【No. 069】ウクライナ in WW2【残酷描写あり/暴力描写あり】

 イゴールがアレクと離れ離れになってから一年ほどが経過していた。

 イゴールとアレクは、ソ連に徴兵されキーウの戦いに参加したものの、投降してドイツ軍の捕虜になった。その時の混乱でアレクの行き先が分からなくなってしまったのだ。


 二人が投降した理由は簡単だ。ソ連はいつもウクライナ人に対して非道な政策を取る。二人がまだ小さかった頃などは人工飢饉があったし、その後も言論統制が激しかった。これらの仕打ちによって二人とも早くに家族を喪っていた。

 戦争が始まったのは幸運だった。ウクライナの地がドイツの手によってソ連から解放されるなら、好都合なことこの上なかった。だから戦わずしてわざと捕まったのだ。ナチスに協力すればソ連への復讐にも繋がる。

 

 ただしイゴールはナチスのやることにも懐疑的だった。実際に見てはいないが、キーウの戦いの後、峡谷バビ・ヤールで多くのユダヤ人が銃殺されたそうだ。ナチスに抵抗するウクライナ市民までもが殺されたという。

 こういうナチスのやり方は好きじゃない。

 だが、ソ連とナチス、どっちが敵かと問われれば、間違いなくソ連の方が敵である。ソ連の方が憎い。


 だから今日もこうしてイゴールは、ドイツ軍のウクライナ人部隊の一員として、キーウで働いている。きっとアレクもどこかで無事でいるはずだと、イゴールは自分に言い聞かせる。

 捕虜の中には虐待を受ける者も少なくないが、イゴールと同じウクライナ人のアレクなら、多分その難を逃れているはずだ。……多分。


 そんなことを考えながら今日の分の仕事を片付けて宿舎に戻った時、突然、ドイツ人のナチス将校に呼び止められた。

「イゴール・アンドレンコ・ダニロヴィチだな」

「はっ。そうであります」

 イゴールは覚えたてのドイツ語で答えた。

「やれ」

 将校の合図で、バッと背後から人が飛びかかってきた。イゴールは完全に油断していたので、全く対処できずに地面に押し付けられ、捕縛された。

「な、何事ですか」

「貴様がユダヤ人であることが判明した」

 将校は言った。

「は?」

 イゴールは声を上げた。そんな話は聞いたことがない。幼かりし頃に両親から、自分達はキリスト教徒だと聞かされたくらいだ。

「自分はウクライナ人です」

 イゴールは弁明した。しかしその訴えは、「黙れ」と一蹴された。

「貴様の家系図を確認した。貴様の祖父母は全員ユダヤ人だったぞ」

「はあ??」

 初耳だった。会ったこともない祖父母の話など覚えていない。そんなことで自分までユダヤ人扱いされるのか?

 イゴールは状況を受け止め切れず、呆然とするしかなかった。


 ***


 その場で殺されるということは無かった。代わりにイゴールは、他のユダヤ人とともにトラックの荷台に乗って移動し、その後汽車に詰め込まれた。

 長いこと立ったまま汽車に揺られていた。到着した頃にはクタクタになっていた。駅の看板には、ソビブルと書いてあった。知らない地名だ。

 ウクライナ語で「早くしろ!」という叱責が飛んできたので、イゴールは急いでユダヤ人たちの列に混じった。黒い軍服の見張り兵はウクライナ語を喋っていることに、イゴールは気づいた。彼らはきっと自分と同じように、ソ連からナチスに寝返った人々なのだろう。


 やがてイゴールは大勢のユダヤ人とともにバラックの方に誘導された。シャワーを浴びるので服を脱ぐようにと指示があった。もたもたしていたら見張り兵に撃たれかねないので、イゴールは言う通りにした。

 朦朧とした頭で「多分ガス殺だな」考える。そういう噂なら聞いたことがある。ガス殺と銃殺、どちらが楽だろうかなどと考えながら、一秒でも長く生きるためにガス殺を選択している自分がいる。

 次いで外に出された。鉄条網に挟まれた狭い通路があり、それは次の建物へと続いていた。人々が順々にそこに詰め込まれる。

 中からブォンブォンというエンジン音と、人々の悲鳴が聞こえて来た。虐殺が始まったのだ。通路で待つ者たちがパニックに陥りかける。

 すると突然、見張りの黒服の兵がダーンダーンと銃を乱射した。びくっとして、イゴールはその兵を見た。

 そして驚愕した。

「アレク!?」

 イゴールは叫んだ。見間違えるはずもない、そのウクライナ兵は、イゴールがずっと会いたかったアレクその人だった。

「イゴール!?」

 アレクもまた驚愕してこちらを見た。銃を下ろし、人々を掻き分けて近づいてくる。

「待ってくれイゴール、何だってこんなところに……!?」

「お前こそ何で……! 俺は、どうもユダヤ人だったらしいんだが」

「う、嘘だろ!? お、俺は前から極秘でここで働いてて……」

 アレクは狼狽した様子で、イゴールを通路から連れ出そうとした。

 が、「何をしている!」というドイツ語の怒鳴り声が聞こえてきた。二人はぎょっとして振り返った。 

 青くなったアレクは、声の主に向かって必死で訴えた。

「監視人、これは俺のたった一人の友人でして! 助けてやってくれませんか!」

「ほう……」

 監視人は冷たい目でアレクを見た。

「お前はユダヤ人に情けをかけると?」

 それから彼はアレクを殴打した。

「……!」

 繰り返し繰り返し、アレクに暴力が振るわれる。イゴールは見ていることしかできない。やがて、ガス室の扉が開いた。中は既に空っぽだった。次なる犠牲者たちが押し込まれる。イゴールは流れに逆らって、アレクのもとに居ようと踏ん張った。

 監視人は大声で怒鳴った。

「総統閣下はユダヤ人の絶滅を指示された! これに従わない者は帝国への反逆者である!」

「しかし監視人」

「口答えをするな。お前は総統閣下の敵だ。こっちへ来い!」

 アレクは監視人に腕を掴まれてガス室の方へと引っ張られた。

「お前はその穢れた友人とやらと仲良くやってろ!」

 アレクとイゴールはガス室の中に蹴り入れられた。

 ガシャーン、と扉が閉まった。

 イゴールはあまりの事態に愕然としていた。

「アレク、ごめん。俺のせいでお前まで……」

「……イゴールのせいじゃない」

 ぎゅうぎゅう詰めの中、二人はお互いの腕を掴んで立っていた。

 もうどうしようもなかった。運命は変えられない。

 とりあえず、イゴールはこう言った。

「久し振りに会えて嬉しいよ、アレク」

 アレクは力無く笑った。

「俺もだよ」

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