【No. 030】過去に向き合えず、逃げられもしない。【残酷描写あり】

 まさかもう一度あの山に入ることになるとは思わなかった。


 山の名前は知らない。私たちはずっと「裏山」とだけ呼んでいた。もちろん地図上の正式な名前はあるだろうし、大人たちはそれを知っていただろう。けれども子供たちは土地を正式名称で呼んだりしない。公園の形が三角なら「三角公園」だし屋根があれば「屋根公園」、そして学校の裏手にあれば「裏山」になる。

 子どものころはやたらめったら体力に飽かせて駆けずり回った山を、シャベル片手に無感動な作業として登っていく。この山はこんなに楽だったっけと思った。おそらく変わったのは山じゃなくて私だ。同じ傾斜、同じ木々に対して、私の身体が大きくなりすぎた。山は私が生まれるずっと前からここにあって、私が死んだ後にもずっとここにあるというのに、私が子供のころに駆け回ったあの裏山はもうこの世界のどこにもない。

 冬だというには少し暖かく、春だというには草花の咲いていないこの不揃いな時期に、下草はちょっと気になる程度で、スニーカーの裏にグネグネとした土の感触を直接感じる。この湿り具合はつい最近雨が降ったに違いない。

 目的地は中腹にある、少し開けた平地だ。勝手知ったる裏山とはいえ、さすがに久しぶりの登山は体にこたえて、目的地に着いた頃には少し息が上がっていた。地面にぺたりと尻もちをついて、しばらく肩が上下するに任せる。開けた空にぽっかりと満月が浮いていた。

 彼を埋めた日と同じ満月だ。


 あれは小学五年生の夏休みのことだった。学校のプールは故障の修理のために解放されず、私たちは水遊びに飢えていた。こんな田舎から最寄の海岸まではとても子供が行ける距離ではない。そんな時に、クラスメイトの一人が裏山でプールみたいなところを見つけたと言い出した。ほとんどのクラスメイト達は相手にしなかった。裏山にプールなんてあるわけねーだろ、というわけだ。けれども私は彼と一緒に裏山に行った。別に彼と仲がいいわけでも、完全に信じていたわけでもなかった。どうせ暇でやることもなかったから、何も見つからなければ裏山で遊べばいいやと思っていた。小学生の夏休みなんてそんなもんだ。

 もちろんあれがプールのはずはなかった。それは単純に池だった。近くに川がないから、どこかから地下水が湧きだしているんだろう。プールだと彼が勘違いしたのは、淵がコンクリで覆われていたからだった。単に、天然の池が何かしらの理由で人の手を入れられただけだったのだと思う。防火用なのか農業用なのかそれともほかの理由なのかは私には知る由もない。

 夢中で泳いでいたから、彼の遊ぶ音がしなくなったことにしばらく気づかなかった。気づいた時も、単に飽きて池から上がって山で遊んでいるとしか思わなかった。だから、池の淵で脱力して冷たくなっている彼を見つけた時には……体中が縮こまるような気分になった。

 普通なら助けを呼ぶところだ。私だって助けを呼ぶと思う。あの日の自分はどうかしていた。大人抜きで水遊びをしてこんなことが起きたら、どれだけ殴られるかわかったものじゃなかったとしても、やっぱり助けを呼ぶべきだったと思う。それは彼を助けられたかもしれない、からじゃない。心停止してから子供の足で裏山を下りて大人を見つけてまた裏山に登って……なんてことをしていたら間に合う道理がない。それでも人としてそうするべきだったんだ。

 私はそうしなかった。

 その代わりに彼を埋めた。持ってきていたシャベルで必死に穴を掘って、息をしていない彼を無理やり穴に押し込めた。その上から土をかけて固めて、見えなくなった後に裏山を降りた。そして親に会うなり、彼がいないと騒ぎ立てた。

 彼の遺体は見つからず、私は当然ながら根掘り葉掘り聞かれたが知らぬ存ぜぬ、遊んでいる間にはぐれたというのを無理やり貫きとおした。大変な騒ぎになって、裏山は一時立ち入り禁止になった。

 私はこの村に居づらくなり、逃げるように全寮制の中学校に進学した。


 そのまま高校も都会の高校に通い、そして都会で就職した私は、たいして面白いことがあるわけでもないが、社会人として普通に生活していた。

 ある日郵便受けをまさぐると、切手も宛名もない茶封筒が入っていた。不思議に思って開けてみると、A4サイズの何の変哲もないコピー用紙に、子供のような乱雑な字で、たった一行こう書いてあった。

「あなたの罪はもはや埋まってはいません」

 この手紙を見た私は、いてもたってもいられなくなって、愚かなことだと知りつつも彼を埋めた場所を確認しに来たのだ。一見したところ、最近掘り返された跡はなかった。だから、そこには彼の骨があるはずだ。

 なかった。彼の骨があるはずの場所には、何もなかった。私が子供のころにシャベルで掘った穴なんだから、そんな深いはずがない。

 しまった。もしかするとこれはカマをかけられたのかもしれない。そうだ、そうに違いない。誰かが私を疑っているが証拠がない、だからあんな手紙でおびき寄せた。私はまんまと穴を掘り返しにきたというわけだ。ここで私が慌てて逃げ出せば、これはもう手紙の送り主の思うつぼだ。どうすればいい。そうだ、タイムカプセルを埋めたことにしよう。いや、あんなことがあった後に、立ち入り禁止の裏山にタイムカプセルを埋めたことにするなんて無理だ。

 結局、どうすればいいかわからなかった私は、穴を埋め戻すと走って逃げた。あの時と同じで全く進歩がない。


 それから、何も起きなかった。誰一人として、私の家には来なかった。なら、あの手紙を私に送った人は、何が目的だったのだろう。真実が知りたかっただけ? 私が結婚や昇進して幸せになったらその時に曝露してぶち壊したいとか?

 静かで暇な夜には決まって、このことを思い出しては誰かに監視されているような気分になる。思うに、人が罪と向き合うには時と場所が両方揃わなければならないのだろう。待ち合わせで、場所があっていても時間を間違えていたらずっと会えないように、私がこの罪と向き合うための時間もとうに過ぎてしまったように思う。

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