【No. 096】竜葬【残酷描写あり】
プロシキマ星系第九惑星ラケルタには竜が棲む。
それは地球の伝承的架空生物、ドラゴンによく似た大型両生類。ラケルタ人類の土着宗教において信仰の対象として崇められ、寿命という概念を持たない原生生物。生物という枠組みを超えた生と死を司る自然現象のような存在。
特別な名を持たない彼らを地球人類たちはドラゴニアンと名付けた。
「ドラゴニアンって名前を呼ぶこと、あっしらは今でも抵抗があるんですよ」
ラケルタ人のツアーガイドは軽やかに言った。口は悪いが愛想はいい。典型的なラケルタの民だ。
「あっしらにとって、あんたたち地球人の神に近い存在ですんで」
「たしかに、神様に名前を付けるだなんておこがましいか」
その神々にも固有の名称があり、平気でそれらを言葉として口にしている地球人の価値観とは違う。ラケルタ人は信仰深い。人も土地も神秘に満ちている。
「神に名前を付けるだなんて、怒りやせんかね?」
「怒らないから神様なんだよ」
地球人旅行者の信仰心のかけらもない口調にラケルタ人ツアーガイドは肩をすくめた。そんなものなんだろう。そんなものなのだからこそ、人様の惑星の聖域にまで土足で踏み込んで、竜葬を観測したいだなんて言い出す始末だ。
「どうなってもあっしは知りやせんよ」
ラケルタ人は聖域を目指して再び歩き始めた。欲深い地球人旅行者たちの知的欲求を満たしてやるために。
「水が滴る谷」と地球人によって名付けられた土地は、惑星ラケルタでもよく見られる切り立った渓谷の合間に水が溜まった湖水地方である。豊かな水資源に人も動物も寄せられて、生態系の頂点に立つその存在もこの湖水に棲んでいる。
水は空気のように澄みきっていて、かなり水深があるのにも関わらず湖底を這う魚類まで見える。
それは湖水中層を悠然と漂っていた。全身を青白い表皮と黒々とした苔で覆われたドラゴニアンだ。記録動画で観たものよりも小さく見える。若い個体だろう。
「近くの集落で子を産んだ女が病を患いやした。ラケルタの医療技術でも十分治る見込みのある一般的な病気です」
地球と惑星ラケルタとの文化交流が始まってはや数十年。文明レベルでは地球の方が上位に位置し、自然とラケルタに地球の近代技術が持ち込まれた。
医療分野もその一つであり、しかしラケルタの医療技術が飛躍的に進化することはなかった。ドラゴニアンがいたからだ。
「その女性が竜葬されるのか?」
「そのようで。まだ若いはずですが、生きることに欲深いですね」
湖に小舟が浮かぶ。
「欲深い? 悪いことか?」
「別の星で生きるってのはそういうことなんですよ」
集落の民が小舟を見送る。空を鏡に写したような水面をするすると進む小舟。女が一人、静かに浮かぶ。
ラケルタ人類とその生物との関係は単純に被捕食者と捕食者という食物連鎖にない。惑星生態系の頂点に立つ生物とそれに依存寄生する共存体生物だ。
「生きるのが罪なのか?」
「そうでしょう? あんただって何かを食って生き永らえているやないですか」
地球人旅行者とラケルタ人ガイドは湖の畔に身を潜めて竜葬を待った。そもそも竜葬という言葉も地球人類が持ち込んだ名前だ。ラケルタ人があの生物に喰われる現象そのものに名前はない。
「さあ、お静かに。始まりやす」
透明な水に悠然と泳ぐドラゴニアンが小舟を認識した。長い胴体を器用に捩り、ヒレ状の手足で水を掻いて羽ばたく。
水中なのでその飛ぶ姿に音はなく、屈折した光がまるで古い動画をスローに再生しているように狭まった世界を揺らめかせる。
眠る子を気遣うようにゆっくりと浮上するドラゴニアン。波音一つ上げずに透明な水のヴェールを脱いで水面に顔を浮かべた。
小舟の女はかすかに揺れる湖面のリズムに細い身体を預けて、つと伏していた顔を上げた。その目の前に巨大な生き物が神々しく口を開けている。
ドラゴニアンが小舟の女を食べた。
「はい。おしまいです」
口の悪いラケルタ人ツアーガイドは早口に言った。
「でも、まだ……」
「まだ、何ですかい?」
巨大原生生物はラケルタ人の女と同じくらい大きな口で彼女の上半身を咥え、水飛沫一つと散らさずに優しく湖面に引き摺り込んだ。
すぐに波紋は消えて、渓谷の青空を写す透明な鏡のような水面に隠れてその生き物の姿は見えなくなる。
きっと数百年以上昔と変わらぬ止まったままの鏡の光景だけが残された。
「おしまいなものはおしまいなんですよ」
やがて、ラケルタ人の女を捕食したドラゴニアンは湖の畔に一個の卵を産み落とす。その中で新しい命として産み直されたラケルタ人の女が育まれる。
命の営みに変調をもたらす病や異物はドラゴニアンが吸収し、ラケルタ人は心身ともに新しく作り直されて健康な状態で産み直される。
それが竜葬だ。ドラゴニアンによる人間の産み直しのメカニズムさえ解明されれば、地球人類はより永く、より健康に寿命を延ばすことができるはずだ。
地球人旅行者は湖面に身を乗り出した。もっと近くで観測できないか。何ならドラゴニアンの卵でも入手できれば。
「お次はあんたらの番ですぜ」
ラケルタ人は口悪く言った。
不意に鏡のような湖面が盛り上がり、一頭の原生生物が巨大な頭部を持ち上げた。真っ黒く濡れた瞳で小さな地球人たちをじっと見つめる。
「あれの聖域に土足で踏み入るような知識欲に蝕まれたあんたはもはや病気ですぜ」
ぱっくりと大きく口を開けるドラゴニアン。見知らぬ星からやってきた未知の動物はさぞや旨そうに見えることだろう。
「それと、あんたも」
地球人旅行者の同行者、あなたを指差すラケルタ人。
「竜葬だなんて作り物の言葉に惑わされてのこのこと。あんたも病気ですかい?」
もう一頭、その生物があなたを狙う。
「きれいさっぱり産み直されて、またお会いしやしょう」
その生物の口の中は真っ赤で、細かい牙がびっしりと並んでいた。
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