5月20日 公開分
【No. 104】この作品を一位にしてください。
祈るような思いでこれを書いている。
匿名短編コンテストの開始から二週間。一〇〇を超える作品が公開された今、後発の作品が上位に入るのは難しい。無謀な挑戦だと分かってはいる。それでもやると決めたのだ。人気作品の応援コメント欄の片隅に、偶然、彼女の名前を見つけた時から──。
※
別れ際に彼女は言った。
「もしも次に会うことがあっても、見知らぬ他人のふりをして」
飽きるほど通い詰めた純喫茶の一角。グラスに映る彼女の面持ちは生ぬるいレモン水のように淡白だった。彼女の紅茶が湯気を立てながら冷えてゆくのを呆然と俺は見つめていた。もったいない、などと冷静に思慮する余裕があったのは、二人の関係が続かない予感を薄々と嗅ぎ取っていたせいだろうか。
一回生の春、大学の文芸サークルの新歓で俺たちは知り合った。どんちゃん騒ぎには目もくれず、桜の木々へ熱心にカメラを向ける彼女の背中が印象的だった。訳を尋ねたら、彼女はこそばゆそうに笑ったものだ。
「こうやって記録しないと、惹かれた景色を文字に起こせないんです」
「回りくどいって思ったでしょ?」
「私、想像力がなくて。取材しないと何も書けないから」
彼女も高校生の頃から小説を書いている同好の士だった。俺たちは瞬く間に意気投合した。純喫茶で煙草をふかしながら推理する探偵の作品が書きたい、という彼女の変な要望で、近所の純喫茶にも通い始めた。俺の下手な作品に目を通しては、すごいなぁ、私もこんなの書きたいなといって笑う彼女の熟れた頬に、いつしか俺はどうしようもなく惹かれていった。ほどなく俺たちは付き合いだした。お互い初めての恋人だったものだからすべてが新鮮で、ぎこちなくて、だけど彼女は俺の下手な彼氏面をいつも笑ってくれたのだ。
俺たちは春を生きることに懸命だった。
あの日、爛漫の桜にカメラ越しの目を輝かせていた彼女のように。
だけど春はいつか過ぎ去る。やがて全てを熱射で焼き尽くす、試練の夏がやってくる。
誰でもよかった、なんて言うつもりはない。だけど本質的には俺も彼女も、恋に恋していただけだったのかもしれない。無数の「初めて」が紡いだ興奮のあとには、嘘のように虚無ばかりが流れ込んだ。思いつく限りの恋人らしい行動は試したと思う。まるで恋愛小説を書くための取材のように。
この映画館はこのあいだ行ったから、今日は行かない。
手つなぎデートは昨日やったから、今日は別のことをする。
どちらからともなくそんな要求を繰り返すうちに、とうとう新たな刺激が思いつかなくなった。俺たちの恋人生活は行き詰まった。ふたたび巡ってきた四月のある日、いつもの純喫茶で紅茶をすすりながら、初めから恋人ごっこだったのかもしれないと彼女は
薄々と予感していたこととはいえ、いざ体験してみると、失恋のショックは想像以上の代物だった。学生寮の暗い自室に帰りついた瞬間、飲み干したコーヒーを床にぶちまけるほど体調を崩して、次の日は大学を休んだ。彼女が平然と登校していたと聞いた時には
ああ。
結局、その程度の恋だったんだな。
何を傷つく必要があるのかと問われればグウの音も出ない。俺も、彼女も、真剣度の足りない恋をしていた自覚はあったのだから。──いや、少なくとも俺の方はそんなつもりじゃなかった。たとえ結末への予感はあっても、俺は彼女と添い遂げたかった。意地でも「初めて」を積み上げて、彼女の気を引き続けたかった。
「初めて」なんて、本当はこれっぽっちも興味がない。
君が笑ってくれるから求めただけ。
君の笑顔に惚れ込んだ俺にとっては、ただ、それだけでよかったのに。
俺は涙を呑んで大学へ戻った。狙って履修登録をしていたから、彼女とは大半の講義で顔を合わせた。俺は彼女の望む通りに見知らぬ他人を演じた。言葉遣いも敬語に変えて、この一年間をなかったものにした。気分のいいはずはない。何度も講義を途中で抜け、トイレに駆け込んで吐いた。それでも彼女との約束だけは破りたくなかった。それが俺にできる精一杯の誠意の示し方であり、
けれどもそれも、つい昨日までの話。
サークル仲間から思いがけず彼女の様子を聞かされるまでのことだった。
「どんな別れ方したのか知らないけど、いい加減、よりを戻してあげたら?」
「あの子、あんたのいないところで泣いてるよ」
「あの人に嫌われなきゃいけなかったんだって、
はじめは意味不明だった。いったい何のために俺が彼女を嫌う必要があるのかと思ったが、回りくどいやり方を好む彼女のことだ。無理を言って俺を遠ざけることで、自分を悪者に仕立てようと
ひどいショックに見舞われて帰宅した昨夜、偶然、このコンテストを見つけた。
参加者の中に彼女の
すぐに主催者をフォローして参加を表明した。主催者には悪いけど、小説を投稿する気はない。なぜならこれは
言いたいことはたくさんあるけど、今はこれだけ。
俺は幸せでした。
君と出会えて、君を好きになって。
あんな別れ方しかできなかったことを今も悪夢のように悔やんでる。そして、君もそうであってほしいと願ってしまう。
こんな情けない俺を許してください。
せめて君をよく知る他人として、君の隣にいさせてください。
ごめんな。
君の望む結末じゃないかもしれないけど。
俺はまだ、君を嫌いになれないよ。
……見知らぬ読者の皆様へ。
お願いです。
どうか、この作品を一位にしてください。
彼女に届けてほしいのです。
どこまでも下手で
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