【No. 077】メリーさんダイスk
あたしがキーボードを叩く音以外、一切の音のしないオフィス。定時はとうに過ぎ、週末のオフィスに残っていたのはあたしだけだ。
「今日はこってり怒られたなぁ……」
一人なのを良いことに、つい独り言が出る。確かに半分はあたしが悪い。途中の進捗報告が甘かったし、不明点を勝手に解釈して突っ走ってたところもあった。だけど、もう半分は先輩の指示の曖昧さにも原因があると思う。
――それなのに。
「来週月曜までだからな!」
そう捨て台詞を吐いて先輩はとっとと帰ってしまった。セキュリティが厳しくて仕事を家に持ち帰るわけにはいかないから、当然残業。先輩にも半分責任あるんだし、手伝ってくれたっていいのに……。
それでもようやく出口の明かりが見えてきた。あともう少し。
あたしは両腕を大きく上に伸ばし、そのまま背中を反らせて伸びをした。サイズの大きい胸を強調するようで、人がいる時間帯にはできない。独りで残業した時だけの、あたしのささやかな息抜き。
ポロポロポロリン~ ポロポロポロリン~
携帯が鳴る。非通知。
――あいつだ。
息を整え、一拍置いて通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
聞こえてきたのは、はぁはぁと肩で荒い息をする音。そして、若い女性の声。
「(はぁ、はぁ……)私メリーさん。いま、札幌にいるの……」
ここは東京、新宿。札幌とは、また遠いところから掛かってきたものだ。
「はぁい。了解。頑張ってね」
――あたしも慣れたものだ。
相手の返事を待たず、通話終了のボタンを押す。
若干の後ろめたさを感じなくもないが、いちいち付きあってもいられないのだ。
――終電までに終わらせないと。
タクシー代なんて出ないから、終電を逃したら、朝まで営業している居酒屋かファミレスか、まんが喫茶で一晩過ごさねばならない。
◇
結局、朝まで営業しているラーメン屋で、「おつまみトッピングセット」を肴にビールを飲んでいた。ラーメンのトッピングを皿に盛りつけただけのお手軽なおつまみセット。ビールは三本目がそろそろ空になりそうだ。ぼちぼち始発電車も動く頃あいだし、つけ麺で締めて店を出ようかと思った時、また非通知の電話が鳴った。
「(はぁ、はぁ……)私メリーさん。いま、千歳にいるの……」
夜通し歩いたんだろうか。札幌から千歳まで、電車で三十分、車で一時間、徒歩だと八時間はかかる。
「はぁい。了解。頑張ってね」
この調子だと、あたしの後ろに立つまでには、まだ一週間ぐらいかかりそうだ。
◇
メリーさんがあたしのところに到着したのは、予想よりも早い、翌週の水曜日だった。
「思ったよりも早かったね?」
年の頃は十五、六? 大きな目、綺麗に整った端正な顔立ち、華奢で幼さの残るボディライン。赤に白い花柄をあしらった、ちょっとノスタルジックな風合いのワンピースに身を包んだ女の子が、出勤しようと玄関を出たあたしの目の前に立っていた。あたしの問いには答えず、メリーさんは右手に握ったスマホを指さした。
「なんで、目の前にいるのに、電話なのよ」
彼女のそういう杓子定規なところがおかしくて、思わず笑ってしまう。きっと語尾には「www」が付いていると思う。
「(はぁ、はぁ……)私メリーさん。いま、あなたの目の前にいるの……」
「知ってる、知ってる」
「(はぁ、はぁ……)ヒッチハイクしたから……」
先ほど電話の前に直接聞いた質問の答えだ。メリーさんってば、律儀すぎる。
あたしは、先週末の残業も、先輩に叱られたことも、仕事も、会社も、そうしたストレス要因が全部、全部、ぜーんぶ吹き飛んでいくような、愉快な気持ちを味わいながら彼女に答えた。
なんだか、もっとおしゃべりしたくて、そのままスマホを耳に当てていると、メリーさんが通話を終了しろと、ジェスチャーで指示してきた。
「あ、切るのね。はい、はい」
メリーさんがトコトコトコとあたしの後ろに回り込む。
――いよいよ、だ。
非通知の電話が鳴る。
「もしもし」
相手が誰だかわかりきっていても、電話に出る時には必ずこの言葉から切り出す不思議。
「(はぁ、はぁ……)私メリーさん。いま、あなたの後ろにいるの……」
それを聞きながら振り返ると、どこから取り出したのか、メリーさんは一枚のフリップボードを掲げていた。
自分で書いたのだろうか。フリップボードの見出しには「メリーさんサイコロの旅!」と書かれている。
一の目「ゆきまつりをみてみたい! さっぽろ」
二の目「ほたるイカをたべてみたい! とやま」
三の目「みそカツのほんば! なごや」
四の目「シカにおせんべいをあげてみたい! なら」
五の目「ふぐなべたべたい! やまぐち」
六の目「かきをたべる。うみのかきだよ? ひろしま!」
全部、平仮名かカタカナだし、1以外は食べ物ばかりだし。東から西へ順に書いてあるのかと思ったら、山口と広島は逆転してるし。でも、あたしは気が付いた。これ、あたしがやりたい、食べてみたいって思ってたやつばかりだ。
「何が出るかな? 何が出るかな?」
拍子外れのあたしの歌に合わせてメリーさんが妙な踊りを踊っている。あたしは、メリーさんが用意していたサイコロを空高く放り投げた。メリーさんが地面に落ちたサイコロを覗き込む。
「一!……また、札幌だよ。いいの? 札幌で。今、五月だよ!? 雪まつりやってないよ?」
それでもメリーさんは、真っ白な歯を見せてにっこりと笑うと、手を振って歩き去ってしまった。
◇
五月晴れとはよく言ったものだ。辞表を叩きつけた帰り道。清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んで空を見上げた時に、非通知の電話が鳴った。
「はい、もしもし」
聞こえてきたのは、はぁはぁ、ぜぃぜぃと肩で荒い息をする音。そして、若い女性の声。
「(はぁ、はぁ、ぜぃ、ぜぃ……)私メリーさん。いま、札幌にいるの……」
「はぁい。了解。頑張ってね。あとさ。次は一緒に旅しよっか」
メリーさん、大好き。
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