【No. 035】たそがれ荘はかくりよにつき、
上京して四年、就職を機にシェアハウスに引っ越したのは妹から強く勧められたからだ。
曰く、気付いたら孤独死してそうだから。
あながち
出社初日に二度寝するわけにもいかず、体を起こした。みだれた髪をかきあげ、カーテンを開ける。
昨晩の雨で散らばった水滴のかがやくさまに誘われ、中庭を見下ろした。そっと開けた窓のすき間から見えた水たまりには灰色の空が映りこんでいる。さしこむ光を目で追い、ずっと先の景色を眺める。
白く照らされた無数の窓。電線にならぶ水滴。きれいな気もするけれど、故郷のきんと冷えた朝が好きなぼくにはよどみを感じられた。
深く息を吸えば、胸に入りこんだ空気は生ぬるい。
鼻から息をはき、窓を閉めた。ネクタイを結ぶのに手こずっていると、遠くで叫び声が上がる。
野太いものと高いものが重なっていたから、おそらく男女のものだろう。
敷地内の音は外にもれないように術もかけられていると聞いたし、大事にはならないだろうと深くは考えないでおいた。
前の住人が忘れていった鏡で胸元を確認して、一階に降りる。
「おはよう、
「
「おはよぉさん。会社って今日からだっけ?」
「っす」
「ちょ、火ふかないでよ?!」
「すまん。寝ぼけた」
「うっわぁ、わっかぁーい! スーツ、かっくいぃー」
食卓にはすでに何人かが座っていた。まとまりのない挨拶に、おはようございます、とまとめて返す。座る席に悩んでいると、味噌汁をよそう
関わりあいたくない相手から一番遠い席を選ぶ。
普段はおのおのの時間を過ごす同居人達だが、朝は特別なことがないかぎりかならず集う。
シェアハウス たそがれ荘には四つの掟があるからだ。
一、過干渉しない事
一、朝食は食堂で食べる事
一、婚前交渉は敷地外で行う事
一、前世の因縁は水に流す事
これが守れなければ、きつーい仕置きがあると
他にも暗黙のルールがあるらしいが、それはおいおい先輩方が教えてくれるらしい。
この掟が、おかしいことぐらいは分かる。悲しきかな、ぼく達には必要な決まりだ。
シェアハウスに入居できるのは、妖付きに、呪い持ち、神様のお手付きなど。訳あり、こぶつきの人ならざる者達だ。
気疲れはするが、血が薄まり力の弱くなったぼく達が人間社会での生活に困ることは少ない。生活する分には普通の下宿で事足りる。
しかし、結婚となると話は違ってくる。一緒に生活すれば、猫舌で水風呂しか入れない体質がバレるだろう。うまく隠しとおす者もいるらしいけど、ぼくはそんな生活をしたくない。一生独り身でもいいかな、とも思っていたが妹の脅しに一歩踏み出すことになった。
一、過干渉しない事。同居人の逆鱗に触れて命を落としたら元も子もない。無理強いはご法度だ。
一、朝食は食堂で食べる事。入居したのに接点がない、では意味がないからだ。特別な理由がなければ欠席したら、注意をされるらしい。
一、婚前交渉は敷地外で行う事。過去に何か問題でもあったのだろう。深くは聞かないでおこうと思った。
「琉生って、目玉焼きは堅焼き派? 半熟派?」
目玉焼きをつついていると、一番離れた席から声をかけられた。
「特にないです」
できるだけ平坦に答えたが、
「ふーん? ねぇ、敬語やめない? 琉生の方が年上だよね?」
「そのうち……で、いいですか」
「そう。楽しみにしてるね」
そこで会話を切った。
綾鳥は目玉焼きのきみをご飯にのせて醤油をたらしている。
どうして、彼が女性になっているのか。嘆く以外には何もできない。
隠世では『前世持ち』は空気みたいな存在だ。人間の枠にはまらないせいか、魂は
記憶のあるなしという問題もあるが、ぼくも綾鳥もしっかりと前世を覚えていた。
昨晩の歓迎会で自己紹介を聞いて時は耳を疑った。気分が悪くなる
前世とは似ても似つかない、小柄で線の細いのに、記憶にこびれついたあでやかな顔を向けてくる。
軽く目眩を感じ、早々に会を抜け出した。前世の記憶が渦まいて、なかなか寝付けなかった。
前世のことは水に流す事、と言われても、上手く立ち回る器用さは持ち合わせていない。
手早く朝食をすませて、会社に向かうことにした。閉めたはずの玄関から音がする。顔だけ振り替えれば、見たくない姿があった。
「駅まで一緒しよ」
綾鳥も電車で通学しているみたいだ。断るのも子供じみているような気がして、隣を歩くことを許した。
ねぇねぇと親しげな声がかけられる。
「
言葉が出なかった。足も止まってしまう。
清子は前世の俺の妻だ。
「会いたい?」
いたずらが成功したような満足げな顔が小首を傾げた。少し明るい髪がさらりとゆれる。
見下ろした先には可愛らしい顔があるのに、殴りたくなってしまう。前世なら遠慮なくそうしていた。今世はよけてくれる確証はない。
拳を握りなおし、こわばった口を動かす。
「会いたいって言っても、素直に教えないだろ」
「そりゃね?」
「おまえの性格は嫌というほど知ってるからな」
「まりちゃん! おはよ!」
はずんだ声に胸がわし掴みをされた。綾鳥との間に割りこんだ影を見れば、記憶通りの高さに顔がある。目元には、小さな泣きぼくろ。
彼女の名を呼びそうになり、綾鳥が目ざとくその動きをとらえる。
「
わざとらしい言葉選びに今世に引き戻される。
いくら前世の姿に似ていても、紗羽という女性は清子ではない。ぼくのことも覚えていないだろう。
彼女の視界に、ぼくだけ入らないのが何よりの証拠だ。
彼女に手を引かれ、二人が前に進んだ。
振り返った綾鳥は呪いのような言葉を紡ぎだす。
「また、奪ってみせようか。龍神サマ?」
笑った顔は、アイツと一緒だった。
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