【No. 032】レースのワンピース

 「なぁんだ、こんな所に居たのね」

 

  平日の真昼間、休日でも滅多に賑わう事がない寂れた水族館は貸し切りかと勘違いする程にすいていた。

 

 順路に沿って歩かなくても誰にも迷惑がかからないから、あからさまカップル向けのコーナーやそこら辺の川でも見たことがあるんじゃないかと思うような魚のコーナーは避けて観たいものだけを観る。

 

 サメとエイと有象無象の魚たちが泳ぎ回る水槽、ほとんど全ての魚がやる気なく漂ってる中1匹だけ必死に端から端へと泳ぎ回る魚が居る水槽、小魚がひたすら渦を巻くだけの水槽。

 

 そして最後に向かうのはくらげの大水槽。

 

 別にくらげが好きなわけではない。むしろ気持ち悪いとすら感じる。

 

 だけどファミレスで冬でもデザートにアイスを頼むみたいな、寝る前に絶対にオルゴールを鳴らすみたいな、そういう習慣として最後にくらげを観る。

 

 大水槽の前に来て、初めて飼育員や店員以外の人に会った。

 

 近所の美大生だろうか。

 

 オレンジの髪に赤色のメッシュ、レースのワンピース。

 

 どこかで見たような、初めて会ったような、不思議な空気を纏った人がそこに立って居た。

 

 くらげを眺めるふりをして水槽に映るその人を眺めていた。

 

 水槽の照明の色が変わる。

 

 オレンジの髪が黄色い髪に変わり、照明の色が変わる度に青くなったり紫になったりした。

 

  美しい景色を見た時みたいに心臓が高鳴る。

 

 くらげを一目見たら帰ろうと思っていたのに、気付くとたっぷり時間が過ぎていて学校帰りにそのまま寄ったであろう高校生のカップルが1組やってきた。

 

 見ていると思われたくなくて適当なくらげを目で追っているうちに不思議な人は居なくなっていた。

 

 それからも私は平日の真昼間、貸し切りかと勘違いする程にすいている寂れた水族館を度々訪れた。

 

 だけど不思議な人と出会う事は二度と無かった。

 

 段々とその人が私の中で神格化されて行くのを感じて、その人の事を考える事を辞めた。

 

 電車の中で偶然見かけたイケメン、程度の認識で居た方がきっと幸せだから。

 

 その後水族館は1年もせずに閉館。

 

 仕事の都合上平日の昼間にしか行けないから、働いてない人だと思われたくなくて人の少ない水族館に通っていたから、水族館に行くのは辞めた。

 

 今まで水族館で潰していた時間は客の少ないカフェとか、古本屋で潰すようになった。

 

 5年くらい経っただろうか。

 

 美大の卒業式のニュースを見て、ふと思い出したから水族館へ行ってみた。

 

 平日の真昼間だと言うのにチラホラと人が居る。

 

 親子とか、友達同士とか、カップルとか、誰かと一緒に。

 

 人が多いから順路に沿って、ゆっくり歩く。

 

 私がこの水族館を選んだのは順路の最後にくらげの水槽が有るから。

 

 サメとエイと有象無象の魚たちが泳ぎ回る水槽、ほとんど全ての魚がやる気なく漂ってる中1匹だけ必死に端から端へと泳ぎ回る魚が居る水槽、小魚がひたすら渦を巻くだけの水槽。

 

 どこへ行っても同じ光景を見るけど、照明の加減や岩の配置、水槽の大きさひとつ変わるだけで何もかもが違って見える。

 

 違うかな、私が成長したからそんな風に見えるのかも。

 

 順路が終わる。

 

 1度大きく深呼吸して、くらげの水槽へ。

 

 気持ち悪いと感じていたくらげ。

 

 好きになってはいないけど、どうして人気なのかが理解できるようになった。

 

 大小バラツキのあるミズクラゲ。

 

 やる気なく底にへばりついているサカサクラゲ。

 

 おもちゃみたいな色のキャノンボールジェリー。

 

 10回に1回は電車で見かけるような色合いのハナガサクラゲ。

 

 発光ダイオードみたいな形のベニクラゲ。

 

 時々光るカブトクラゲはほかのくらげと違う種類のくらげらしい。

 

 そして、オレンジの傘に赤いライン、レースのワンピースを思わせる触手のアカクラゲ。

 

 彼女は照明の色が変わる度に、黄色くなったり青くなったり紫になったりしている。

  

「なぁんだ、こんな所に居たのね」

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