【No. 025】Bボタンは押しっぱなしで


「あぁほら、そこがダメなんだよ隼人はやとは。そこでアクセル抜いちゃうでしょ? 要はビビってんの。ビビらずBボタンは押しっぱ! そこが私との差だね!」


 俺のプレイを隣で見ながら、千早ちはやはそう勝ち誇った。ニヤリと人を食ったような笑みは、千早のトレードマークだ。


 雨の日の土曜日だった。幼なじみの俺と千早は、外で遊べないからゲームで遊んでいた。今日は千早の家。ゲームタイトルはスーパーマリオカート。スーファミが誇るレースゲームの傑作だ。


 俺の操作するカメのノコノコは、規定周回を終えてゴールラインを通過する。タイムはまずまず。だけど千早の記録には及ばない。

 アイテムありのGPグランプリなら勝てることもあるのに、タイムアタックでは全然、俺はこれっぽっちも千早に勝てないのだ。


「純粋な速さなら、やっぱり私の方が上だね。見てな隼人。タイムアタックはこう走るんだよ」


 俺からコントローラをもぎ取るようにして、千早はスタートラインにつく。選んだキャラは大きな猿のドンキーコングJr.だ。コイツが一番強そうだから、というシンプルな理由。実に千早らしい選択。


 千早はいろいろガサツだし、胡座あぐらをかいてゲームをするし、普通の小学校高学年の女の子とは思えないくらい活発だ。

 クラスの誰かがいじめられていたら、いじめっ子が男子だって容赦しない。平然とケンカを売りに行ってこぶしで勝ってしまう、女の子らしくない女の子。それが千早だった。

 口が裂けても言えないけど、千早のそういうところが好きだった。恋とか愛とかわからないうちからきっと、俺は千早のことが好きだったのだ。


「ようし、ロケットスタート!」


 千早の操る大猿は、シグナルと同時にロケットスタートを決めた。きゅいーん、と効果音が鳴り、大猿はぐんぐん加速していく。タイムアタックには必須のテクニック。

 第一コーナーをアウトインアウトで抜け、次のヘアピンは飛び跳ねながらドリフトする。立ち上がりは針の穴を通すくらいにタイトだ。

 コーナーを曲がる時、身体が少し傾くクセ。それを見るのも俺は好きだった。

 千早は身をくねらせて、レコードラインを走っていく。チェッカーフラッグへと向かって。


「──やった! 見て見て隼人! 記録更新! 私、世界で一番速いかも!」


 ゴールした途端、コントローラを放り投げて何故か俺に抱きついてくる千早。というよりヘッドロックに近い。痛いやめろと叫ぶ俺を無視して、千早は一階へと向けて声を上げる。


「おかーさーん! カルピス二つお願い! 濃いめのヤツね!」


 千早はニカリと笑った。いつもの人を食ったような笑顔で。


「また私の勝ち。隼人が私に勝てるのはいつになるかな?」

「待ってろ、そのうち絶対抜いてやる。猛練習するからな」

「楽しみに待ってる。ま、勝てないと思うけどね?」

「言ったな。それじゃあ、俺が勝ったら何かしてくれよ。俺が喜ぶようなことを」

「いいよ。まずはいっぱい祝福してあげる。うんと、たくさんね」


 もう一度、千早は笑った。

 今度は優しい笑顔で。



 小学五年生の夏のこと。千早が水の事故で亡くなる、一週間前の出来事。

 あの日の千早の笑顔を、俺はいまだに忘れることができないでいる。

 俺の心はずっと。あの夏の雨の日に囚われたままだった。





 ◆





「あら久しぶりね、隼人くん。調子はどう?」

「お久しぶりです、おばさん。まぁ、ぼちぼちやってます」

「元気そうでよかったわ。上がっていくでしょ? カルピス用意しようか。濃いめのヤツ」

「おばさん、俺もう三十路みそじ超えてますよ?」

「歳は関係ないでしょう。カルピスは大人になっても美味しいんだから」


 一年振りに訪ねた千早の家は、あの頃と全然変わっていない。家も空気もおばさんも、あの夏の日のままだ。

 リビングに通されて、飾られている千早の写真と目が合った。やっぱり千早は、人を食ったような笑顔のまま。遺影としてはどうかとも思うけど、でも千早と言えばやっぱりこの顔だとも思う。


「今日も勝負するの? 千早と」

「今日こそ勝ちます。勝って、千早に報告したいこともあるんです」

「男の戦い、ってヤツね。応援してるわ。後でカルピス持っていくから、先に部屋に上がっておいて」


 おばさんに許可を得て、二階の千早の部屋に入る。あの夏の日のまま、時間が止まった千早の部屋。

 俺は床に座り、古いスーファミのスイッチを入れた。電源が入ってほっとする。

 カセットは当然マリオカートだ。ポップで楽しげなタイトル音楽が鳴り、ゲームモードをタイムアタックにする。



 マリオカートには、ゴーストと呼ばれるシステムがある。一番速いタイムアタックのプレイデータが、ひとつだけ記録されるのだ。

 もちろんそれは千早のゴースト。千早が記録した、最速のプレイデータ。


 千早はこの世にもういない。だけど残してくれたものはたくさんある。このデータはその中のひとつだった。

 ここでマリオカートをする時だけ、俺は千早に再会できる。いつも最速で駆け抜けていくから、追いつくのは難しいのだけど。


 黄色いBボタンを押してキャラを選択する。もちろんノコノコだ。あの時に選んだキャラで千早を超える。そうじゃないと意味がないから。


 スターティンググリッドでアイドリングをするノコノコ。その隣には半透明なドンキーコングJr.がいる。

 このゴーストには触れられない。ぶつかりそうになってもキャラが重なるだけ。

 だけど確かに、ゴーストはそこにいる。一緒にコースを走っている。

 この瞬間。間違いなく俺の隣には、千早がいた。




 ……なぁ、千早。俺、今度結婚するんだ。千早とは全然違う、落ち着いた子だ。

 驚くだろ? 俺が結婚なんて。自分でも信じられないよ。

 俺さ、千早に祝福してほしいんだ。勝ったら、うんと祝福してくれるって言ったよな。


 俺、猛練習したんだ。復刻版のスーファミミニで、毎日。

 俺が勝ったら、千早のプレイデータは上書きされて消えてしまうけど。でも、いつまでも立ち止まってはいられないから。


 ──だから俺、千早に勝つよ。絶対に。




 赤信号が点滅して、緑の信号が点灯する。

 それがスタートの合図。


 瞬間、Bボタンを強く押し込んで。俺はあの夏の日を駆けていく。少し前にいる千早を追いかける。



 ──そのBボタンを、押しっぱなしにして。




 


【終】


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