【No. 080】予想もしてないペイバック ~傍から見れば当然の帰結~


 珍しく、本当に珍しく残業も無く帰れることが確定していた俺はその帰路、喜び勇んで自宅最寄り駅のすぐ近くにあるスーパーへ向かい、真っ直ぐにリキュールコーナーへと立ち寄った。


 明日は休日。しっかりと休めることが確定している休日。こんなに晴れやかな気分で酒が飲めるなんてなかなか無い――というか、1ヶ月ほどは無かった。本当に素晴らしい夜だ。軽やかにスキップなどしながら帰ろうかという気分になる。


 しばらく飲むモノには苦労しないくらいの缶が入った袋は、俺の指に食い込んできてわりと痛い。が、これもその後の快感のためだ。何ならこの痛みすら快感かもしれない。しかし俺はマゾヒストではない。少々ハイになっているだけだ。


 スキップこそせずに、自宅まで残り300メートルを切ったくらい。さすがに手が痛い。


 ここらで少し、この袋の中を軽くしてもイイだろう。


 適当に一番上に積まれていたレモンサワーをプシュリ。


 そのまま、ぐいっと一口――二口――――三口。


「くぁあ、うめえ」


 まったく、これだから最高だぜ。


 歩き出しつつも、缶はしっかりと口の側。喉に炭酸の心地よさを感じれば、空にはレモンのような月が見えた。


 まったく、これだから最高だぜ。


 ――結局アパートへと辿り着く前に、レモンサワーは俺の胃袋の中に収まった。





     〇





「……ん?」


 さっきのレモンサワーを飲むペースが悪かったのは明らかで、今日もわりと酔いの回りが早い。一応理性は保てる程度に、それでも気持ちよく前後不覚に陥られるくらいのスピードで、ちゃぶ台上の缶は3本。


 そんな矢先に、インターフォンが鳴ったような気がした。


 こんな時間に、誰だ。


 荷物の配送でもあったかと思ってスマホを調べたが、何も無い。


 気のせいか――?


『ピンポーン』


 ――気のせいじゃなかった。


「へーいへい、っと」


 ちゃぶ台に脛をぶつけそうになりつつも、狭い部屋と廊下を抜けていく。


「こんな時間にどなたでしょ……う?」


「あ、どうも、こんばんは。夜分失礼致します」


 妙に丁寧な言葉遣い。


 そこに立っていたのは、和装美人。ぎんねずの着物に身を包んだ女性だった。


 端的に言えば、美人。それ以外に、まともな表現が思い付かない。


 銀の簪が特徴的。しかし、その落ち着いた立居振る舞いの割に、見た目は若い。20代前半くらいか、あるいは10代後半か。


 ――思わず、喉が鳴った。


「え、えーっと……。その、用件は何でしょうか……?」


 そちら方向へと妄想は進んでいくが、言動には出さないようしながら訊く。


「はい。簡単に言うと、『恩返し』にやって参りました」


「……はい?」


 思わず訊き返す。


 恩返し、とは?


 こんな美人さんに、俺が何か恩を売るようなことがあったのだろうか――。


 ――いや、あったんだろうな。


 疑問に思う必要なんて無いだろう。


 だって、こんな美人だぞ?


 こんな美人が、恩返しをしてくれるって言うんだから、ここは粛々と恩を返してい

ただくのがベストだろう。そうに決まっている。絶対だ。


「ああ、いや。……そうですか、なるほど」


 咳払いをしつつ、ちょっとだけ背筋を伸ばす。付け焼き刃の誠実さを身につけた俺に、抜かりは無い。


「ちなみにだけど、訊いてイイかな?」


「ええ、何なりと」


「お名前は?」


「あ、そうでしたね。これはとんだご無礼を」


「いやいや、そんな」


 ――しっかりと奉仕してもらうから大丈夫だよ。


 その麗しい口からどんな素敵な名前が聞けるのだろうか。



「わたし、アキカンです」



「……あきかん?」



「そうです、アキカンです」



 変わった名前だ。



「……あなたが1ヶ月程前に、駅前通りから少し離れたところにある草むらにポイ捨てをした空き缶です」



「……んんん?」



 何を言ってるかわからない。



「リサイクルされるなんてイヤだと思っていた私を、あなたはヒトの目につかないところに捨ててくださった。あなたは私の恩人なのです」



 全く何を言っているのかわからない。



「この姿になった私は幸いにして、他の空き缶たちの声が聞こえる能力を得ることもできたので、私と同じ心を持った空き缶たちにも来てもらっているんですよ」



 これっぽっちもカノジョの言っていることが理解できない。




「私たちのことを、末永くよろしくお願いいたしますね」





 ――そこから先、俺の記憶は無い。







     〇







 ――翌日。


 目が覚めたとき、部屋には大量の空き缶が転がっていた。


 その空き缶は部屋の中だけでは無く、俺が住む部屋の玄関先、さらにはアパートの敷地にも大量の缶が転がっていた。


 何が何だかよくわからなかったが、明らかに空き缶が俺の部屋からあふれ出したようにしか見えなかったため大家からすべての責任を押しつけられた俺は、即時ここからの退去を命じられた。






 ――空き缶は必ずゴミ箱へ。

 

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