【No. 029】佐浦さんの奇行に付き合わされる身にもなってください


 佐浦さうらさんは奇行が目立つ。

 彼女曰く、日々移ろう世界を相手にするにはこれくらいが丁度いい、だそうで。

 たとえば夜。眠りに落ちるその瞬間まで、瞼を閉ざしてしまわないよう目は見開いたままだ。

 電気を消して遮光カーテンを締め切った真っ暗な室内。それでもハードディスクレコーダーの時刻表示やらルータのパイロットランプやら、そこかしこにかすかな光が瞬いている。

 真っ暗い部屋はまるで深海の底のよう。

 海底を漂うささやかな発光生物を観察していると、やがて弱々しい光たちは揺らめきだす。潮目に流されているのか。大きな捕食魚に追われているのか。ゆらりゆらり、それはまるで瞬く星。

 儚い光が泳ぎ出す頃には、自然と力尽き、意識を失うように夢と現の狭間にすとんと落ち込む。瞼が閉ざされたかわからないままに。

 それが佐浦さんの眠り方だ。いや、眠るのではない。現実世界をアップデートさせない方法だ。

 人は瞼を閉じて59分59秒以上眠ると、意識がメインサーバにバックアップされて、世界の共通認識は再構築のためにアップデートが始まる。

 あくまで佐浦さんの主張だ。

 そんな世界のアップデートに、開発者も運営者も気付いていない些細なバグがある。それが自らの意思で瞼を開けたまま眠りに落ちる現象だ。

 世界はアップデートされず環境は上書き再構築される。自分だけが他の人とは違った世界へ行けるのだ。

 ところで、世界の開発者や運営者って誰だろう。そして何が起きるんだろう。そもそも、自分の意思で瞼を開けたまま眠れるものか。

 佐浦さんが自信満々に言うものだから、僕も試してみることにした。

 初めて佐浦さんの部屋に泊まった夜、僕は隣で横たわる佐浦さんの目を見ながら瞼を開けて眠ろう。佐浦さんはかなり照れ臭そうにして、それでもちゃんと瞼を開けたまま、僕の目を見ながらこの世界について語ってくれた。

 僕たちが生きるこの世界は量子仮想世界である。みんな自分だけの世界を認識させられている。やがて個人の認識にズレが生じるが、それは一日のアップデートで修正される。

 佐浦さんの奇行は運営者に対するささやかな反抗、だそうで。

 ひそひそとした佐浦さんのウィスパーボイスはとても耳触りがいい。彼女の柔らかな囁き声で鼓膜を撫でられればどんな荒唐無稽なストーリーでも受け入れられる。

 どれくらいの時間が経ったか。静かな声に導かれるようにいつしか僕は夜の海底に沈んでいた。

 瞼を開けたままだったかどうかなんて知る由もない。


 人はさまざまな行動を起こす。そしてとある事象に対応するアクションを最適化するためにそれぞれのルーティンが存在する。

 佐浦さんにも一日を快適に処理するため毎朝欠かさず行うルーティンがある。それは朝食の画像を決まったポジションで撮影してインスタグラムにアップすることだ。


「何も映える朝ごはんを追求してるわけじゃなくてよ」


 細長いわりに起伏のなだらかな身体を器用に折り曲げて、佐浦さんは猫がそうやるように四つん這いになって背筋を伸ばした。


「よくわかってるよ」


 僕は佐浦さんの小さなお尻を眺めながらそう答えた。そう答えるのが一番しっくりくると思ったからだ。

 僕はいつ目を覚ましたのだろう。気が付けば、そこはもう明るい朝で、佐浦さんがスマホで朝食を撮影していた。


「わかってるならイイネが欲しいかな」


「アカウント教えてくれたらな」


「それは無理。ルーティンが変わっちゃう」


 誰にもフォローされていないインスタグラムに誰にも見られない朝食の画像を更新し続けるなんて。奇行でお馴染みの佐浦さんならではのモーニングルーティンだ。


「せっかくのいい朝なのに。そんなのもったいないよ」


 パジャマ代わりのジャージ姿で四つん這いになり、フローリングの床に直置きしたトレイの朝食を画像に収める佐浦さん。僕は「はいそうですか」と素直に引き下がるしかない。いい朝が変わってしまってはそれこそ一大事だ。


「ごはん、もうちょっと待ってね。この角度が重要なの」


 フローリングにはマスキングテープで位置取りされている。そのマーキングにぴったり朝食のトレイを微調整して、スマホをかなり低い角度にセット。

 朝食の背景は窓から見えるビル群の景色。大きなタワー状の影が伸びている一日の始まりにしてはどこかのんびりとした日曜日の朝。


「それで、今朝の景色はどんな具合?」


「君という新要素が最高にフィットしてる。申し分のない朝だよ」


 だ、そうで。

 瞼を開けたまま眠れたのかわからない僕には、ここは夜が未だ連続しているふわふわした時間だ。ふわふわし過ぎて朝かどうかすら怪しい。

 ここが佐浦さんの言う量子仮想世界の自動アップデートがなされなかった朝なのだろうか。

 佐浦さんはようやくベストポジションにたどり着いたようで、スマホのカメラアプリを連写させた。

 僕の前には佐浦さんの後ろ姿。そして僕らの朝ごはん。

 スライスされたバゲットはこんがり焦げる寸前の小麦色。焼かれたベーコンはしっとり脂を浮かせている。ちぎったレタスにお好みでマヨネーズを少々。かりかり目玉焼きには粗挽きの塩胡椒が白い砂浜の黒い砂粒のよう。

 そして朝ごはんの背景は窓から見える遥かなる巨人、東京スカイマン。身長634メートルの東京のシンボル的巨大存在であり、今日もまた平和のために立ち尽くすのだろう。


「やっぱり二人分の朝ごはんがキーだったのよ」


 佐浦さんはようやく振り向いてくれた。この朝初めて佐浦さんの顔を見る。


「新しいルーティンが成立したよ」


 東京スカイマンがのっそりと歩き出した。普通ならぬぼっと立っているだけなのに、あの巨人が歩くのなんて初めて見る。


「ようこそ、新しい世界へ。また君と会えて、私うれしいよ」


 僕は無事に量子仮想世界のアップデートに抵抗して佐浦さんと新しい世界で再会できたようだ。

 僕らの新世界で、東京スカイマンが足元のビル群を跨いで悠然と歩いている。

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