【No. 036】繋がる赤い運命の輪

 私には三人の恩人が居る。誰が欠けても、今の私は居ない。人格が違ったろうし、生きてさえいなかった。

 そのうち二人はどこに居るか、名前も知らない。手がかりは今も肌身離さず持っている、赤い石の指輪だけ。


 *


 私は十八歳で家を出た。その時同じ家に居たのは母さんと、七人の弟と妹。

 私を含めた全員に、血縁はない。そこは身寄りのない子どもを育てる養護施設だ。


 恩人の一人は施設の管理者。六十歳のその人を、私達は母さんと呼ぶ。

 通いのスタッフさんも居て、どの人にも感謝している。でも母さんは別格だ。

 ずっと施設に住み込みで、私より歳上の兄や姉を何人も送り出した。


「会わせたい人が居るの」

「まさか結婚相手でも見つけたの?」

「そのまさか。告白されたのは先月だけど」


 二十四歳の十二月、母さんを訪ねた。

 春の異動でやってきた彼とは、交際を始めたばかり。でも「必ず結婚したいから、親御さんに挨拶させてよ」と言ってくれた。


 母さんは「うまくいくといいね」と笑った。私たちの大好きな、ぷよぷよのほっぺを揺らして。


「どんな人?」

「同い年で、普通の人。なんとなく息が合うの。お腹空いたとか、カラオケ行きたいとか、タイミングが同じ」

「そういうのは大切よ」


 母さんが笑う。この笑顔の絶えた記憶はない。それがどれだけ凄いことか、自分が仕事をして分かった。


「水をさして悪いけど、この家のことは? 施設の出身と知ると、態度を変える人もね」


 私が施設に入ったのは、自分の生まれのせい。それを母さんは自分が悪いみたいに、眉間へ皺を寄せた。


「言ってないけど。もしそうなったら、私のほうから別れてやる」

「強い子ね」

「そりゃもう」


 母さんは噴き出す。

 でも私は母さんの子になった時、約束したんだ。どんなことにも負けないと。


「結婚式には、おじさんも呼びたいな」


 約束を言い出したのは、名前も知らないおじさん。同時にその人が、恩人の二人目。

 死にかけた私を救ってくれ、この施設へ入れてくれた。何者か、母さんは知っているはず。でも私は教わってない。


 二度と会わない、許してくれ。と私の胸に残るのは、悲しい言葉だけ。

 だから呼びたくても呼べない。私の無理な願いにも、母さんは優しく笑った。


「来てくれたらとても幸せね」


 *


 顔合わせは、和食の料理屋さん。それほど大きな店じゃないけど個室を用意されて、ここまでしてくれるの? と緊張した。


「ぼっ、僕の父です!」

「こちら私の母です」


 私よりも緊張している人がいた。

 会社の人から「恋人というより姉弟きょうだいに見える」と言われる彼の強張った姿は、とても新鮮。

 彼と私。彼のお父さんと私の母さん。それぞれ向かい合い、名乗り合い、料理を食べ始める頃には普通に話せるようになった。


「お付き合いの段階でご挨拶って、とてもきちんとしたお家なんですね」


 母さんの言葉も自然に出たと思う。私もそう思うし「いやあそんな」と流されたって良かった。

 しかし彼は再び表情を固くした。お父さんも気遣うように見つめる。


「家のことで、どうしても言っておかなきゃいけないことが」


 料理が残ってるのに、彼は箸を置く。居住まいを正し、まっすぐ私を見た。


「親戚に罪を犯した人がいます。今は戻ってるけど、塀の向こうに行ってました」

「えっ――」


 勘違いしようのない言葉。なぜこの場を設けたいと彼が言ったかまで、たちどころに理解できた。


「立ち入ったことをお聞きしますが。その件にあなたとお父さんは?」


 私に代わり、母さんが問う。そうだ、そこのところで随分と話が違う。


「関わってない、というか。やられた側というか、そういう立場です」

「難しいお話なのね? でもそれなら、ほら。こちらにも事情はあるし」


 執り成すように、母さんが私を見る。肝心なことは自分で言うと決めていた。


「私もね、言わなきゃいけないことが」


 訝しむ目も当然。でも彼は胸を張り「じゃあ僕から」と首元を探る。

 指をかけたのは銀のネックレス。小綺麗だけどおしゃれとまででない彼が、いつも着けている。

 取り出された先に付いた物を見て、私は自分の目を疑った。


「それ!」

「えっ、えっ?」


 私の叫びに彼とお父さんが目を丸くする。

 構わず私は自分のバッグを取った。指が震え、蓋を開けるのも手間取る。「落ち着きなさい」と肩に触れた母さんの手も震えた。


 大切に。専用のケースも用意して、いつも持ち歩いている。赤い石の指輪を、テーブルに置く。

 石と言ってもアクリルで、輪はプラスチック。どう見たっておもちゃの指輪に、彼とお父さんは息を止めた。


「まさか――」


 お父さんの震える声が、私の名を呼ぶ。母さんの子になる前の、古い姓で。


「そうです。私、わたし――!」


 誰が何を保証したでない。だけど私は、もう話せなかった。喉が詰まって、震えて。


 *


「君の母親は、俺の姉だ」


 一時間ほども経ち、やっと話ができた。ずっと会いたかった、恩人のおじさんと。


「姉は君に、困った時は頼れと俺の家までの道を教えてた。そして十二月二十四日の真夜中、君は家を追い出された」

「なんでそんな……」

「姉は自分の夫をハニートラップにかけ、金を奪った。君の養育費も。すると次は、君に掛かった保険金が欲しくなった」


 一瞬も目を逸らさず話してくれた。雪に埋もれた私を見つけ、姉に文句を言い、娘として育てようとしたことを。


「姉は凄まじく外面そとづらを取り繕ってた。俺が君を奪えば、誘拐にしかならなかった」


 その後おじさんの姉は、夫から訴えられた。賠償金でおじさんとその両親は家を失い、遠い祖父の家に移ったらしい。


「すまなかった。俺にはもう、施設へ押し付けるしか思いつかなかった」


 座布団から降り、畳に額を擦りつけるおじさん。

 どう答えていいか、母さんを見た。すると声なく、ただただ深く頷かれた。私も頷き、おじさんの隣へ歩み寄る。


「謝らないでください、おかげで幸せに生きてきました。それはこの指輪のおかげでもありますけど」


 おじさんの息子。彼の指輪と、私の指輪を重ね合わせた。

 パチッと音を立て、二つが一つに繋がる。


「彼の言葉を覚えてます。いつでも一緒に居るから、約束の印って。これから本当にそうなりますよね、お義父さん?」


 来年のクリスマス。三人目の恩人と、私は結婚する。

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