【No. 014】三つ編みと裁ち鋏

 あの子ほど美しい人を、私は知らない。

 私達は皆、揃いのセーラー服を着て、言いつけどおりに長い髪を三つ編みにしていた。判を押したように同じ姿で、教室に押し込められていた私達。

 その中で、あの子だけが光を放っていた。

 小さな背に流れる、二本の三編み。

 私の貧相な髪で編んだおさげは、枯柳のように頼りなかったのに。彼女の黒髪はきっちり編み込んでもなお、つやつやと輝いていた。

 ねえやさんが毎日丁寧に櫛を入れて、高価な油で丹念に手入れをしているあの子の髪は、まるで芸術品のようで。

 三編みとともに揺れるスカートのひだが翻るのさえ優美で、見惚れたものだ。

「あなたほど三編みの似合う女の子って、私、見たことがないわ」

 そう言ったら、あの子は困ったように笑った。


 姿だけではなく、あの子はおうちのことだって得意だ。

 お女中さんもいるようなおうちなのに、奥向きの仕事はひととおり厳しく仕込まれていたのだという。

 特に針仕事は、得意中の得意で。

 私は『こんなことで、貰い手があるんだろうかね』と、お祖母ちゃんがため息をつくほどの不器用だ。

 けれどあの子はとても鮮やかに、ハンカチでもお洋服のボタン付けでも、すいすいと縫い上げてしまうのだった。

 きっと指の先まで、女神に愛されているんだわ。

 そんなことを、私はあの子の美しい手に魅入られながら思ったものだ。

「あなた、きっといいお母さんになるわね」

 そう言うと、やっぱりあの子は困ったように笑うだけだった。


 あまりにぶきっちょがすぎる私は、あの子に教わりながら縫い物の課題をこなしたことがある。

 なんて恥ずかしい、情けないのかしらと思う一方で。放課後ふたりきり、縫製室で肩を並べてお裁縫をするのは嬉しくもあった。

 ブラウス用の布を作業台一面に広げる。

 あの子は迷いなく鋏を入れて、そのまま一気に布を両断した。

 さあーっと音を立てて、裁ち鋏で布を真っ二つに裂いていく潔さは、胸がすくようで。

「あなたって、思い切りが良いのね」

 爽快感に高揚しながら言ったら、あの子はぽつりとつぶやいた。

「思い切り」

 布を断った鋏を、あの子は見つめた。

 華奢な手に、重たい鉄の裁ち鋏を握りしめて。

 ゆっくりと、その白い喉元に刃先を突きつけた。


「ひとおもいに、死んでしまえそう」

 なめらかな喉の曲線に触れそうな刃に、私は息をのむ。あの子が何を考えていたかなんて、全くわからなくて。止めることも、悲鳴を上げることさえできなかった。

 何かを言いたそうに、あの子は唇を震わせて。

 けれど言葉を飲み込んだのか、わずかに動いた喉元から、切っ先が離れていく。

 ごとりと重い音を立てて、作業台に鋏を置いた。

「怖がらせて、ごめんなさい」

 あの子はいつものように笑った。

 それが困った笑いではなくて。苦しいとか寂しいとか、もっと違う感情を押し込めていたことを私が知るのは、あの子が学校を去った後のことだった。




 あの子が退学をして一年が過ぎた頃、夕暮れ時。

 学校から帰ると、あの子のおうちの――ご実家の――ねえやさんが私の家を訪ねて来ていた。

 あの子は遠いところにお嫁入りが決まって、それで学校を辞めて行った。

 それきり私たちの縁は切れてしまって、それなのになぜご実家の方が私を訪ねてきたのだろう。

 あの子は里帰りをしてきたのだという。

 懐かしい級友の帰郷の知らせに、会うことはできるかしらとねえやさんに問おうとして、彼女の顔が真っ青なのに気づく。

 ねえやさんは、お嬢さんが家を飛び出していってしまったのだと言った。

 だからあの子が、かつての同級生の家にでも隠れていないかと思い、探しているのだと。

 あんなものを持ったまま家を飛び出して、と、ねえやさんは握った拳を震わせた。

 彼女が震える拳で掴んでいるそれに、一瞬にして私の心臓は凍り付いた。

 なんで、どうして。

 

 私は鞄を玄関先に放り捨てた。ねえやさんが握っていたそれを、ひったくって飛び出す。

 あの子の行く場所に、あてなんかない。それでもなんとしてでも見つけ出さねばと、私は髪が乱れるのも、スカートがはしたなく捲れ上がるのも、構わず走った。

 あの日、縫製室で裁ち鋏を握りしめたあの子の横顔が、ずっと脳裏に浮かんでいる。

「学校……」

 来た道を戻って、校門に駆け込んだ。人気のなくなった校舎、廊下を走り抜けて縫製室に飛び込む。

 教室の奥、作業台の前に立つ、小さな背中。

「裁ち鋏は、よく切れるね」

 振り向いたあなたは笑っていた。困ったように――哀しそうに。

 あなたの耳の真下で、短くなった髪が不揃いに跳ねていた。

 あなたは、鉄の裁ち鋏を握りしめていて。

 私はあの子の、おさげ髪を握りしめていた。

 あの頃は、セーラー襟に三つ編みを垂らしていたけれど。

 今、目の前のあなたは、サスペンダーで吊ったズボンをはいている。


「自分ではないものに、なりたかったんだ」

 ああそれで、あなたは、ひとおもいに。

 喉を突いたのではなかったけれど。

 ひとおもいにあの子を、かつての自分を、殺してしまったのね。

「驚かせて、ごめんね。でももう一度会えて、嬉しかった」

 私だってもう一度、美しいあの子に会いたかった。

 だけどあなたは、今までのあの子ではなくなっていたし。

 だったらこれは再会ではなくて、新しい出会いなのだろうか。

 あの子の亡骸のような髪を握りしめながら、私はそれでも、と思う。

 あなたほど美しい人を、私は知らない。


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