5月16日 公開分
【No. 087】ずっと、お前たちの中にいたみたいだ
医師は言った。「耕作さんは臓器提供の意思表示をしていらっしゃいました」と。
花と実の父である耕作が、事故にあって半年。父は脳死状態となっていた。
一緒に話を聞いていた祖父母は沈痛な面持ちで「今すぐにはとてもとても」と言っている。
それからふと医師はペンを置き、真っ直ぐに花を見た。何か迷った末、「一つ提案があります」と口を開いた。
「お父さんの今の状態なら、外部への記憶の移植が可能です。つまり、お父さんの持つ記憶を丸ごと取り出してデータ化し、保存することができる。亡くなってしまってからではそうはいきません」
医師はまだ十六歳の花にもわかるように噛み砕いて、しかし真摯に淡々と説明を続ける。
大きなメリットは二つ。父の記憶を取り出してデータとして保管できること。さらにそれをAIに学習させられること。
大きなデメリットは一つ。その手術をすると、生命活動は完全に停止────父は肉体的な死を迎えるということだった。
家にやって来た業者の人が、簡単な説明をして帰っていった。花はドキドキしながらスイッチを入れる。まだ小学生の弟は、ワクワクという顔でそれを見ていた。
「本当にお父さんにそっくりだね、このロボット!」
「うーん……なんか複雑」
扇風機みたいな音する、と実が言うので花も耳を傾ける。ふとロボットが目を開け、花と実は「うわあ」とのけぞった。
「お、お父さん……?」と実が声をかける。ロボットは実をじっと見た。
「スミマセン、ヨクキキトレマセンデシタ」
「なんて??」
ロボットは口をパクパクさせて、「モウイチド、オネガイシマス」と言っている。花と実は顔を見合わせ、「ポンコツじゃん」と肩をすくめた。
「もうちょっとすらすら喋れないの?」
「カシコマリマシタ。会話機能ヲ一部変更シマス」
ゆっくりと瞬きをしたロボットが、また口を開く。
「改めてこんにちは。私はMSL型5039番です。
それは確かに、父の声だった。
なぜだか花たちは正座して、5039番と向かい合った。しびれを切らしたように、実が「お父さんみたいに喋ってよ。お父さんの代わりでしょ!」と訴えた。5039番は「訂正します」と静かに否定する。
「私は橘耕作氏の代わりではありません。橘耕作氏の情報です。会話機能を変更しますか?」
そうして、と花も命じる。5039番はまたゆっくり瞬きをして「かしこまりました。会話機能を一部変更します」と言った。
瞬きをした5039番が何の脈絡もなく花の足に縋りついてきた。ぎょっとする花を尻目に、「やだやだ!!」と5039番が騒ぐ。
「いつか花が嫁に貰われるなんて考えたら気が狂いそうだ!! お前が嫁にいくぐらいなら俺が嫁にいく!! 俺の方が料理できるもん!!」
花は躊躇なく5039番の頭をぶっ叩いた。
「お酒飲んだ時のお父さんは真似しなくていいから」
「かしこまりました」
深いため息をつき、花は「せめてお父さんの真似して笑ってよ」と言ってみる。5039番はどうやら何か考えているようで、ただじっとしている。その間やはり扇風機のような小さな音が聴こえた。
「……申し訳ございません。耕作氏の
「もうちょっと口調をお父さんに寄せて」
「俺は俺の顔をよく覚えてないんだ。それほど気にして見てなかったからな」
うーん、と花は唸って実のことを見る。「写真探すかぁ」と言えば、実もうんうんと頷いた。
片っぱしからアルバムを開いていき、花と実は呆然とする。
父の写っている写真がほとんどない。本当にない。びっくりするほどない。
全て、父が撮った写真だ。
諦めきれず、しばらくアルバムを閉じたり開いたりしていた。十冊もあるアルバムのほとんどが、花と実の写真だ。遺影に使った父の写真はあるが、笑顔ではない。
まともな写真一枚ない、と花は呟く。「お父さんが生きてる時に気付いたら、もっと写真撮ったのに」と。
アルバムの上に、あったかいしずくが落ちた。弟に気付かれないように隠れて涙を拭ったのに、次から次へと止まらなかった。隣の実が「えっ」と驚いたような顔をする。
嗚咽交じりに花は、「死なせちゃった。私が、お父さんにもう一度会いたくて、死なせちゃった」と両手で顔を覆った。
挙動不審の弟が、そーっと花から離れ、それから立ち上がって部屋を出て行く。「お父さんっ、お姉ちゃんが泣いてるよ!」と叫ぶ声が聞こえた。
それから黙って戻ってきた実は、途方に暮れた顔で花の横に立ち止まる。そうして――――わっと大声で泣き出した。もうどこにもいないの? と悲鳴にも近い声で泣いている。
二人でわんわん泣いていたが、花はやがて泣き止み、未だに『やだやだ』と手足をばたつかせながら泣いている弟を見た。どうにかなだめなければと思いながらも、花自身すでに疲れ果てていた。
「そんなに泣いてたら、今に干からびちゃうぞ」
ふと、そんな声が聞こえた。それは確かに父の声だった。
両手にマグカップを持った5039番が、膝を折りながら「飲みなさい」と言ってマグカップを花と実に差し出す。花たちはそれを受け取り、当惑しながらも口に運ぶ。
「お父さんのココアだ」と、実が言った。
ミルク多めで、チョコレートをひとかけ。それからフリーズドライの苺を入れた、父特製のココア。あたたかくて、甘酸っぱい。
5039番はひどく真剣な顔で、「“お父さんのココア”ということは、人それぞれのココアがあるということか……」と呟いている。それを見て、花と実は同時に吹き出してしまった。
「てか、ほっぺにチョコついてるよ」
「ロボットのくせに!」
花の服の袖は涙でびしょびしょだったが、思わず5039番の頬を拭ってしまう。実はすっかり泣いていたことを忘れたようで、けらけら笑っていた。
5039番はきょとんとして、それから――――笑った。
「あ、今のお父さんに似てる!」
「写真見つけた?」
5039番は「いいや」と言って目を細めた。
「お前たちの笑顔を、ラーニングしたんだよ」
今度は花たちの方がきょとんとして、5039番を見る。彼は静かに瞬きをして、花と実の頭を撫でた。
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