【No. 132】さいかいのおはなし

 さむい夜のことでした。

 今にお母さんが帰ってくると、部屋のかたすみでひざをかかえていたイシュー。

 かれの耳には、びゅうびゅうと吹く風の音しか聞こえません。

 生きるためにひつような食べ物を手に入れるため、ずっと前に家を出たお母さん。


 さいごに聞いた

「いい子で待っててね」

 頑なにお母さんのそのことばを守るイシューは、ふらふらです。

 石づくりのそうこの中も、もうからっぽでした。


 さむさをしのぐため、だんろにくべていたまきも、もうありません。

 家じゅうのもうふをかきあつめ、イシューはまるくなりました。

 からだはブルブルとふるえ、歯がカチカチと音を立てます。

 イシューはひっしに目をつぶり、お母さんとのあたたかな思い出にすがります。


 さかなをやいてはじめて食べた日のこと。

 いもほりをして、大きないもをみつけたねとほめてもらえた日のこと。

 かきのみをほして、あまくなっておどろいた日のこと。

 いえのなかのそうじをして、もうイシューもいちにんまえだねと言われた日のこと。


 さまざまな思い出がつぎからつぎへとうかんできます。

 イシューの目からなみだがながれ、しだいに声がもれてきました。

 かならず帰ると言っていたのに、どうしてイシューは今ひとりぼっちなのだろう。

 いいことばかり思い出していたはずなのに、なぜかかなしいことばかりうかぶようになってしまいました。


 さっきまでうるさいくらいにひびいていた風の音がしません。

 いつの間にか、自分のこきゅうの音しか聞こえないくらい、しずかになっていました。

 かなしいきもちがどんどん大きくなっていきます。

 イシューはついに、お母さん、お母さん、と声をあげて泣き出してしまったのでした。


 ささやき声に似たなにかが聞こえた気がして、イシューがうごきを止めました。

 (今、なにか聞こえた?)

 かべのちかくに行って、そとのけはいをうかがいます。

「イシュー……! イシュー……!」


 ささやき声はどんどんと大きくなっていきます。

 イシューは自分のなまえをよぶ声が、お母さんのものだと気がつきました。

 かけだす元気はありませんでしたが、おもたいからだをひきずって、なんとかげんかんのとびらをあけました。

「イシュー! ごめんね、ただいま……!」


 さわやかなレモンのにおいがしました。

 イシューをだきしめるお母さんのからだから、レモンのにおいがしているのでした。

「からだから、いいにおいがするねぇ」

 イシューはくんくんとお母さんのにおいをかぎました。


「サボンを分けてもらえたのよ」

 イシューははじめて聞くたんごに首をかしげました。

「からだをあらうのにつかうの。いいにおいなのよ」

「いいにおい、ぼくもなる?」


「さいしょにからだをあらう? それともごはん?」

 イシューはなやみましたが、おなかがなったのでごはんが食べたいと言いました。

「かんたんなものでもいいかしら」

 いいに決まっています。


 ささやかなしょくじをしたあと、イシューはお母さんとからだをあらいました。

 いっしょにねむれることがうれしくてたまりません。

 からだをよせあって、ふたりでねむるのはひさしぶりです。

 家のあかりを、ふたりのいきが、そっとふきけしました。



 おしまい

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