【No. 055】シュレディンガーの再会

 小学校からの帰り道。

 他所の家のブロック塀の上を、リクルートスーツ姿の女の人がフラフラと歩いていた。


「猫はいいなぁ……私は猫になりたい……」


 独り言の声が大きい。

 その声も何だか、今にも泣きそうなほど震えている。


 危ない人だ。間違いない。

 私は音を立てないようにして、近くの電柱の陰へ隠れた。


「猫になって、人間の知識で無双したい………」


 怪しい女の人は、ちょっと難しいことを言い始めた。

 猫が人間の知識を使って何をするんだろう。

 無賃乗車とか?


「ちゅーるを自作してチヤホヤされたい……」


 思ったより高度なことを考えていたみたいだ。


「黒色火薬を発明して銃武装したい……」


 今度は急に物騒なことを言い始めた。

 銃武装してどうするんだろう。

 カラスとでも戦うのかな?


「ボス猫に溺愛されて、補佐役として内政したい……」


 猫の内政って? 縄張りの区画整理とか?


「猫缶の出納に複式簿記を導入したい……」


 よく判らないけれど、とにかく危ない人だと思う。

 危ない人ではあるけれど、近くの道が工事中なせいで、私はこの道を通らないとアパートに帰れない。


 息を殺して電柱の陰を渡り歩き、怪しい女の人の後を追うように進み。

 十字路で塀が切れた所を、全速力で駆け抜け、ようとして。

 狭い道でスピードを出していた自動車に撥ねられて、私は死んだ。


  ꧁꧂



 そんな前世の記憶が甦ったのは、私が前世と同じ9歳になった、ある日のことだった。

 前世の記憶はテレビで見た他人事のようで、私自身の経験という実感は薄い。


 転生したのは、たぶん前世と同じ国。

 で、たぶん10年くらい後の時代。

 住んでる家は、前世とは違う一軒家。


「にゃーん」


 ウッドデッキで膝に抱えた猫は、最近庭に居着くようになった野良猫だ。

 野良のわりに毛並みが綺麗なのは、お父さんがお湯で洗ってあげたから。

 猫なのに濡れるのを嫌がらず、気持ち良さそうに靴洗い用のブラシをかけられていた。

 靴洗い用のブラシだと知ったら、猫も怒ったかも知れない。


 昨日までの私は何の疑いもなくこの猫を可愛がっていたけれど、前世の最後の記憶を思い出してしまうと、何だか少し気になってくる。


「猫さん」

「にゃーん?」

「猫さんって、ちゅーるとか作れたりする?」

「にゃうにゃう」


 猫との会話は難しい。


 試しに材料を与えてみようかと思ったが、何かの魚が入っていそう、という程度しか想像できない。

 インターネットで調べたらわかるのかも知れないけれど。


 結局この猫の中身が普通の猫なのか、前世の、あの変な女の人なのか。

 はっきりと確かめるのは止めにして、私は膝の上の猫をこしょこしょと撫でた。


<了>

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