いつでもゴミが出せるのよ」
マイホームの購入を検討していた時に、妻が言っていたのを思い出す。なんとなく庭付き一戸建てが良いなと思っていた私を言い負かした一言だった。
おかげで助かった。これで「ビン・缶は木曜日」みたいなことを言われると、途方に暮れるところだ。
だが、そう思う一方で、いつでも出せると思ってるからこうなっちゃうんだよな、などと
あっという間に玄関にゴミ袋の山が積み上がっていく。
「いっかいゴミ、捨ててこようか」
「あぁ、頼む。ちょっと休憩してお昼にするか。昨日のカレーで良いか?」
「いいよ。んで、昼飯食べたら……」
「わかった、わかった。お前の部屋、手伝うよ」
たった一年。されど一年。積み上がったゴミは、私たちの生活の
「一年かぁ。あっという間だね」
「そうだな」
「俺、結構背伸びたし、母さん驚くだろうな」
「あぁ、驚くだろう」
二日目のカレーライスを口いっぱいに頬張りながら笑顔を交わす。
「そうだ。お前に彼女ができたのも言わなきゃな」
「あー、それ。……別れた」
「え? えーっ! いつ? なんで? どうして?」
「あはははは。父さん、質問しすぎ」
「すまん、すまん。つい……」
「まぁ……、色々とあるんですよ」
「色々とあるのか」
「そうそう」
理由こそ聞き出せなかったが、こうして屈託なく話をしてくれる、その関係を大事にしないとな、と崩れて形を留めていないジャガイモを頬張りながら思った。
結局、朝から取り掛かった大掃除は深夜までかかった。それでも。それでも明日には妻が帰ってくる。
程よい疲労感を湯船でじんわりと温めて溶かしながら、ふと、掃除は終わったが、飾り付けがぜんぜん出来ていないと思い至る。
――胡瓜と茄子ならあったはず。あ、護摩木!
私は、頭の中の買い物リストに急いで付け加えた。
「はぁ……割り箸が一本もないなんてね」
「すまん。掃除をした時にぜんぶゴミで出しちゃった……」
爪楊枝を足に見立てて作った精霊馬は、どこか頼りなげで不恰好だった。
「馬というより豚じゃない?」
そう言って笑う妻の声が聞こえた気がした。
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