5月4日 公開分

【No. 050】これも再会?

 目の前には川がある。河原にはごろごろと子供の頭ほどの石が転がり歩き難そうだ。その川の手前は澄んで川底が見えるが、向こう岸は真っ黒で川底がよく見えない。空を振り仰げば川向こうは暗雲が立ちこめるかのように薄暗い。背後の空には青空が広がり遠くに町並みも見える。


 僕は何でこんな所にいるんだろう。そう思い、左右を見ると川は川上から川下にかけ世界を分けるようにどちらにも遙か向こうまでずっと続いている。そこに何人ものひとが見える。大人から子供まで様々だ。皆淀んだ目をしているのに僕に気にならない。

 川の水は澄んでいるのでよく見える。深さはひざ下くらい、歩いて渡るのに不都合はなさそうだ。そのうちに何人かが川を渡り始めた。虚ろな目で手を前につき出し空を掴むように辿り足で渡っていく。

 僕はその異様さが気にならないでいた。川向こうに目をやれば懐かしい顔ぶれが目に入る。小学生の頃良く通った駄菓子屋のお婆さん、なぜか二十代くらいで僕の知っているシワシワの顔じゃない。背中も真っすぐ伸びてとチャキッと江戸っ子のお姉さんなんだけど、なぜか駄菓子屋のお婆さんだと判っている。


 その隣には、中学生の頃の友人の姿。当時と変わらぬ姿で佇みこっちに向けて手を振っている。アイツとは良く遊んだ。自転車で遠出して、山に登ったり、谷川を泳いで下ったりしたものだ。

 あれおかしいな。アイツとはいつごろから会わなくなったんだろう。中学以降の思い出がない。僕もアイツも引っ越しとかした訳じゃないのに。

 初めて覚えた不信感に戸惑っているとアイツの隣に立つ大学時代の友人が声を掛けてきた。


「おーい、おーい、こっち来いよ」


 大学時代の友人とはよくバイクツーリングに行ったものだ。ライディングの腕は僕よりずっとうまくて山道にさしかかるとあっという間に置いていかれたものだ。確か、あいつはレースにも出ていたはず。


 懐かしい、こんな所で再会するなんて。あれ、でもここってどこだろう。

 さっきは五十メータくらいあった川幅がいまは十メータもない。流れる水は澄んでいて川底も小石が敷き詰められているように滑らかで浅く。渡るのに難しくもなさそうだ。


「はやく、おまえもこっち来いよ!!」


 その声と懐かしさで一歩前に出る。

 川の水は冷たくもなく、流れも緩やかで直ぐに渡りきれそうだ。


「遼太郎くん。何でこんなトコにいるの?」


 突然掛けられた声に振り向けば懐かしい顔が。


「なっちゃん。久しぶり、なつかしいなぁ」


 そこには幼なじみの女の子が僕を見つめていた。記憶にある通りの十八歳の頃の綺麗な微笑みを浮かべている。再会を喜んでいると、せっぱ詰まった声で叱咤される。


「だめだよ。遼太郎くん。ここはきみが来るトコじゃないよ」

「なっちゃんこそ、なんでここに? と言うかここはどこなの?」


 その時、違和感が僕を襲う。頭に浮かぶ映像。なっちゃんは幼なじみだ。小学校の低学年から中学の頃までずっと同じクラスだった。中学生のころから意識するようになった。高校は別だったけど、ひょんな事から互いの好意を確認する機会があって、高校卒業の時に告白して受け入れてもらったんだ。

 大学時代は、帰省の度に気持ちを確かめ合い、いよいよ大人の階段を昇ろうと話し合った日に…… 僕へのプレゼントを買いに出た彼女はブレーキを踏み間違えた暴走車に巻き込まれてこの世を去った。


 その思い出とともに涙腺が壊れた。最近は思い出す事もなかった。なぜ、僕は忘れていたのだろう。涙が止まらない。


「なっちゃん。なっちゃん、会いたかった。ここはあの世なの?」


 なっちゃんはフルフルと首を振る。


「いいえ、あの世とこの世の境目、賽の河原。川を渡ったら戻れないよ」


 それを聞いて振り返りぎょっとした。

 駄菓子屋のお婆さんは僕の記憶より、よりシワシワで腰が曲がり小さくなっていた。中学生の友人はぶよぶよと膨らんで緑色をしている。大学時代の友人は頭が半欠けで血まみれ笑っている。


「こいよー。こっち来いよ!!」


 低くおどろおどろしい声が響いてくる。


「遼太郎くんはまだ戻れる。さあ戻るのよ!」

「なっちゃんも一緒に戻ろう! ここにいるんなら、大丈夫なんだろう」

「わたしはダメなの。ここまで来れたのは遼太郎くんにあげたお守りのおかげ」


 言われて思い出す。


 婚約者に散々嫌がられたけど、決して捨てなかったお守り。なっちゃんが事故に遭う前の日にくれたお守り。いつも身に付けていた。


 ああ、そうだ。あれから永い事、僕は暗闇にいた。いくら無視しても、無視しても構ってくる女の子、そして僕を暗闇から引きずり出してくれた。今の彼女。結婚式場の下見で会場に向かっていた時に僕は居眠り運転の車に跳ねられたんだった。


「ほら、あなたには、あんなに心配してくれている人がいる」


 遠くから切実な響きの篭る声が聞こえる。


『遼太郎君、頑張って。目を開けて。お願い! 私達結婚するんでしょ。幸せになるのよ』

『遼太郎。目を覚まして。母さんを置いて行かないで』

 なっちゃんが微笑んで僕の背を押す。


「一つになれなかったけど私は幸せだった。でもあなたはもっと幸せになる。さあ、戻るのよ」


 なっちゃんの手はとても暖かい。小さな声で「縁が繋がった。生まれ変……」と呟く声が聞こえた。

 次の瞬間。心臓が跳ねた。

 とたん耳に響く様々な音。せっぱ詰まった怒鳴声、叫ぶような返事。騒音の中に放り込まれた。


「遼太郎。遼太郎」


 僕の顔に水滴が幾つも落ちてくる。僕はどこかで横になっているようだ。全身を痛みが奔る。涙が口に入りしょっぱい。それもこれも生きていればこそなんだなと、冷静な自分がいた。


「遼太郎君。良かった。意識が戻って」


 目を開けると母さんと婚約者の木綿子ゆうこの顔が見えた。二人とも泣きはらした顔で化粧も崩れて大変な事になっている。


 その後、僕は順調に回復して、予定よりは遅くなったけど、予定通り結婚式も挙げた。

 二人の愛の結晶も生まれてすくすくと育っている。


 でも、ひとつ気になる事が…… 娘が僕を見る目が怖い。

 赤ん坊なのに、しゃべれもしないのに僕だけに向けられる艶やかな笑顔が……

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